Tunia: Spiritual Broccoli
プレアデスのチュニア: スピリチュアルなブロッコリー
「お花畑」だけで生きられますか?
自由意志、悪魔、二元論、感情の判断と魂からの答え
親愛なる兄弟姉妹の皆さん。チュニアです。
私は皆さんをとても愛しています。
今日は、多くのライトワーカーが信じている、美しく響く、気持ちの良い「お花畑」のような幾つかの物語とは異なる実際的な視点を共有します。
私たちは、「お花畑」のような物語は(この今の地球で物理的な人として生きている場合には)あまり役に立たないか、又は誤解されていて真実ではないか、或いは意識が高すぎる為に、人々を高揚させるどころか、人々の感情や認識と合理的に保持された信念の間に内的分裂を生じさせ兼ねないものだと考えています。
それで、私たちは今回のメッセージを「スピリチュアルなロッコリー」と名付けました。
つまり、野菜のブロッコリーのように、このメッセージは誰もが美味しいというものではないかもしれませんが、(栄養価に優れているので)非常に健康には良いものであると考えています。
勿論、私たちの意見に反対する事も大歓迎です。
いつものように私たちは、私たちの視点を共有しているだけなのです。
そして、いつものように、もしあなたが自分の魂にガイダンス(導き)を求めて、それが私たちの言うことに同意していない場合は、私たちではなく、自分自身の魂の声に耳を傾けてください。
ただ、全体的にライトワーカーは驚くほどよくやっていると私たちが考えていることは強調しておきたいと思います。
私たちは純粋に、皆さんにとても感銘を受けています。
確かに、このメッセージの中で語られるように、幾つかの事については異なる意見を述べるつもりですが、全体として、私たちはあなたたちが素晴らしいと思っていますし、信じられないほどうまくいっていると思います。
今回のこの記事は、以前の私のメッセージ動画でのコメント欄の非常に興味深いコメントに触発されて書いたものです。
書いてくださった方に感謝します。
そして、私たちとの意見の相違を表明してくださってありがとうございます。
そのお陰で、私たちはもっと学び、反省し、必要に応じて適切だと返答することが出来ます。
【『決して、ただ最悪なことが起こることはない』: しかし、他の人には自由意志があります】
そのコメントで主張されたことの一つは、ただ単に最悪なことが起こることは決してないということでした。
その代わり、起こることは全て、あらかじめ計画された明確な神の計画に従って自動的に起こる、或いは、少なくとも起こることの全ては、関係するあらゆる人たちの最高の利益の為に自動的に行なわれるはずだ、というものでした。
まず第一に、ソース(源)の観点からすると、人々に自由意志を持たせ、それを行使させることは絶対に重要なことです。
これは、人が他人に危害を加えるかどうかを自由に選択できるようにする必要があることを意味します。
そうです、この世に誕生前に(人生での関係者との)特定の合意はありますが、日常の小さな諸問題については、人々は他者に危害を加えるかどうかを自由に選択することが許されています。
従って、例えば、ジョンがトムを襲うか襲わないかを決めるような状況もあるでしょう。
しかしながら、ソースは、この強盗が行なわれるかどうかを事前に計画していません。
もしソースが事前に強盗を計画していたら、事実上、人々は自由意志を持たないことになるからです。
もし、誰もが行なおうとする事の選択の全ての行動を決めている計画があったとしたら、実質的に、自由意志というものは存在しないことになります。
では、ジョンが強盗をすることを決め、トムが、強盗であるジョンに襲われたとします。
これは自動的に神の計画の一部となるのでしょうか?
これは自動的にトムの最高の利益の為になるのでしょうか?
ええ、時にはそうだと言えるかもしれません。
例えば、これは生前にジョンとトムが合意した、今回の人生での協定だったのかもしれません。
その場合、互いに合意した通りに、トムの魂が、トムが強盗に遭うような時間や場所にいるように誘導したのかもしれません。
しかし、そうでない場合もあります。
強盗に遭ったトムにとって最悪なこともあるのですが、つまり、強盗に遭った人の魂が、この件について合意していないこともあるのです。
他方では、強盗をしたジョンには自由意志がありますね?
