『友情ある説得』・西部劇に見る反戦思想・1957年のカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞・ | 吐夢の映画日記と日々の雑感

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       (友情ある説得)  

 

 一昨年だったかアラン・ドロン様のファッションについて書いたときに

 

 パーキンス...について少し触れましたので重なる部分もあるとは

 

思います。

 

 我々世代は彼のことをトニパキと呼んでおりました。

 

 愛称がトニー.パーキンス・・・それを縮めてトニパキであります。

 

 幸か不幸か、ヒッチコックの”サイコ”のノーマン・ゲイツが

 

 あまりのはまり役、それも性格異常の得意な役者、

 

かのピーター・オトゥールにも通ずる異様な匂いが

 

 これ以降彼について回って損をしている部分もある。

 

この作品の彼はもはやトニパキではない。

 

デビュー当時のトニパキはすらりと伸びた手足と

 

広い肩幅にアイビールックがよく似合うニューヨーカーの

 

瑞々しい青年だった。

 

 彼の真のデビューとも言える”友情ある説得”(1957年)以後、

 

ドロンさんがが出現し、そしてこののびのびとした

 

長沢 節のスタイル画から抜け出したような少年みたいなトニパキは

 

ドロン様とふたり

 

我々少女達の人気を二分した。

 

 

下町の二枚目のお兄さんのドロンに比べ て、トニパキはナイーブなセンシピリティを漂わせた

 

母性本能をくすぐる初々しさがあった。

 

それをもうガチャガチャに崩してくれた作品が”サイコ”である。

 

 作品は一級であるが彼のイメージは

 

 それまでの彼を知らない人たちには異常な、エキセントリックな

 

持ち味の俳優と言うイメージが固定してしまったと思う。

 

 悲しくもある・・・がこの作品があったからこそ、

 

 彼は今でも人々に忘れられないとも言える。

 

 先に取上げた”さよならをもう一度”のフイリップや

 

  ”のっぽ物語”などの作品だけでは
 

アメリカ映画史に残らなかったであろう。

 

 今夜取上げる”友情ある説得”は1957年、

 

ゲーリー・クーパー・・・クープの晩年の佳品であるが、

 

トニパキが殆どデビュー作といっても良い作品で、

 

これでアカデミー男優助演賞にノミネートされた。


      監督・ウイリアム・ワイラー

 

作品は カンヌ映画祭グランプリに輝いた

 

 アメリカらしい、ワイラーらしい

 

真の平和主義者とは何か?を

 

ユーモラスにまた

 

 ホットに描いた大好きな一編である。

 

この作品では背景に南北戦争があるわけですが

 

 その後、1958年の”大いなる西部”でワイラーは

 

東部と西部の考え方の違いを描いている。

 

   ”友情ある説得”

 

出演者

 

ジェス・・・  ゲーリー・クーパー

 

妻イライザ・・・ドロシー・マクガイヤ

 

長男ジョッシュ・アンソニー.パーキンス

 

長女マティ

 

次男リトル.ジェス(6.7歳か?)

 

ジェスの親友サム

 

 サムの息子ガード

 

1956年度作品

 

 あらすじ

 

 ジェス一家は敬虔なクエーカー教徒、

 

クエーカー教は酒、タバコ、コーヒーはもちろん

 

音楽を聞くことも禁じている穏やかで頑固な平和主義者である。

 

 前半、この一家の日常を通じてクエーカー教徒の

 

毎日はこんなものだとゆったりと描かれていく。

 

とうもろこしを栽培し、肉や卵を馬車に乗せて近隣の町や牧場へ

 

何日かかけて売りに行く。

 

この一家にペットのサマンサというガチョウがいる。

 

そしてレッドという馬がいる。

 

これが重要な役を担う。

 

リトゥル・ジェスはみんなにおチビさんと呼ばれている.

