【悟り】悟りは、思考や感情がただ、起こるがままに起こっていて、どうもしようもないとの事ですか!? | 【ブッダの真の悟り、解脱を体現したい方のための専門指導】 世間にはびこる偽物の悟り、覚者達から離れ、自己の真相を体現したい方の場

Q、

悟りは、

思考や感情が

ただ、

起こるがままに起こっていて、

どうもしようもないとの事ですか!?

 

 

 

 

 

 

 

 

A、

思考や感情、感覚が

ただ起こるがままに

起こっていると言うのは、

思想、固定観念、思い込みです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生じては滅している、その過ぎ去った

思いや感情、感覚を


「いいも悪いもなく、

全て、ただ起こるがままに起こっている」


と、

そのように思想、考えであとから評価して、

もともと1枚でしかないのに、

分別して2枚に分けて、

思考や感情、感覚を

観察、

観照している者こそ、

取り上げて扱っている者こそ、

実体のない

仏道で消滅させるべき、

考え上の架空の自己、

自分、私です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「起こっている」

そのように取り上げ扱い、

言っている者こそが、

仏道で消滅させるべき、

考えそのものの、

観念そのものの、

考え上の物理的に存在していない

架空の自己、

自分、私です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

非二元・ノンデュアリティの人間達が

やたらに

「起こっている」

と表現していますが、

 

 

 

 

 

その思想こそが、

実体のない消滅すべき自己であり、

考え方そのものの、

観念そのものの、

存在していない自分、私なのです。

 

 

 

 

 

 

 

ですから、

「起こっている」

と言っている

非二元・ノンデュアリティの人間達は、

認識が完全に落ち切っておらずに、

悟りだと思い込んでいるだけであって、

事実は悟りぞこねか、

悟りとは全く違うものであり、

思考や感情、感覚を観ている私という、

実体なき自己がリンゴの固い芯の如く、

まだガッツリと残ってしまっているのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そもそも、

非二元・ノンデュアリティの人間達は、

現れては消えていく実体のない思考や感情、感覚が

「ある」

「起こっている」

と認め、思い込んでいます。

 

 

 

 

現れては消えていく

実体のない思考、感情、感覚を、


思考が起こっている

感情が起こっている

感覚が起こっている

 

 

 

 

 

と、振り返って相手にし、

本来は観念を2つに分けられないのですが、


考え方、観念そのものの実体のない自己、私、自分と、


実体のない思考、感情、感覚とに2つに分け隔て、

 

 

 

 

 

「起こっている」

と、もともと実体のないものを


「ある」

と認め、

認識して思ってしまった時点で、

実体は元からなくとも、なかなか消えてはくれません。

 

 

 

 

 

 

 

そして、

もともと最初から実体がない

思考、感情、感覚を

「ある」

「起こっている」

と認めてしまっているのですから、

思考や感情、感覚が

本当に実体があるとしか思えない

錯覚がもたらされ、

巨大に大きく膨らんだ錯覚にさいなまれ、

錯覚からもたらされる念に、

錯覚の思考や感情に脅かされ、

自身が潰されてしまうような感覚に陥ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

考え方そのものを、

考えそのものを、

思い込みそのものを、

人間的見解そのものを、

観念そのものを、


何かのメソッドや

思い方、

考え方、

観念を持ってして、

どうもこうも手放す事は出来ません。

 

 

 

 

 

 

 

 

それらを払拭するためには、

もともと実体がないものですが、

ブッダの真の坐禅修行の実践なき実践で、

正しく坐っていくしかありません。

 

 

 

 

 

 

 

そのために、

ブッダの真の如来禅があるのです。