なので、ジョンはトムから奪うか奪わないかのどちらかを選択することが出来ます。
少なくとも幾つかのこのようなケースでは、誰によっても生前に計画されてはいません。
そして、ジョンの「強盗する」という選択は、日常的な言葉の定義に従えば、強盗に遭ったトムの「最高善」のためではありません。
ジョンが行なう選択によっては、従来の意味で、トムにとってより悪い結果を齎す選択があるのです。
しかし、場合によっては強盗に遭った方がトムにとって良い結果になる事もあるし、強盗に遭わない方が良いことかもしれませんが、トムにとっては多分どちらかが良いことになると思います。
ですから、この場合、トムにとって最善のことが起こるかどうかは、他の人の選択次第になります。
つまり、トムにとって最善のことが起こるかどうかは、他の人の選択に掛かっているのです。
従って、自由意志を信じるのであれば、人はその瞬間に、他人に危害を加えるかどうかを決めることが出来るということを受け入れる必要があります。
皆さんが現実の世界に住んでいると、場合によっては、その人の最高の利益のためではないこと、本当にひどいことが起こっていることに氣づくでしょう。
ソースはこのひどい事を明確に計画していたのでしょうか?
いいえ、私はそうは思いません。
ある人たちが単に「邪悪な選択をした為にひどい事が起こった」とするのが正鵠を得ています。
このように、時には物事がうまくいかない事もあります。
西側文明社会の人々は、少なくとも表面上は比較的平和で穏やかで安定しているように見える社会に住んでいます。
周りの人がほとんど理にかなっているように見えるなら、起こることはすべて最高善のために起こると考えるのは魅力的かもしれません。
しかし、世界には無法地帯もあり、利益のため、サディスティックな楽しみのために、公然と人々の自由意志を踏みにじったり、危害を加えて強盗する人々がいます。
そのような状況を見たり、被害者と話したりすれば、ほとんどの場合は被害者の最高の利益の為ではない事がすぐにわかります。
そして、勿論、西側文明社会にも、明らかに自分にとって最善ではないことが起こった人々がいます。
これは、私たちが過去のメッセージで、自分の意識を縮小して、幸せなことだけがその中にあるようにしないよう注意を促してきた理由でもあります。
幸せなバブルの中で生きる事は有効な生存メカニズムであり、確かに落ち込んだりするよりはましです。
ただ、それでは、ライトワーカーが現実世界に出ていって実際に苦しんでいる人たちと話す時間が増えれば崩れてしまうような、美しい響きの「お花畑」物語を信じるようになる可能性もあるのです。
もしあなたが、ほとんどの時間を高波動の人たちと過ごし、高波動のワークショップを行ない、高波動のメッセージを読んでいると、何にも反対する必要がなく、ただ全てを愛し受け入れるだけで、あらゆるものが完璧で至福の時であると思えるかもしれません。
しかし、この現実の世界を、闇の部分も含めて探究することに時間を費やすと、一部の邪悪な人々や存在が自由意志で選択したものが、他の人々を意図的にとても深く傷つけ、苦しみを引き起こしていることに氣づきます。
なぜなら高い意識になったあなたは、ひどいことをする人も、されている人たちも、結局のところ自分自身なのだと氣づくからです。
さて、苦しみも含めて、何もかもが1つの経験に過ぎず、全てが魂の成長に繋がると主張することも出来ます。
そして、苦しみから魂の成長を得ることは事実であり、魂が苦しみに抵抗しないことも事実です。
しかし、人間的、現実的な観点からすると、人は苦しみたくありません。
怪我をすることが100万ドル当たることと同じくらい嬉しいことだと会得している人は、地球上にほとんどいないのです。
あなたもまた、怪我が嬉しくないのであれば、すべてが自分の為にある、或いは自分を拡大する為にあるのだと合理的に思い込むことは、恐らくあなたの氣持ちを高揚させることはないでしょう。
それどころか、自分の素直な感情や認識と、合理的に考えることの間に、内的な分裂を生じさせるかもしれません。
その為、自分に起こりうる全てのことを純粋に等しく歓迎するという意識を体現するまでは、今は、「そう、物事は時には最悪だ」と認めることが最善の場合もあるでしょう。
一般的には、自分がまだ達成していない意識を達成したかのように振る舞うのではなく、自分が感じていることを感じ、それについて正直に話す方がよいでしょう。
通常、まだ達成していない意識を達成したかのように振る舞うことは、あなたを真に高揚させることはなく、むしろ事実とのギャップが内なる分裂を引き起こし、あなたの影を大きくしてしまうでしょう。
【『最悪なことは起こらない』:しかし、あなたには自由意志があります】
同様に、もしあなたが自由意志を持っていると信じているならば、不愉快な結果に繋がる選択をする能力があるという事にもなりますね?
