(我が道を往く)・・☆クリスマス映画特集 第一夜  1944年度作品 レオ・マッケリー監督 | 吐夢の映画日記と日々の雑感

吐夢の映画日記と日々の雑感

ご訪問ありがとうございます。
懐かしい名画、最近の気になる映画のことを書いています。

戦前のフランス映画が大好きです。

読まれて共感頂けたら、"いいね"を押してくださいませ。
励みになります。

☆☆ クリスマス映画特集☆☆
第一夜は
(我が道を往く)  1944年度作品です。

 

 

いつもご訪問に頂きましてありがとうございます。

 

年甲斐もないのですが、世の中はクリスマスモードなので

 

私も今年はクリスマス作品の特集をしてみようと思いましたの。

 

皆さまがレビューされた作品とダブルかもしれませんが・・・・

 

新 旧取り混ぜて取り上げてみたいと思います。

 

ということで
まずはごくごく旧い作品から・・・

 

   地味な作品かもしれませんが

 

第17回アカデミー作品賞、ビング・クロスビーの主演男優賞、
そして私の大好きなバリー・フイッツジェラルドが助演男優賞を
獲得、その年の最多となる7部門を受賞しました。

 

監督のレオ・マッケリー自身が作り上げた物語で、
歌がうまいだけの大根役者だと思われていたビング・クロスビーにオスカーを
獲らせたレオ・マッケリー。

 

戦時中の制作であるのに、戦争そのものには一切触れずに、


ただ淡々と若い神父と老神父のやりとりを中心に、観ているものが


ほっとするような物静かな語り口のうまさによって、

 

見事最多のオスカーを受賞したのだと思います。

 

共演の
リーゼ・スティーヴンスというアメリカ合衆国のメゾソプラノ歌手も花を添え

 

すばらしい歌声を聞かせてくれます。

 

老神父役のフイッツジェラルドですが、過去にジュールズ・ダッシン監督の
(裸の町)を取り上げましたが、渋い役者さんです。

 

ジョン・フォードの(静かなる男)ではお茶目なアイルランド人を演じて

 

とてもインパクトのある大好きな俳優さんです。

 

 

★★

お年寄りに接する時に赤ちゃん言葉を使ってはならない・
これは、介護実習で教わったことなんですが。
クリスマスになると観たくなる一本の映画・

 

”我が道を往く”
オマリー神父・・・・

 

こんな人が街に溢れたらと思わずにいられない素晴らしい人物だ。

人に説教をするというと どうしても
気負いすぎてしまい、熱を入れれば入れるほど
空回りすることがある。が、

 

オマリー神父のように

 

何気なく、どんなことをも受け入れ、さらりとなされる行為が、
人を和ませ、勇気づけ、元気にさせてくれる。

 

そんな人になれたら、また、世に溢れたらどんなに良いだろう。
と思わせる映画”GOING MY WAY”.


ストーリー

 

聖ドミニコ教会は財政難で、教会も金融会社の抵当に入っている。

 

老神父はもうどうする力もなく、無気力な毎日を送っているのでした。

 

彼は非常な健啖家で毎食のメニューを賄い婦に聞くのが

 

楽しみのひとつであるが65歳にしては老いて見える。

 

(フイッツジェラルドの実際の年齢は56歳ーー随分と老け役でございます。)

 

その老神父フィッツギボンの後任を命ぜられ

 

赴任した神父オマリーだが、

 

あくまでも赴任したことは伏せて、

 

その教会の建て直しのためにやってきたように振舞う、

 

オマリーである。

 

無論老神父はそのことを知らされていない。

 

舞台はわたしが思うにブルックリン辺りか?

 

街には、親に放任された子たちが溢れているし

 

親たちも無神論者が多いのか教会に行く様子もない。

 

赴任地に着いた途端に子供等が業者の七面鳥を盗むところに
出くわす。

 

老神父とは意見も考えも違うだろう  がオマリーは何のその。

 

この老神父がなんともいい味、可愛いというのは

 

失礼なのだが、駄々ッ子のようでもあり....

