《越前竹人形》・竹だけが知っている・・水上勉作品 ・1963年度 | 吐夢の映画日記と日々の雑感

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《越前竹人形》


製作 大映 1963年度
監督 吉村公三郎
撮影 宮川一夫....
出演 若尾文子
山下洵一郎
西村 晃



越前の武生市から南条山地に向かって、日野川を
上り詰めた山奥に竹神という部落があった。
わずか17戸数の辺鄙な村が人の口に上るようになったのは
この村で作られる竹細工が有名になったからだ。

竹の名所で、真竹、孟宗竹、女竹、破竹、などが繁茂しており
どの家も藪の中にひっそりと隠れていた。

竹...どこか神秘的である。かぐや姫にしても、そうだし、
一晩に1メートルも伸びる竹もあり、
清らかさと、潔さと、清浄な香りのする植物。

二十代の頃、毎日曜日、一日20キロ歩くというハイキングに
はまったことがある。

その時分は奈良に居住していた。

奈良の明日香村、
山辺の道、二上山、金剛山、葛城高原、
平群村の吉田兼好の歩いた道、大阪と京都の境目にある
ポンポン山だの数知れない。
今でいうウオーキングだ。


その中で今ふっと思い出したのが、京都乙訓郡の竹林だ。

阪急長岡駅だかで下車して善峰寺までを
歩くというコースの途中で出遭う竹林だ。
ザワザワと揺れる竹の群れは神秘的であるというより、
不気味さを感じた記憶がある。

かぐや姫に代表される
”竹の精”......

竹林というのは
何やら神秘的でもある。

お話ーー

竹細工人形師、喜助が初めて会った玉枝という女性は
まさに竹の精であった。
人形師の父が亡くなり、
芦原からわざわざ訪ねてきてくれたときのことだ。

生前、おとうはんにお世話になったとその女性は言った。
芦原で娼妓としている彼女を訪ねると病に臥せっていた。
”こんなところで働いていたら死んでしまう。
うちへきてくれへんか? と ”彼女を嫁にと告げる。

父の今度の命日までには竹神へくると言う返事だ。

村にも馴染み、穏やかに日は過ぎていくように思われたが、
いつまで経っても喜助は玉枝の手も握らない。
玉枝をモデルに精力的に人形作りに励むばかりである。
今では父を超えた人形師といわれるまでになった喜助である。

玉枝は自分は一体何だろうと喜助に問い詰めると
とても好きだが 母の様に思っているから今しばらく辛抱して、
ここに居てくれと懇願するばかりの喜助。

若い玉枝にとっては愛する男の温もりがほしい。
そんな時、京都で娼妓をしていた頃のお馴染みさんが
今は美術商の番頭をしているとかで、喜助のところへ訪ねてくる。

質素で、つましく 近所の評判も良い若妻であった玉枝だが
その男にあった途端 懐かしい話などしているうちに
その所作や話し方が一変して娼妓にもどっていることに
玉枝自身が気が付いていないようだ。
そして玉枝の身体に火がついてしまった


喜助は弟子も取り仕事も忙しい。
だが、弟子達が玉枝を慕うのを見て、心やカラだがうずくのを
押さえられない。
喜助は芦原へ、玉枝の妹分の娼妓を買いに出かけたが、
玉枝の悩みを知っていた娼妓は嘘か本当か
”あんさんのおとうはんと玉枝姉さんは清い仲どしたえ。”
と言う一言に喜助は家にとって返し玉枝に
”今日からわてらほんまの夫婦や”わけも言わず玉枝を
しっかりと抱きしめる。

が、玉枝のお腹にはあの男の子が宿っていた。

済まない、済まない、あんな純粋でやさしい喜助さんを
悲しませるようなことは出けへん。
申し訳ない。2度とあんなことはしたらあかんと
子を始末するため喜助に内緒で知り合いの産婆を訪ねるが
途中で具合いが悪くなり行きずりの老人に助けられ
子は川に流してやったと、淡々と話す老人はまるで
玉枝の全てを知っているかのようだ....。

ぼろぼろになった身体で、喜助の元へ急ぎ帰る。
今度こそ幸せになるんだと。
迎えた 何も知らない喜助はただ喜び、
横たわった玉枝の手を初めて握る。

その後幾夜にも渡る看病の甲斐もなく、
また 何も言い残さずただうっすらと笑みを浮かべ
玉枝は息絶える。"死なんといてくれやすおかあはん!
おかあはん”と玉枝の身体に頬をうずめる喜助。

喜助はその後ぷっつりと人形製作を止め、
生気のない日々を送り
3年後に玉枝の後を追った。縊死であった・


このボタンの掛け違いはどうだろう?と自分自身に問うてみた。

喜助が父の女を嫁にすると言うことは
最初から分かっていたことである。

それが原因で心の整理がつくまで
玉枝を抱けなかったのなら、
娼妓そのものに対してははどうなのだ?

喜助のその気持ちを玉枝に告げないのが
思いやりととるかどうか?
また、玉枝の頭で考える夫を慕うけなげな心の妻
とはうらはらに
身体は長年染み付いた 男を求める性(さが)。

子を身ごもった時に全てを喜助に話せば喜助を傷つける...
それともここを出ていかなければならないという恐れ?
どちらにしろ、お互いの思いはこの最期まですれ違ったままで、

玉枝は喜助の母として死んでいき、喜助は
玉枝を母と慕って死んでいった?

玉枝も苦しかった。
喜助も玉枝の苦しみを分かち持ってやることはできなかった。

哀れと言えば哀れであるが
あの臨終の時に玉枝は喜助の母になったのだと思う。
男女の愛よりももっと大きな愛で
喜助を包み込んだように思うのですが。

そして喜助は玉枝が死んでから玉枝を女としてみたから
三年も苦しみ狂い悶えて
女としての玉枝を
追って死んでいったと思うのですが。
結論は出さずにおきましょう。

原作では”私が死んだらあの 女竹 のそばに
埋めておくれやす。おとうはんのお墓が見える...。

この愛のドラマはちょっと奥が深いですねえ。
もう一度原作が読みたくなりましたね・

玉枝は喜助に魅かれてこの村へ来たというより、
その竹に魅せられたのかもしれない。

竹の特徴と玉枝のやさしさを重ね、
竹への思いが、ふーっとした言葉に出る玉枝の感覚は
水上さんの竹への思いであると思える。

そしてこの竹人形はあのケレン味という言葉で
表現させていただいた吉村公三郎監督だから
やはりドラマテイックで
いろんなことが凝縮されて、
また広がって見えるんですね。

におひ立つような色気とは若尾文子さんの為にある言葉ですね。

どうでしょう?

それぞれの愛の形、水上文学に登場する女性像、興味深いですね。

過去のブログで
《五番町夕霧楼》、
《湖の琴》そして
《雁の寺》と水上作品を
書いてきましたが
優しく、聖母のような《五番町の
夕子
情熱と純朴が同居する《湖の琴》の
さく、
妖艶でしたたかな
《雁の寺》の里子。

そして今夜のヒロイン
玉枝。

それぞれ今の現実では
存在しえない感じですが、共通しているのは
四人とも
身体を張って
潔く生き抜いていたということでしょうか。