つまり、何か不愉快なことが起こるのは、それが関係者の最高の利益の為ではなく、単にあなたがある決断をした為なのです。
例えば、匂いや見た目が怪しい残り物を食べる選択をして、それで病気になったとしたら、その病気は自動的に最高益になるのでしょうか?
いいえ、単にそれは食べた人の判断が甘かっただけかもしれません。
しかし、その場合、その怪しい残り物を食べないという選択肢もあったでしょうし、残り物を食べることで得られるメリットを享受出来ず、自分にとって最適とはいえない結果となってしまう場合もあります。
この「残り物を食べた結果、病気になる」という例は非常にわかりやすいですが、勿論、もっと微妙なケースで、自分の最高益・最高善にならないような結果を招く選択をすることも沢山あります。
このチャネラーは最近、棒を持った猿が寝ているライオンに近づいていく絵のミーム(インターネットで流行している画像ネタ)を見ました。
そのミームには、以下の、言葉があまり優しくないバージョンが含まれていました。
「全ての出来事には理由があり、そして、時にはその理由は、あなたが間違った決断をしたことである。」
確かにそうです。
そして時には、不愉快なことがあなたに起こるのは、他の人が自由意志で選択したことが、あなたに悪影響を与えるからです。
私たちは、物事が恣意的であったり、ランダムであったり、ただ起こるだけだと言っているのではありません。
しかし、あなたや他の人々が自由意志で選択した結果が、関係者全員にとっては必ずしも最善とは言えない結果になることがあると言うことです。
また、あなたがその時、賢明と思われる、或いはおそらく高潔と思われる選択をすることも勿論あり得ますが、でも、それが他人の自由意志による選択の為に、あなたが傷つくことに繋がることもあります。
例えば、暴力の反対と話し合いでの解決を訴えた人は、高潔なことをしたのに、その為にその人とその家族は「仕返し」の暴力を受けて傷ついた事例があります。
残念ながら、物事は時として最悪な結果を招いてしまう事があるのです。
また、自分に起こりうる全ての事が自動的に最高善の為になるかのように行動する人は、実際にはいないという事に注意してほしいと思います。
例えば、殆どの人が玄関の鍵をかけています。
では、なぜそうするのでしょうか?
もし、起こる事の全てが自動的に最高善の為になるのであれば、玄関の鍵は開けっ放しにしておけばいいし、もし泥棒に入られたとしても、それは自動的に最高善の為だったという事になりますね?
では、なぜ人は玄関に鍵をかけるのでしょうか?
このように、たとえばスピリチュアルが好きな人々の中には、「起こる事は全て自動的に最高善のために起こると信じている」と言うかもしれませんし、「最悪でもネガティブな事は決して起こらない」と言うかもしれませんが、それを言っている人たちの行動は、実際にはその言葉と一致していない事がわかります。
どんな言葉を発しようとも、大半の人は玄関に鍵をかけるものだからです。
また、人々は一般的に、危険と思われる他人を避けるものです。
そして、人は一般に、見た目も匂いも悪いがまだ食べられるかもしれない残り物を食べるリスクは冒さない場合が殆どでしょう。
橋が軋(きし)んでいて、今にも崩れるかもしれないような状態であれば、人は一般的にその橋を渡りません。
スピリチュアルな人々でさえも、強盗をした人に感謝しませんし、子供を虐待する人々を好みません。
それも自動的に最高の利益の為であるはずなのに、それらは嫌われるのです。
更に、私たちポジティブな銀河系の存在が「起こることは全て自動的に最高善の為になる」という原則を純粋に受け入れているならば、自分の星の軍隊も銀河連合艦隊も解散するでしょう。
しかしながら軍を解散すれば、勿論、実際に私たちは悪意の存在に侵略され、1ヶ月以内に私を含め、殆どの人が奴隷になるか死んでしまうでしょう。
だからこそ、私たちはそれをしないのです。
私たちは、起こることの全てが自動的に私たちの最高の利益の為になる訳ではないことを理解しています。
実際に悪が存在することを認識して、人を不幸にする悪なるものに積極的に反対しなければ、人々は悪に蹂躙されて苦しみ、そして自分の意思に反して死んでしまうからです。
ええ、神の知性は絶対に間違いを犯しません。
しかし、神の知性は、主にあらゆる存在に自由意志を持たせることを選択します。
