新年は 《オペラハット》で。1936年度作品 | 吐夢の映画日記と日々の雑感

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みなさま、あけましておめでとうございます。



今年は、ボチボチと

また、

好きな

懐かしい作品のことを



書いていきますので

よろしくお願いいたします。



さて、今日は

一世一代の名演技と言われた≪歴史は夜作られる≫の

ヒロインを演じたジーン.アーサーの登場です。



ご存知の方はフランク.キャプランの三部作、

≪オペラ.ハット≫や、≪我が家の楽園≫、

≪スミス都へ行く≫で

作品をご覧になっているかもしれません。



ジーン.アーサーは、

1939年の≪スミス都へ行く≫以降、

1951年の西部劇、

≪シェーン≫の淋しげな人妻役まで

長いスランプ状態にあったようである。



≪歴史は夜作られる≫では、

フランスからハリウッドと活躍していた重鎮

シャルル.ボワイエの軽妙且つ、重厚な演技の

相手役として一歩も引けを取らない演技で

それまでの多くのファンをうならせた。



履いていたヒールを脱ぎ捨てて彼とタンゴを踊る名シーンは

今でも頭に焼き付いている。



そして中年になって返り咲いた名作≪シェーン≫。

アラン.ラッドが馬にまたがり去っていく。

その後を少年が追っかけて

”シェーン.

カムバック!”と叫ぶシーンばかりが

クローズ.アップされがちですが、

シェーンの後姿を

影から淋しそうに見送る淋しげな人妻のジーンの

しっとりとした演技のほうが、

悪役.ジャック.パランスの存在感とともに

むしろ印象に残っている私でござります。



スターというよりも女優と言われる事を望んだように

彼女は自分にも厳しかったようで、作品を選び、

熟慮して撮影に臨んだと言う.