 

ある日老神父は司教と会った際に

 

事の真相を感じ取り、

 

教会から家出を、してしまう。

 

雨の中を歩き回って警官に送り届けられる始末。

 

殊勝にも謙虚になる老神父だが オマリーは決して老神父を

 

お年寄り扱いをすることなく 言い訳を聞いてやる。

 

ベッドに寝かせ、食事をさせ、彼と対等に話をし、

 

90歳になるという老神父の母親の話を聞いてやる。

 

そのときの

 

老神父は幼子のようである。

 

本棚の本の後ろに隠してあるオルゴールを取り出させ

 

”毎年母が送ってくれるんだよ”といってそのオルゴールの

 

中からウイスキーを取り出しグラスを交わす。

 

 ”クリスマスになるとちょうど無くなるんだ”

 

この先の希望もないと思いこんでいる老神父は言う。

 

”若者は希望に光輝いているが、わたしの老い先は何も無い。

 

光が消えないだけまだましだ。”

 

ーーそのオルゴールの曲は♪ルーラルーラルー♪という

 

子守唄だった。

 

その曲をオマリーがオルゴールに合わせて

 

口ずさむと老神父は天使のような寝顔を
見せた。

 

オマリーの幼友達ーー1人は世界の歌姫になった女性、

 

1人は同じく神父になった男性が

 

良い関係で登場し、教会の再建に

 

一役かうのだが、オマリーは

 

盗みばかりをする子供たちを集め聖歌隊を作っていく。

 

こういうシチュエーションの聖歌隊作りの作品の元祖かも知れません。

 

歌姫の(カルメン)とシューベルトの(アベ マリア)が

 

素晴らしい歌声ですよ。

実はオマリーがかつて思いを寄せていて、

今はメトロポリタン・オペラのプリマになっているジェニーですが

 

彼女の協力も得て、

 

自作曲の売り込みも図り、再建の資金を得る。

 

何気なく歌った“星にスウィング”(オスカー受賞曲)が買ってもらえたのだ・

 

また、家出娘の歌手志望キャロルと
家主の息子のテッドの若い恋の応援もさらりと描かれ、
オマリーの人間味をあぶり出す。

 

この三人と子供たちが親たちを教会へ足を運ぶようになるきっかけを作る。
この映画でのポイントは陰から上手に老神父を支えているが、
決して老神父の(誇り)と(尊厳)を侵さないことだ。

 

これはすごく大事なことで物忘れをしても、意見が違っても、
年寄り扱いをすることなく、また、
老いたどうしようもない部分は、本人に気付かれないように
BACK UPするという真の思いやりである。

 

教会運営の調査に来たオマリーだったが、現状を見て、
確実に何気に立て直しを図っていったのである。

 

しかし、
教会が火事で焼けてしまい、子供たちと資金稼ぎに学校の休みの間
聖歌隊として各地を回ることにしたオマリーであった。

 

やがて
再建された教会を見て、役目を終えたオマリーは

 

またよそへ転任していくことになる。

 

方法は違えど根本理念は一緒だったと、老神父は最後の乾杯に
例のウイスキーをグラスにいれ、”もうすぐクリスマスだ”
と美味しそうに口に含むのだった。

 

その日教会にはたくさんの
親たちが集まり 説教をする老神父は
オマリーが来たときから比べれば

 

生まれ変わったかのように 溌剌と希望に満ちている。

 

たとえ幾つになろうが自分が人にとって必要な人間だと自身が

 

思うことと、

生きがいを持つことが大事で、

 

これが生きる活力になり、光り輝くことなのでは
ないだろうか。

 

そして、新しい任地へ赴く彼が

 

老師に贈ったクリスマス・プレゼントとは…。★★

 

聖歌隊が”♪ルーラルーラルー♪を
歌いはじめると、

        車椅子に乗った90歳の母が老神父の方へ
椅子から降りてとぼとぼと歩いて近づき、

しっかりと65歳の息子を両手で
抱きしめるのでした。

 

粋なオマリーの計らいなんですね。

 

そのときの老神父はもう完全に幼子であった。

 

名優フィッツジェラルドの人間臭さがまた一気に吹き出る名場面だ。

 

そして、それを陰から、見届けたオマリーは静かに去っていく。

 

オマリー自身も 我が道を往くために....。

 

永遠の輝きに向かって.. 


教会には歓喜の「アヴェ・マリア」が流れる。

 

フィッツギボン(老神父)は名残惜しそうにオマリーを見送るのであった。


誰もが納得できる映画というのはそうあるものではないが、

 

この作品の押しつけがましくないヒューマニズムに
感慨を得無い人は

 

それこそ

 

聖書でもひもといてみたほうがいいのではないかしら??

 

それは役者クロスビーの人柄に負うところ大で、

 

クルーナー唱法の第一人者である彼の深みのある甘い温かな歌声は、

 

それこそアメリカ音楽にとって至宝であり、

 

その歌声同様に

 

マッケリーがクロスビーに

演技開眼させたのか??


真摯な演技者としての才に全く驚嘆させられるのが本作品・