つまり、自由意志を授かっている人は他者を傷つけるかどうかの選択権があり、通常、それらの選択の内の1つは、他の人にとっては悪い事です。
つまり、傷つけられた人の立場からすると、悪いことが起こることもあるのです。
もし、そう思わないのであれば、遠慮なく玄関の鍵をかけるのをやめてみることです。
これは、とりわけ氣分の良いメッセージではない事は解っています。
文字通り、起こる事のあらゆるものが最高の善の為にあるというのは素晴らしい考えではあります。
しかし、それが最もらしく良さそうに聞こえるからといって、自動的に真実であるとは限りませんし、聞こえの悪いことが常に偽りであるとも限りません。
今、自分にとって最悪な状況かもしれないけれど、その状況から学ぶと共に、大抵は恩恵を受けることが出来るというのを認識することが重要であり、そして自分の人生を創るのは最終的に自分の責任であるということを受け入れます。
私の考えでは、「最悪なことが起こることもある」「そこから学ぶこともある」「自分の人生には責任がある」という3つの考えを全て持ち合わせることが出来るのが最も健全だと考えています。
ある観点から見れば自分は被害者であり、自分にとって悪いことが起きたが、別の観点から見れば、他人が何をしようとしまいと、自分の人生を切り開いて形作るのは自分の責任であるという見解を同時に持つことは、被害者意識であるとは考えていません。
実際、私はこれが大人であり成熟した人間のあり方であると考えています。
仮に、悪いことが自分に起こったことを認めないのであれば、それは痛みを痛みとして感じるのを抑圧しているか、自分のインナーチャイルドから目を背けている可能性があるのです。
【悪魔】
これについては、私たちが以前のメッセージで述べたように非常に稀なケースですが、ソース(源)は、ソースの想定を遥かに超えて多くの苦しみを引き起こした特定の魂や特定の悪魔を、ソースに引き戻すことが出来ます。
それは、他の多くの人々を侵害する全ての存在が、自動的にソースの計画を実行している訳ではないからです。
一部の存在は、余りにも多くの苦痛を他者に与えている為、ソースは非常に特殊なケースとして、そのような存在を非創造(創造しなかったこと)にすることを選択できます。
悪魔とは、意図的にソースから自分を切り離した寄生的な存在です。
より強力な悪魔は、物理的であるか非物理的であるかの切り替えが出来ます。
悪魔は、地球人などのソースと繋がっている存在のエネルギーを吸い取ることが出来る限り存在します。
悪魔は地球の人間のように生まれるのではなく、エネルギーを吸い上げ続けることが出来る限り、いつまでも存在し続けることが出来るのです。
その為、老化したり、老衰で死ぬ事もありません。
これは、例えば一般的に、地球人や他の宇宙人種族のように従来の方法で生まれた(又は、テクノロジーを使って「誕生」した)ネガティブな銀河系宇宙人の種族とは対照的です。
ネガティブな銀河系宇宙人は一般に特定の種族に属し、特定の家族の一員ですが、悪魔はそうではありません。
悪魔はいつでも真に悔い改め、ソースに再接続する事を選択できます。
そうすれば、彼らは再びソースのエネルギーを得て、他の存在からエネルギーを吸い上げる必要なく存在できるようになります。
従って、現在「悪魔」である存在たちは、ソースに再接続しない事を選択しているのです。
そして、あなたが(自己の欲望と引き換えに)悪魔に魂を売った場合、通常は死後にあなたは悪魔に仕えるか、或いは霊界ではなくもっと暗くて低い次元に行くことになります。
理論的には、その闇の階層を上がっていき、最終的に独立した存在になることは可能ですが、それは長くて辛くて苦しい経験です。
とはいえ、悪魔が常に悔い改めてソースに再接続する能力を持っているのと同様に、より低い領域にいる全ての存在もそうすることが出来ます。
そういう意味では、悪魔に魂を売ることは最終的なことではありません。
しかし、魂を売った存在は、最終的に再び光に戻るまでには、非常に長い間暗闇の中に自らの選択で閉じこもってしまい、実際のところ、その長い間は自らの悔い改めで光に向かうという選択肢にさえ氣づかない事が往々にしてあります。
この為、これまでのメッセージでは、どんな存在も魂を悪魔に売らない限り、本来は輪廻転生が可能な不滅の魂であるため、(創造主に引き戻されて魂の創造が無かった事になるという)根本的な害を受ける事はない、と述べてきたのです。