 

おチビさんとサマンサは相性が悪く、チビはいつも

 

 サマンサのくちばしでつつかれていて

 

 ちびはいつかサマンサの首をひねって食べてやると

 

悪態をついている。

 

マティはガードに恋をしている。

 

ジョッシュは今悩んでいる。

 

 日曜日の教会での集まりにやってきた北軍の兵士が

 

戦争に参加するように言うが、

 

 教徒達は

 

戦争は罪です。と拒否する。

 

が、ジョッシュは違う。

 

”君達は同胞を盾にしてのうのうとしていられるのか

 

戦ってこそ家は守られるのだ”という言葉に

 

 どうしても自分も同胞の役に立ちたいと願い始めている。

 

パパ、ジェスはと言えば教会へ出かけるときに

 

道のりを親友のサムの馬車と競争するのが楽しみだが

 

競争意識のないジェスの馬レッドはいつも負けていて

 

 ジェスは足の早い馬が欲しいと願っている。

 

 夫人のイライザは競争心のないレッドでさえ不満で

 

 もっと遅く走る馬をと願っている。

 

ある日町で定期市が催され、一家で出かけた。

 

ジェスは音樂が好きだ。

 

 禁じられているにもかかわらずオルガンを買ってしまう。

 

ダンスも催され、

 

ソーダー水を飲みながら知らず知らずにステップを

 

 こっそりと踏んでいるのをチビは見逃さなかった。

 

はぐれた娘がガードと踊っているのを見つけた彼女は

 

 われに戻ってガードと引き離して連れ去った。

 

イライザはクエーカーの教えに忠実で頑固に守る。

 

それを息苦しく受け取らずに

 

夫は自分の意志を貫きながらも

 

 やわらかく受けてかわす術を知っている・

 

10日間の旅に出た父と息子は

 

 ひょんなことで競争心の強い馬と出会い、

 

 持ち馬レッドと交換する。

 

 不細工な馬だが名はレディ。

 

オルガンが届いた日、どうしても家に入れるなら

 

私は今日から納屋で暮らすとさっさと納屋へ。

 

それでも夫はオルガンを家に入れた。

 

 夜、毛布を抱えて、夫は納屋へ出向く。

 

このあたりの運びが実に上手く、くすっと笑わせる。

 

 親友のサムが仲介を申し出るが断る夫。

 

 夫婦喧嘩の理由を聞いて笑い転げるサム。

 

あくる日、日が昇るや否ややってきたサムは

 

納屋で二人がやすんだことをクスクスと笑う。

 

 必死にごまかす夫は

 

”誠意を持って説得したんだ”とどぎまぎ答える。

 

ここも伏線です。

 

 

プリンスの競争相手を見にやってきたサムは、

 

こんなブス馬が俺の馬と競争できるのか?と笑った。

 

 日曜日、サムと競争する為にレディに鞍をつけたが

 

 いつもの大きい馬車がボルトが外れて走れないと

 

子供達を置いて夫婦二人で出かけることに。

 

ジョッシュがボルトを外しておいたのだ。

 

 猛烈に走るレデイにイライザはびっくり。

 

プリンスに勝ったレデイだった。

 

 教会の長老達が家にやってきた。

 

 息子、ジョッシュの教育をどうしているんだ??と。

 

つまり、同胞のために戦わなくてはならないのか揺れている彼を

 

知ったからだ。

 

そして南軍がそこまでやって来ていると・

 

 

 ジョッシュは焼けた納屋や、食糧を略奪された近隣の家を

 

見てきたと。自分も義勇軍に参加すると父に申し出た。

 

 戦争はいやだし、死ぬのも殺すのも怖い。

 

 殺す事さえ出来ないかもしれないが、

 

みんなが戦っているのに知らん顔はできないと言う。

 

 

 父は止める事が出来なかった。

 

 父は”もし南軍に襲われたら甘んじて受けるし、死も運命だと

 

受け入れる”と言う。

 

 

 教会の長老の一人がやって来て、手のひらを返したように

 

巻き割をしていたって家は守れん、戦わねばと言った。

 

 来合わせていたサムは昨日までとは違って変り身の早い事だと

 

皮肉った。

 

