≪幕末太陽傳≫・銀幕の男優 ⑦ フランキー堺さん1957年度作品 川島雄三監督 | 吐夢の映画日記と日々の雑感

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    ≪幕末太陽傳≫

 

こんばんは。いつもご訪問ありがとうございます。

 

今夜は日本の銀幕の男優ーー⑦フランキー堺さん

 

作品のお題は≪幕末太陽傳≫

 

落語のーー居残り左平次をベースに品川心中などを盛り込み

 

グランドホテル形式で作り上げた日本映画の名作の一本です。

 

キャスト

 

まあ贅沢なキャストです!!!

 

居残り佐平次にフランキー堺 

 

相模楼主 伝兵衛に金子信雄 

 

その女房お辰に山岡久乃  

 

番頭善八に織田政雄 

若衆喜助に岡田眞澄 
若衆かね次に高原駿雄  

 

女中おひさに芦川いづみ 

やり手おくまに菅井きん 
新造おとらに福田トヨ 

 

女郎おそめに左幸子 

女郎こはるに南田洋子  

 

大工長兵衛に植村謙二郎 
 
吉原の附馬屋に井東柳晴 

 

高杉晋作に石原裕次郎 
久坂玄瑞に小林旭 
志道聞多に二谷英明

 

気病みの新公に西村晃 
呑込みの金坊に熊倉一雄 
粋がりの長ンまに三島謙 

 

貸本屋金造に小沢昭一  ・・おそめとも心中に失敗する。

 

仏壇屋倉造に殿山泰司 

 

千葉の杢兵衛大尽に市村俊幸 

坊主悠念に山田禅二 

 

ガエン者権太に井上昭文 

ガエン者玄十に榎木兵衛 

 

 

タイトルをバックにイントロデユースが入ります・・・
ーーーー

 

東海道線の下り列車が品川駅を出るとすぐ八つ山の陸橋の下を通過する

 

この陸橋の上を通っているのが 京浜工業地帯を縦走する最大の自動車道ーー

 

京浜国道である。

 

京浜高度にやや平行して横たわる狭苦しい街  それが東海道五十三次

 

第一番目の親宿、品川宿の現在の姿だ。この至って特色のない街で

 

目立つものといえば、北品川カフエ街と呼ばれる16軒の特飲店

 

従業の接客婦91名

 

平均年齢34歳。

 

しかし、この赤線地帯も売春防止法の煽りを喰って一ヵ年以内に

 

閉鎖を余儀なくされており、354年の伝統を持つ品川遊郭の歴史も

 

ここに一応その幕を降ろすことになるのだが

 

これからこの映画が語ろうとするのは

 

現代の品川、ないしは売春問題の推移などではなく文久2年末の

 

品川である。

 

文久2年といえばあと6年で明治になるとしであり

 

幕末いよいよ喧騒。  北の吉原と並び称された南の品川も

 

ようやく劣れを見せ始めた。とはいえそこはやはり東海道の親宿

 

100軒に近い遊女屋に1000人以上の 女が けんを競い

 

それ相応の賑わいを見せていた・

 

トップシーンに写る看板には・・・・

 

土蔵相模の遺跡

 

良い

 

安い

実用旅館  江戸の名所さがみホテルとある・・・・

 

土蔵相模の遺跡とは・・

 

「土蔵相模」は、高杉晋作など幕末の志士たちの密議場所として

 

よく登場する妓楼で、

 

桜田門外の変でも

 

大老・井伊直弼を襲撃した浪士たちが

 

前夜ここに投宿し、浮き世で最後の宴を張った場所である。

 

さてさて舞台はその相模屋ーーーー

 

--ここ品川の遊郭、相模屋に登楼したのは佐平次の一行。

 

左平次ーーフランキー堺

 

      西村 晃

      熊倉一雄

 

お女郎を侍らせ、ご馳走を並べさんざん贅を尽くした挙句

 

文無しの一行・催促される勘定も今晩、明日と引き伸ばすが

 

払える当てなどない。その分だけ働いて返すと居直った左平次だが・・

 

 

ーー怒った楼主伝兵衛。

 

しかし左平次は気は利くし、豆に動くし、機転は利く・・・と重宝がられる。

 

その要領のよいこと。

 

売れっ妓こはるの部屋に入浸って勘定がたまる一方の

 

攘夷の志士高杉晋作たち。

 