コメント欄には、悪魔もソースの一部であり、悪魔に逆らうべきではないと主張する人たちもいます。
まあ、その通りで、悪魔であっても完全に(全てを包含している)ソースの一部です。
その部分には同意します。
全てはソースの一部なのです。
そして、はい、私は悪魔を無条件に愛しています。
また、他の人たちへも無条件に愛することを提唱していますが、その中には悪魔を愛することも含まれています。
しかし、悪魔の行動は破壊的なことが多いので、私はこのような悪魔の行動に反対し、悪魔がこれ以上害を及ぼさないようにする為に、悪魔に対して取られたある特定の行動を支持しました。
これは、地球の人たちが野生動物を憎むのではなく、襲ってくる野生動物から身を守る場合とあまり変わりません。
確かに野生のオオカミも神性の一部ですが、だからといって、それで彼らから身を守らないという意味ではないのです。
人間の命が救われる可能性が高いと考えるなら、野生のオオカミが入って来られないように柵を作ろうとするのではないでしょうか?
【二元論であること】
コメント欄には、以前のチュニアやハカンのメッセージは二元的であり、それは悪いという意味合いも含めて二元的であると主張されていました。
スピリチュアルな界隈でよく使われているような意味で二元的という用語を使用する場合、確かに私たちは悪魔について二元的です。
しかし、このメッセージを受け取っている人は全員、或いは殆ど全員が、玄関の鍵をかけること、歯を磨くこと、ホームレスにならないようにすること、飢えよりも食べ物があることを好むこと、などについて二元的であると言えます。
蚊やヒルや悪魔などの吸血虫や寄生する存在に侵されたくない場合、それもまた二元的です。
実際にところ、この地球解放のプロセス全体が二元的なのです。
私たちプレアデス人がここにいるのは、あなたを助けようとしているからです。
なぜなら、私たちはあなたが苦しんでいるよりも、あなたが自由であることを二元的に好むからです。
多くのライトワーカーが共同創造しようとしているこの新しい地球に対して、あなたも何か(このような地球を望んでいるというような)二元的な好みを抱いているでしょうか?
イエシュア、又はイエスは憑依された人を救う為に悪霊を追い出しましたが、これも二元的です。
地球上で史上最高ではないにしても最も偉大なマスターの一人であるイエシュアが、悪霊に対抗し、その悪霊を追い出すという二元的な選択をした事は明らかです。
私は、誰かがあるものを他のものより優先したり、人に害を及ぼすものから身を守ろうとする時はいつでも、それは二元論であり、従ってそれを悪いと言うのは特に有益ではないと思います。
この「二元論は悪い」という原則を一貫して適用すると、社会で正常に機能することは殆ど不可能になり、自分自身の基本的な生存条件を満たすことさえも不可能になります。
さて、皆さんの多くは、自分がソース(源)の一部であり、完全に非二元的であった頃の事を無意識のうちに覚えています。
そして、そうです、その当時は至福の時でした。
その為、今日の多くのライトワーカーたちは、肉体に転生していない非常に高い意識を持った存在たちの話を聞くのが好きなのです。
そして、それらの意識の高い存在たちが語るお話は、地球人類がソースの一部であり、二元論でなかった時のことを思い出させ、それがどんなに氣持ちの良いものであったかを教えてくれます。
しかし、私たち肉体を持つ存在は、非物質的な存在とは異なるあり方や活動を余儀なくされているのです。
殆どの場合、私たちは食べたり飲んだりしなければならず、身体が安全である事や健康である事を確認しなければなりません。
そして、その結果、私たちは、他の転生して肉体を持っている人たちの共同体の中で、多かれ少なかれ、機能的に活動する為にやるべき事や把握すべき事、避けるべき事が増えてしまいます。
ですから、私たちが肉体を持っている限り、完全な非二元にはなれないのです。
もし非二元論を貫くなら、私たちはすぐに脱水症状などで死んでしまうでしょう。
そうならない為に、私たちは飲んだり食べたりしなければならないし、ええ、誘惑に負けて悪魔に魂を売らないようにしなければならないのです。
まさにそれは(あれかこれかを選択しなければならず)二元論そのものですが、肉体の自分が生き続ける為に積極的に行動すること自体が二元的になっています。