そんな彼女だからスランプも長く、≪シェーン≫出演後

数本をとり終えた後、テレビや舞台に活躍の場を移している。



さて、フランク.キャプラ三部作のうちの最初の一本、

ゲーリー.クーパーが人気上昇中の時の共演作、

   ≪オペラ.ハット≫を今日は取上げます。



まずは、彼女の経歴から。



1905年、ニューヨーク生まれ。

プロ写真家の父のモデルとして幼い頃から活躍する。



子役からハリウッドに入り、ジョン.フォードの

≪鉄骨カービー≫がデビュー作で評判となり、

順調にスター街道を歩む。



1936年に≪オペラハット≫に出演。

人気は不動のものとなる。



キャプラ監督との出会いにより、

スターとしてよりも女優として。。。。にこだわり、

最後まで演技者として自己鍛錬に励んだ女優である。



ニューヨーク生まれの都会的で洗練された雰囲気は

他の女優とまた違った天性の垢抜けた雰囲気が日本でも

人気を掴む結果となったようである。

声がかわいいんですよね。



   ≪オペラ.ハット≫





1936年   フランク.キャプラ監督。



ゲーリー.クーパー主演の最もクーパーらしい要素をもち、

キャプラお得意の社会風刺を、朴訥で純粋な

田舎の青年の人間らしい生き方を

当時の大恐慌の時代背景の中で描く。



10歳の時に、

リアルタイムで観た

≪昼下がりの情事≫での

ゲーリー.クーパーはその後、

アラン.ドロン様とめぐり逢うまでの私の恋人でした。



その彼クープ(クーパーの愛称)との共演です。



優しい目が印象的でそのころのアメリカ人の持つ

おおらかさを全身に醸し出すクーパーと

都会的で洗練されたジ-ン.アーサーの

組み合わせはしっくりと馴染み

キャプラの手腕により素晴らしい映画となりましたね。



ストーリー





ロングフォード.デイーズ(ゲーリー.クーパー)は

ある田舎町で油脂工場を共同経営しながら

絵葉書詩人としても知られ、

町のブラスバンドでチューバを吹いている夢想家である。



ある日、彼の叔父が交通事故で亡くなり、

遺産相続の権利が生じたと叔父の顧問弁護士が彼の元にやってくる。



彼は遺産の話に大した反応も示さなかった。



夢想家の彼は絵葉書きに詩を書くことや、

町のブラスバンドでチューバを吹き、

町の人たちと触れ合う生活に満足していた。



彼は悩める女性といつかめぐり逢い、

結婚すると言う夢もあった。



ニューヨーク見物が出来ると言う事で、

彼は

叔父の邸へと向かうのであった。



顧問弁護士は悪徳弁護士で、この田舎の若者を丸め込んで

残された遺産を自由に操ろうと数人で画策していた。





叔父には内縁の妻という人もいたが、

彼女もデイーズに渡った遺産を

何とかして巻き上げようと夫と画策していた。



都会の仕事に疎いデイーズではあったが、

ものの道理もわかる彼はシーダ弁護士の

思い通りには動かなかった。



ディーズは時の人となり、新聞各社は彼の人と成り、また、

今後の成り行きに大いに興味を持った。



彼についての特ダネを狙うある新聞社の編集長は



敏腕女性記者ベーブ(ジーン.アーサー)に、

名前を偽り、

不幸な運命の女性となって彼に近づかせ、

特ダネを掴ませようと動き出した。



ベーブは

デイーズが邸から出かけたところを、

邸の前でそぼ降る雨の中、

失業して内ひしがれた哀れな女を演じ、

彼に近づく事に成功した。



まずは腹ごしらえと。。。レストランに行った。



そこで詩人たちが集まるテーブルに気付いたが、

彼らは時の人ディーズを

からかおうと

絵葉書の話から彼をじわじわと褒め上げた。



笑いものにしようとしていることに気付いたディーズは

彼らの二人を殴りつけた。



そんな様子にベーブは記者としてではなく

女としてデイーズに興味を持った。

都会の人間が忘れているものを持っている好ましい人物として

彼女の目に映った。



記事は””シンデレラ男”という見出しで大反響だった。



仕事は仕事としてベーブは面白おかしく記事を書いた。



しかし、それを当然知らないディーズ。



それどころか、ディーズはベーブに恋してしまった。



ベーブも仕事と恋の板ばさみになり苦しみ始め、

彼に告白しようとした矢先に、

ディーズは真実を知るところとなった。



ショックを受けて沈んでいるところへ

失業したひとりの浮浪者が

彼の邸へ乗り込んできた。



何万人という失業者が

その日の食べるものにも困っているのに

パーテイーか!!!とピストルを向けた。



ディーズはベーブと一緒に食事をしようと

用意していた料理を彼に与えていて

ふと思いついた。



どうせもらう気のない遺産。



彼らのために使おうと。



巨大農場を作り、失業者を雇い、

三年でそれぞれが農場主になれるという

プロジェクトを発表し、失業者の面接を始めた。



しかし、悪徳弁護士達は

そんなことをされては困ると内縁の未亡人も巻き込んで

ディーズを狂人に仕立て上げ、逮捕、裁判となった。



原告の証人たちは

彼が今まで起こした行動をひとつひとつ変奇人として

立証し、まくし立てた。



傍聴席には失業者達がみんな傍聴していた。

今となっては彼を何とか救おうとベーブも

必死で彼がいかにまともで

すばらしい人物かを立証しようとしたが、



一言もしゃべらずに相手側の発言を聞いているだけのディーズは

不利で、

このままでは精神病院送りになりそうな成り行きであった。



彼が変奇人で

躁鬱のれっきとした精神病患者であると力説する医学博士や、

弁護士達。



裁判長は最後に述べることはと諫言したが、

彼は”ノー”というだけであった。



だが、

失業者達の"俺たちを見捨てるな”という言葉に奮起し、



ゆっくりとしゃべりだすのでした。



チューバを吹く事が変人なら、

演奏家はみんな変人か?というように。



そして裁判中に

彼はみんなの行動をじっくりと観察していて、

ひとつひとつ指摘し始めた。



裁判長は発言を聞いている間、

書類の丸印を塗りつぶしていた。



だれそれは似顔絵を書いていた。



だれそれは鼻をぴくぴくさせていた。



だれそれは指をぽきぽきさせていた。



自分は考え事をする時にチューバを吹く.

みんなそれぞれ癖はあるものだと。



田舎の彼の家の双子の老家政婦は

ディーズを変奇人と証言したが、



問い詰めると、自分たち以外は総て変奇人だというではないか。

これには満場爆笑で、裁判長さえ変奇人だと姉妹は言う始末だった。



事の成り行きに

悪徳弁護士のでっち上げは暴露され、デイーズの

パンチでノックアウトとなった。。。。。



デイーズとベーブはしっかりと抱き合うのでした。





クーパーの最もクーパーらしい

  アメリカの爽やかな青い草原のような

 キャラクターを

100%出しきり、

キャプラの貧富の矛盾を鋭く突く風刺とユーモアたっぷりの

名作であります。



キャプラ監督の作品に登場する主人公は

ある意味融通が効かない

誠実で頑固で

温かく、正義心に燃える

キャラクターが多い。

《我が家の楽園》にしても、《スミス都へ行く》にしても、《素晴らしき哉人生》でも

市井の多勢の人々が

応援してくれるんですね。誠実に生きていれば

人は見ていて応援してくれる。見終わった後の

爽快感、温かな気持ちにさせてくれる。それが

フランク.キャプラ作品ですね。



日本のアメリカ映画ファンは、

   (重厚なフランス映画ファンもしかり。)



恐らく、映画に

暗雲の兆しが

出始めた世相とは

全く関係ないところで

クーパーを愛し、米映画を愛したはずで、



こんなご時世にこんな映画をのんびりと作り続けていた

アメリカと

憎い敵国アメリカを

切り離して受け止めていたのではないかと

思ったのですが。



そしてこの頃から

アメリカ映画は戦争が終わるまで観ることは

出来なくなっていったことを知っていて欲しいと思います。



そして戦時中に作られた映画は戦後溢れるように公開され、

それを観た日本人は

こんな相手に

戦勝を上げる事を思っていた浅はかさを

知るのである。



1939年のあの名作≪風と共に去りぬ≫も

日本公開は戦後であります。



この昔から

一般日本人はアメリカ映画、アメリカ映画一辺倒で

こういう傾向は日本だけで、

欧州映画人は

アメリカ映画に対してそれほどの熱意はなかったようですね。


開拓精神とおおらかな人間性があった

よきアメリカがまだ存在したころの

作品ですね。




キネマ旬報外国映画部門ベストテン第三位

ジーン.アーサーの≪シェーン≫もいつか取上げましょう。