《ベニスに死す》 ・世にも美しい少年・1971年度作品 ルキノ・ヴィスコンティ監督 | 吐夢の映画日記と日々の雑感

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好きなのは戦前のフランス映画です。

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こんばんは。

いつも読んで頂いてありがとうございます。



さて、



≪ベニスに死す≫

吐夢のページで

先に紹介したヴィスコンティの作品は

《山猫》、《夏の嵐》、

そして彼の作品で一番好きな 《若者のすべて》だったと思います。



《ベニスに死す》は

1971年度、ヴイスコンテイ65歳のときの作品です。



日本で言えば明治から大正になる頃の水の都、ベニスでのお話。



第24回カンヌ国際映画祭で25周年記念賞を受賞しました。



マーラーの交響曲第5番第4楽章アダージェットを一躍有名にした作品としても知られています。



作品の主人公、アッシェンバッハは

マーラーがモデルであるが、作曲家を作家に変えて描いている。



ルキノ.ヴィスコンティ監督は

ミラノ生まれ、イタリアの

貴族の家柄で、

幼少期からお城で育った。





映画との関わりは

シャネルの紹介で



監督ジャン.ルノワールと出会い、彼の助手として、

映画制作に携わったのが

スタートである。



リアリズム映画からの出発、貧困を描いた初期から

貴族を描くようになり

美と退廃にこだわってからも、その姿勢を変えることはなかった。



リアリズムに対する完全主義は偏執的と言えるほど徹底していて、

《山猫》でも

《ベニスに死す》でも

その姿勢を貫いている。



《山猫》での

エキストラには

本物の貴族を使い、また

《ベニスに死す》では

実在のホテルの内装を

すべて作り直すという

徹底ぶりであった。



とにかくもエネルギーに

驚かされる。



同じイタリアのフェリーニ監督を天才と

称するならば、

ヴィスコンティは

巨人であるだろう。



お話し。



ダーグ.ボガード扮するアッシェンバッハという作家が

蒸気船のデッキで読書をしておりました.



上品な初老の紳士です。

夏と言うのに首にマフラーを巻いて、ちょっと身体の具合が

悪そうな感じです。



その傍らでイタリア人たちがガヤガヤと騒いでおりました.

その中の一人の男。四十を過ぎていると思われるのに

なんと薄化粧をしています.

その光景を見たアッシェンはなんだか不快になりました.



船は港につき、ゴンドラに乗ってサンマルコに行き、そこでまた

乗り換えてリドに向かっています。



ホテルに着いて階段を上りかけると、メリー.ウイドウのなかの

ビリアの曲が遠くから聞こえてきました。



何となく落ち着いた気分になり、部屋に入ると窓の向こうに

夏の海が見えてきてやっと旅の疲れも癒されました。

着替えをしてロビーに降りると、ヨーロッパの金持ち連中が

いっぱい集っていました.



すると、またあのビリアの曲が今度ははっきりと近くから

聞こえてきました.



ふと前を見ると、なんとも言えない美しい少年がいました.

肘をソフアーにおき、指を頬に当てて、きどったポーズです.



最初アッシェンは顔に見とれていましたが、全身に目を移すと

13,4歳の男の子でした。



向こうにシルバーナ.マンガーノ扮するお母さんがいます。

反対がわに地味な衣裳の女教師、そしてお姉さんのような

二人の女性がいます.

この男の子だけが派手なフアッションです.

この少年をみたアッシェンはこれぞ”美”だ、これぞ芸術だ!と

感嘆しました。見とれて目が離れません。



美しいこの少年を眺めているとなぜか心が休まりました。

この紳士はどこかからだの具合が悪いのかもしれません。



美少年にビョルン.アンドレセンが扮しています。

タジオという名であることも分かりました



タジオはあちこち歩き回ります。アッシェンは後から

なにかに憑かれたように後をついて歩いてしまいます。



そのことをタジオが気づいたのではとふと思いましたし、

そんな自分がなんだか情けなくなりました。



滞在中はこの少年を眺め、心が安らぐのでしたが。.。



ある日,ロビーでタジオがピアノを弾いていました。

その曲には聞き覚えがありました。

むかし、ちょっとした浮気をした時にその女が奏でていた

メロデイと同じ曲でした。その女性と、この少年が同じ曲を

弾いているということになんとも言えない色気と言うか

肉感的なものを感じたアッシェンでした.



打ち消すように頭を振りながら部屋へ戻りました。



やがて自分が少年をつけているのを少年が感づいているのではないかと勝手に思い込みそばに寄るまいと思いました。



早くこのホテルから去ろうとしましたが生憎のアクシデントで

もう、1、2日ホテルで過ごさねばならなくなり、アッシェンは

喜びました。

ホテルを去るには後ろ髪をひかれていた彼ですから

自分の意思ではなく致し方なく残らねばならなくなった...

と自分に言い聞かせて。



ところがこの付近でコレラが流行りだし、彼はタジオがコレラに

かかって死んだらどうしようと気が気ではなくなった。



ホテルでも大騒ぎで病人が出て、

持ち物を焼くだの大変な事態です。

その炎を見ていてタジオと目が合いましたがタジオは知らん振りです。

かれの視野にアッシェンなど入っていないからです。



フロントで彼はあのタジオ達家族はいつまでここに滞在するのか

聞くと今日の午後発つと言う。



ホットした彼は散髪やへ行き頭をきれいにしてもらうと

若くなりましたね...と言われ若返りたいなあと言いました.



すると床屋は眉毛を眉墨ですーっと書いてくれました。

あの船の中で見た40男の顔そっくりになり、

あの時は嫌な気がしましたが

今はそれを喜んでいるかのようです。



胸にバラの花をつけ海岸に出ました・

あの少年の姿を目で追いましたが、

そうだ今日の午後ここを発ったんだとすこし淋しくなりました。



すると縞々の水着(海水着だね)を着たタジオが海辺に立ちました。



この綺麗な、キレイな少年の後姿をいつまでも後ろから見ていました。



そのうちアッシェンの額から汗が流れ出し、汗は化粧を流し

グロテスクな顔になりました。



そしてそこに倒れました。

漁師が抱き起こしました。がしかしすでに彼は死んでおりました。

タジオは自分を恋焦がれていたおじさんが自分の後ろで死んだことなどなにも知りません。



ただ海を眺めているだけでした。



有名な作家が亡くなったのです。

翌日の新聞には初老の大作家の死を報じるでしょう。

おそらく心臓麻痺だかなにかだと.



初老の大作家の死の前にこんなときめきがあったなど

誰も知りません。



死に直面していたから、こんな美への熱い思いが燃え滾り、

燃焼して死んでいった愛の姿、哀れさ怖さ、

見事なヴイスコンテイ作品でした。



ビョルンセンが美しかったですね。

そしてこういったストーリーがイタリアという風土だと

なんだかそれほどいやらしくもなく変に納得出来るんですよね。

1971年度キネマ旬報ベストテン第一位。


ヴイスコンテイ、まだ触れていない方は

是非ごらんになってください。