更に、この物理的な現実も二元的だったりするのです。
私たちはソースと繋がっていますから、ソースから基本的な生命エネルギーを受け取っています。
悪魔はソースから切り離されている為、他人から盗むことでしか生命エネルギーを得られません。
加えて、悪魔は自分が変われることを知っていながら、それを拒否しています。
これら2つの存在のあり方には、根本的な違いがあります。
しかし、この違いを指摘したり、捕食者から身を守ったりするのは二元的だと思いますが、それは物理的な現実が時に二元的だからであり、よって物理的現実で機能するには二元的でなければならないのです。
また、闇を見ようとしない人は、(自分の内外にある闇を認識できず、つまり分離を統合できていないので)光を十分に受け取ることは出来ません。
そして、もしあなたが実際に闇を覗いてみるなら、ただ漠然として一般的でふわふわとしたお花畑のような「全ては神である」という考えとは対照的に、そこには非常に破壊的で、非常に利己的で、非常にサディスティック(加虐的で残酷)な存在がいることにはっきりと氣づかされるでしょう。
それによって人々は、そうした存在から守られるべきであると思うようになると思います。
メディアや一部のスピリチュアルな人々によって、皆さんに必要なのは愛だけで、愛を与えればどんな邪悪な存在もすぐに理性的になり、利己的でなくなる、或いは、自分の波動周波数を十分に高くしておけば、どんな悪人も自分を傷つけることはない、というメッセージが流布されています。
残念ながら、これも真実ではありません。
悪はちょっと意地悪なだけではありません。
悪は悪なのです。
私たちポジティブな銀河系存在は、常備軍を維持したいから維持するのではなく、そうしなければ侵略されてしまうから維持しているのです。
そして、私たちの波動エネルギーを高く保つだけでは十分な防御にはなりません。
どんなに愛情を注がれても、機会があれば絶対に罪のない人を傷つける存在が残念ながら沢山いるからです。
なので、物理的な現実で機能する為には二元論でいる必要があり、個人的な利益の為に他人を傷つけたりしない存在がいる一方で、平氣で危害を加える存在もいる事を認めなければならないのです。
もし、ある特定の地球ライトワーカーや私たち銀河系存在、天使などが、ある種の悪魔や敵対的な地球外生命体に対して行動を起こさなかったとしたら、更に何百万人もの人々が今日、死んでいたでしょう。
スピリチュアルな人たちの中には、悪魔などに対抗したり、侵略してくる存在に対して行動を起こしたりするのは好きではないと言う人もいるかもしれませんが、それでは何もせず、その結果、何百万人もの人々が更に命を絶たれてしまうという選択肢を選びたいのでしょうか?
このように問い掛けると、皆さんは、「文字通り責任が無く、存在し続ける為にやらなければならない事も無い非物理的な存在からのメッセージ」に比べて、あまりいい氣はしないであろう事は理解しています。
しかし、肉体のある皆さんや私たちは、単に非物理的な存在とは異なる状況にいるという事です。
私たちの状況は、彼らのように快適でも便利でもありません。
なぜなら、物理的形態で自分が生き続ける為に積極的に行動すること自体が二元的だからです。
物理的に(肉体に)転生しているのですから、非物理的な(意識エネルギーだけの)存在のように行動する余裕はないのが現状です。
別の言い方をすると、地球人は以前はスピリチュアルな億万長者(ソースの非二元的、非物理的な部分)であり、今はそうではありません(物理的に転生しています)。
地球人は時々、スピリチュアルな億万長者(非常に高い波動の非物理的存在)に近い人たちの話を聞くのが好きです。
そして、それは絶対に価値がありますから、あなたはその非常に高い波動の非物理的存在からのメッセージに耳を傾け続けるべきです。
しかし、現時点に於いて、あなたは億万長者ではないということを心に留めておくことが重要です。
肉体を持たないスピルチュアルな億万長者にとっては氣にする必要はありませんが、地球では不快なことがありますから、今現在のあなたは、それらがある事を覚えておく必要があるのです。
今、あなたは物理的に転生していますから、非物理的な存在が氣にする必要のないこと、例えば、機能的な人生を送る為のものを二元的に選択することなどが必要です。
つまり、肉体に転生している間は、非物理的な存在が出来るような行動をする余裕がないという事です。