品川のイギリス領事館の焼き討ちの策を練ると、泊り込んでいる。

 

 

その勘定のカタをとって来たり、こはる目当てに通い続けたのがばれた

 

親子喧嘩を上手に納めたりと楼に

 

重宝がられた・

 

しかも何かを片付けると頂く御祝儀。ちゃっかりと懐に入れる

 

佐平抜かりのない左平次であった。

 

この図々しい居残りの左平次が数日間居続ける間に、

 

仕立物までこなす彼の器用さは、女郎のこはる、遅め両方が

 

左平次に惚れてしまう。

 

その結果佐平次は二人の女からロ説かれる羽目になった。

 

ところが佐平次はこんな二人には何の興味もない。

 

女中おひさに惚れた相模屋の放蕩息子の徳三郎は、おひさとの仲の橋渡しを佐平次

 

に頼んだ。

 

佐平次はこれを手数料十両で引受けた。

 

ちゃっかりしている佐平次は、こはるの部屋の高杉太刀にも金の匂いを

 

嗅ぎ付け、彼らが御殿山英国公使館の焼打ちを謀っていることを知ると、

 

御殿山工事場に出入りしている大工に

 

異人館の地図を作らせ、これを高杉らに渡してまたまた儲けた。

 

その上焼打ちの舟に、徳三郎とおひさを便乗させることも忘れなかった。

 

その夜、

 

御殿山に火が上った。

 

この事件のすきに、

 

ここらが引上げ時と、

 

しこたま儲けた佐平次は旅支度。

 

そこへこはるの客杢兵衛大尽が、こはるがいないと大騒ぎ。

 

佐平次は、こはるは急死したと誤魔化してその場を繕い、

 

翌朝早く旅支度して表に出ると、

 

こはいかに杢兵衛が待ち構えていてこはるの墓に案内しろという。

 

これも居残り稼業最後の稼ぎと、

 

彼は杢兵衛から祝儀をもらうと、

 

近くの墓地でいいかげんの石塔をこはるの墓と教えた。

 

杢兵衛一心に拝んでいたが、

 

ふと顔をあげるとこれが自分の子供の戒名。

 

欺されたと真赤になって怒るお大尽を尻目に、

 

佐平次は振分け荷物を肩にかついで

 

東海道の松並木を韋駄天よろしく駈けぬけていくのでした・

 

 

脚本 川島雄三、今村昌平

 

監督  川島雄三

 

1957年度作品・・

 

松竹出身の奇才だが後に日活に移って活動するが

 

6年後に筋肉が次第に萎えていく、今で言う筋萎縮症でしょうか

 

患って亡くなった・

 

川島作品は叶夢の名画座では≪雁の寺≫を掲載しています。

 

当時は石原慎太郎の≪太陽の季節≫が芥川賞をとり話題になり

 

太陽族という言葉が生まれた。

 

本作品はその太陽族つまり幕末の太陽族のお話である。

 

石原裕次郎が主演ではなく、フランキー堺の代表作である。

 

フランキーの飄々とした身の軽さ、小気味よさ。

 

ニコニコとした笑顔で要領のいい男を演じているが

 

ひょっと一人になった時のI鬼気迫る孤独感を見せる表情が不気味ですごい・

 

 

フランキーさんといえば名ドラマーであり、雲の上団子郎一座にも名を連ねた

 

喜劇役者であり、また

 

代表作・・≪私は貝になりたい≫というシリアスな作品にも出演している。

 

川島監督の熱望で幕末太陽傳の主役に起用される・

 

次回、フランキーさんで≪写楽≫を撮ると公言していたが約束を果たすことなく

 

急逝。

 

意志を継いで篠田正弘監督がフランキーさん主演でメガホンを取った。

 

おくまさんの菅井きんが巧い・・

 

楼主のおかみさん山岡久乃が巧い。

 

小沢正一がそのキャラクターを誇張するためか顔にあばたを作っているのが

 

芸が細かいですねえ。

 

楼主の金子信雄も息子徳三郎の梅野泰靖

 

も巧いですね。

芦川いづみさんが可愛い・

 

 

おそめとこはるの左幸子と南田洋子がいい・

 

 

まさに川島雄三の喜劇の独特の世界全開!

 

貴重な喜劇の作者の損失大きいですね。

 

1957年度キネマ旬報ベストテン第四位