先週もバタバタし、いろんなハプニングもありましが
母は火曜日に無事に退院し
なんとか、どうにか
少しだけ日常に近づいてきました。


もちろん、以前通りではありません。

それは、倒れた母も、私も、主人も、子供たちも、わかっていること。

父が進行してしまった以上
以前の生活には戻れない。

ただ、悲観することは何もないようです。
第一に、みんな生きている。

そして、むしろ、無理に自立しようとして、
それぞれキャパオーバーになっていたこと
自分がどうしても不得意だったことが
これをきっかけに整理でき
負担より、お互いに楽になった部分の方が多くなったのでは、ないだろうか。

そう考えたら、自然に受け入れられる自分がいました。

父も、車のこと、心の整理ができてきたようです。

母も心の葛藤が、だいぶ整理できてきたみたい。

起こったことは、仕方ない。
あとは、みんな、ゆっくり、ゆっくり、受け入れていく、覚悟だけ。

人によってスピードは違う。
親子でも違う。


ゆっくりで良いよ。お父さん、お母さん。
昔から、兄貴より長男らしいと
親にも陰で言われ、親戚にも言われ育ちました。

嫁に行きました。

嫁に行き、この墓に入るんだと覚悟し
苦あり涙ありの20年近くを乗り越えました。

まさか、実家の一族の命、運命を
私が一手に担うとは、考えていませんでしたが
ここにきて、自分の与えられた役割を
認識せざるえません。

なんだ。
初めから、これを乗り越えるための
神様の試練だったのか。

そして、今の試練は、これからを乗り越える
一つのステップに過ぎないんだろうな。


どんなに病に世間が偏見を持とうとも
世間に何を言われても
私は自分も、自分の家族も
決して恥じません。

父も母も、精一杯生きて、病になったけど
それが何か?

そう思ってます。

看病も、介護も、子供や親と同居も、
したことない奴には
偉そうに言う資格はない。

ありのまま必死に生きる姿こそ美しい。


母は、病が世間にばれる位なら
父を連れ死にたいと言いました。

甘えるな。

子供のため、一族のため、決して、自分勝手に死なせはしない。

私は、どんな姿になろうとも、
決して家族や親を、恥じるつもりはない。


必ず、救ってみせる。


それが、私の生まれた役割。
ケアマネさんと、母親からのたっての願いで、
父親に、彼が一番辛いこと
(母親が不在の間、ドライブに行かさないよう、鍵を預からせてと言うこと)を
今日は、告げなければならなりませんでした。

父親は足が悪いので散歩や運動ができないかわり
ドライブだけが唯一の楽しみでした。
車を奪うことは、彼にとっての足を、もぐに等しい宣告です。

でも足以外にも、重篤な病を抱えている父親に、運転を許可するのは、
同時に私たちが、財産を失う覚悟をもたなくてはいけない、と等しいことです。

その場面に、飛んで帰ってくれた兄と、主人が同席してくれていました。

私が、ひとつ、ひとつ、かみ砕くように、父親は悪くない、病が悪いのだと、
父親が自分を責めないよう話し、
辛い現実を、告げなくてはならない場面を
黙って見守っていてくれました。

12時ごろ、実家の片づけを終えて帰り
持ち帰ったゴミの選別や、洗濯物を干しながら
私が嗚咽していると、主人がそばにきて、
辛かっただろうと、一緒に泣いてくれました。

兄も、この二日の、私の行動や言動、父親の病の現状を
初めて目の当たりにし、私が父親と対峙したとき、帰りの見送りで
一緒に泣いてくれました。


これからは、私達子供たちが、
父親と母親の苦しみを肩代わりする番です。

父親と母親は、この辛い役目を子供にさせまいと
今まで二人でひた隠してきました。

父親、母親
ありがとう。そして、ごめん。

二人の病は悲しい。
けど、でも、やっと親孝行ができる。
昔から私が入退院を繰り返し
二人には苦労させたけど
病を持つ二人の苦しみや不安を
私が一番わかってあげられる。

二人のおかげで、親を介護できるほど元気になれた。
一緒に泣いてくれる優しい旦那さんに会えた。

これを乗り越えたら、きっと、今までより楽をさせてあげられるよ。

やっと親孝行ができる時が来たよ。


だから、一つずつ乗り越えよう。

私、泣き虫だから、二人の見てないところで、
きっと、いっぱい泣くけど
絶対に乗り越えて成長してみせるから。

そして、もっともっと、親孝行するから。

だから、どうか、長生きして、私のそばに、いて下さい。