あなたがソースの非二元的で非物理的な部分だった頃は、悪魔と取引しない事や、悪魔を追放する事について考える必要はありませんでした。
ですから、悪魔に対抗するメッセージよりも、非二元論で至福の時を過ごすというメッセージを受け取る方が、あなたにとってより心地良く感じられるということは解ります。
しかし、あなたが肉体的に転生している間は、機能的な生活を送る為に、二元的なものを氣に掛けなければなりません。
そして、たとえば私たちが言うような悪魔に関することを無視できるとお考えなら、ある程度は可能でしょうが、それは他の地球人のライトワーカーが悪魔から人間を守る為に非常に勤勉で勇敢であったからに他なりません。
もし、地球人のライトワーカーが悪魔に対しての対策を講じていなかったら、地球上での生活は今よりも遥かに苦痛に満ちたものになっていたでしょう。
それは、野生のオオカミから自分自身を守るのは二元的だから嫌だと言いながら、実際には野生のオオカミから身を守る為に努力して柵を作った人の恩恵を受けているようなものです。
また、非物理的な高次のマスターの真似をすれば、この二元的な現世の人生についてのマスターを獲得するステップを省略できるかというと、それも真実ではありません。
そうではなく、まずは人間のマスター、たとえばイエシュアのような、悪霊を積極的に追い出して対抗した人のレベルに到達する必要があります。
そして、その人間のステップをマスターして初めて、いつかの日か非物質的な存在となり、非二元性の中で至福の時を味わう事ができ、敵対する悪魔を氣にする必要のない存在になることが出来るのです。
勿論、必ずしも悪霊を追い出す必要はありませんが、スピリチュアル的に成長し続けるには、二元的な世界で「本氣で取り組んで」マスターを獲得する必要があります。
実際、あなたが最初にソースからの分離を選んだのは、まさに二元的な世界で、実際に自分で腕まくりをして一生懸命やってみたいと思ったからです。
同様に、ハカンも彼のメッセージの「ハカン:ソースに奉仕する」の中で、地球人類がソースに奉仕するのを約束することについて示唆しています。
しかし、誰もがそのメッセージを氣に入った訳ではありません。
そして、あなたがソースの非二元的な部分だった頃は、「私はソースに奉仕しています」と言うのは(それは全く当たり前の事なので)わざわざ言わなくてもいい事であるのは勿論です。
しかしながら、今のあなたは物理的に転生した地球人です。
物理的に転生した地球人は、再び物理的に転生しない非二元的な存在モードに入る前に、段階を踏んで、まずは今ここの人間として地球のマスターになる必要があります。
多くの地球人が現在、ひどく苦しんでいますが、「あなたは彼らであり、彼らはあなた」なのです。
それゆえ、腕まくりをして、時間をかけて彼らの手助けをすることは、絶対に意味のあることです。
その為には、まずは自分の人生を安定させ、人々を支援する為の能力を身につける必要があります。
そうしてあなたは、まず人々を助け、それによってこの二元的な世界で自分の汗を流し、実際にアースマスターになるというステップを省略することは出来ません。(あなたはそれをやろうと自分で決めてきたのですから。)
このようにして、あなたがソースへの奉仕(ソースに仕えること)に向き合うならば、より実効性を上げて人々を支援することが出来ます。
これは単なる机上の空論ではなく、現実の世界で真実である事がはっきりと観察できるものなのです。
しかし、いつものように、選択するのはあなた自身であり、何事もあなた次第です。
ソースが人々の自由意志を侵害することなく、ソースの意志を顕在化させる大きな方法は、人々が自発的にソースに奉仕する(仕える)ことを決めることです。
もしソースに自発的に仕える人が誰もいない場合、ソースの意志はどのようにして実際の現実世界に現れるのでしょうか。
実際に地球人類が自発的にソースに仕えることを選ばなかったとしたら、たとえば今日でも悪魔はそこにいて、新しい支配構造を作り、より多くの人間を苦しめていただろうからです。
あなたが、世の中にある多くの苦しみに心が痛むなら、その大部分は悪魔によって計画され、実行されたものなのです。
【氣分の良いメッセージは、必ずしも真実ではない】