サムは俺がジェスの分まで戦ってくるさと

 

銃を持って息子ガードの元へ走った。

 

 

ジョッシュが乗っていった馬レディが傷を負って帰ってきた。

 

ジェスは銃を持ち出した。

 

 止めるイライザを後に息子ジョッシュを捜し求めて。

 

だが、途中でプリンスに会ったジェスはサムの身に

 

何か起こったと思った。

 

サムは近くの森に倒れて虫の息だった。

 

その時、ジェスも銃で襲われ、かすり傷を負った。

 

もう一度銃を向けた若い兵士に素手で立ち向かい、

 

 彼に撃つつもりはないから行けと逃がしてやった。

 

それから傷を負ったジョッシュを見つけ

 

 そばで死んだ若い兵を助けられなかったことに

 

泣きじゃくるジョッシュをなだめ連れ帰った。

 

その頃、家では南軍が押し寄せてきていた。

 

イライザは食肉も野菜も果物も家畜も与え、

 

 料理まで振舞った。

 

 

 兵の一人がガチョウのサマンサを見つけて捕まえようとした時、

 

イライザはわれを失って、 ”サマンサはペットなのよ”と 喚き、帚で

 

彼を何度も何度も叩いた。

 

チビはそんな母の姿に口を開いて見ていた。

 

 姉はパパには絶対に内緒よと口止め。

 

 又、教会へ出かける日曜日がやってきた。

 

サマンサと友好的になっているちびさんにパパは気づき、

 

”???どうしたことだ”

 

姉は”チビがいじめなくなったせいよ”

 

ちびは”違う、向こうから(サマンサ)近づいてきたんだ。

 

 南軍が来てからあいつは変ったんだ”と口をすべらした。

 

 止める姉の声をさえぎってチビはしゃべった。

 

”ママがバーン、バーンって敵を叩いたんだ、

 

サマンサを守るのに!”

 

パパは”そりゃー大ニュースだ”

 

出て来たママにパパは”箒を買い換えなくてはな”

 

 ”何故?”

 

 ”随分、戦ってくたびれているようだ”と・・・・

 

 こうしてまた、平和な日常が始まった。。

 

    この映画で言っている事は

 

民族と民族、国と国、の戦いだけが戦いではないのですね。

 

つまり家庭の中にも、趣味や友人同士の中にもいろんな

 

競争や争いはある。

 

そんな中からでも、

 

 平和への解決方法を学べるんだというメッセージを

 

感じました。

 

つまり、納屋での夫婦喧嘩の解決方法は愛嬌であったにせよ、

 

オルガンを家に入れる事をパパはママに押し通したが

 

屋根裏に置く事、日曜日と、来客中は弾かないと言う条件を

 

飲んだ。

 

サムの横にいた南軍の兵士にも

 

 ああいう形で

 

平和を彼に教えたのでは?

 

”たくさん、敵をやっつけて!”と言ったチビに

 

 そんな言い方はいけない、どんな命も尊いものなのだよと

 

諭した。

 

 平和主義だから戦争はしないと言った彼らの

 

言葉は理想主義あるいは生っちょろいと

 

聞こえるかもしれないが

 

周りのちいさな戦争にもいろんな対処の仕方がある。

 

それができれば心は平安に暮らせるものなのだ。

 

そんなところからまず、平和であろうと言う事でしょう。

 

 自分の信念を貫きながら、平和に解決する。

 

 一番難しくて出来ないことを

 

 この映画では難なく見せてくれたのです。

 

さて、クープはすばらしい適役であるのですが、

 

 今夜はトニパキを語るものなので、クープさんはお預け。

 

つまり、この作品ではトニパキらしい、ジョッシュは

 

役よりもなによりトニパキそのものの瑞々しいものでした。

 

  ぜひぜひご覧アレ。

 

ノーマン・ゲイツは個性派役者アンソニーであって

 

初期の彼は

 

 ナイーブかつ都会的なスマートなトニパキだったのです。

 

 

         おわり・