さて、多くの人は、気分が良いメッセージは自動的に真実であり、自分のスピリチュアルな成長に役立つに違いないと考えていて、気分が良くないメッセージは自動的に偽りであり、スピリチュアル成長にそれほど役立たないだろうと考えています。
しかし、これは単に事実ではありません。
たとえ、過去の非物理的な存在形態でいる時にスピリチュアルなことが何でも可能だったので「スピリチュアルなブロッコリー」を食べる必要がなかったとしても、今現在は、この誰かにとって最も役立つメッセージである「スピリチュアルなブロッコリー」を食べることを検討するべきだということです。
もう一度おさらいしますが、「スピリチュアルなブロッコリー」とは、野菜のブロッコリーのように、このメッセージは誰もが美味しいというものではないかもしれませんが、(栄養価に優れているので)非常に健康には良いものであるとされるメッセージのことです。
私たちは、皆さんの多くが、ソース(源)の非二元的な非物理的部分であることをいささか情緒的に懐かしく想って恋しがっている事を理解しています。
それは共感できますが、だからといって、物理的に転生した人間でありながら、ソースの非二元的な非物理的部分のように振る舞うことが賢明だという事にはなりません。
確かに、あなたの感情は一般的に理性的な心よりも正確なコンパス(羅針盤)であることは事実ですが、だからといって、感情が完璧なコンパスであるという事は問題ではないのです。
残念ながら多くの人は、何かに対して強い嫌悪感や抵抗感を感じると、それは直感であると考えています。
しかし、通常は、そのような強い嫌悪感や抵抗感は直感ではありません。
そのため、私たちは、何が真実かを知りたい場合は、自分の氣持ちや感情に耳を傾けるよりも、自分自身の魂に尋ねる事をお勧めします。
結局のところ、他のスピリチュアルな人たちは、自分にとって氣持ちの良いと思う事に従うことが多く、その結果、宗教的なカルトやひどい人間関係に陥ってしまったり、明らかに真実ではないことを信じてしまったりする事もあります。
同様に、あるスピリチュアルな人々の中は、自分の内なる導きを信じていて、トランプが悪者である事を知っていると言う人もいれば、他のスピリチュアルな人たちは、自分の内なる導きを信頼し、トランプは善人だと知っていると言いっています。
そうして、氣づかないうちに、自分の感情に惑わされている人たちもいるのです。
このことは、大多数の人々にとって、自分にとって良いと感じることが自動的に真実や有益であるとは限らず、一方、自分にとって氣分が悪いと感じることが自動的に偽りや有害である訳でもない事を物語っています。
これは、今このメッセージを受け取っている大半の人々にも当てはまります。
殆どの人は、自分の感情を間違いのないコンパス(羅針盤)として使うことが出来るほど、まだ純粋ではありません。
その為、「良い感じたから」という理由でメッセージを信じたり、「悪い感じだから」という理由だけでメッセージを拒否する事はお勧め出来ません。
その代わりに、自分の魂に導きを求め、最初に出てきた言葉に耳を傾けることをお勧めします。
たとえそれがあなたのいつもの内なる声のように聞こえるとしても、それはあなたの魂の答えだからです。
とは言うものの、このメッセージでは、時間を費やして「悪魔もソースの一部なので悪魔に逆らうべきではない」との理由から「悪魔に対抗することは悪いことだという考え方」に反論してきましたが、私は決して、悪魔に対抗することがライトワーカーにとって最優先されるべきことだと言っているわけではありません。
代わりに、私たちはライトワーカーに、以前のメッセージで既に述べた以下の実践を主に提案します。
自分の考えや感情をジャッジ(判断・批判)せずに観察する、深くゆっくりと呼吸する、自分の魂に導きを求める、他の人に親切である、無条件に愛する、本物であるなどです。
そして勿論、私たちは瞑想など、多くの地球のスピリチュアルな実践にも賛成しています。
私たちにとって、これらのことは悪魔に対抗するよりも重要なことです。
その為、私たちは常に自分の思考や感情をジャッジせずに観察することを繰り返し提案していますが、悪魔を追い払う方法については何も説明や指示をしていません。
率直に言って、地球上の悪魔の状況は、勇敢で優れた一部の地球人ライトワーカーの勇気ある卓越した働きのお陰で、ほぼ完全に制御されています。
実際、私たちは、地球のライトワーカーは類まれなる素晴らしい存在であると考えており、これは悪魔への対応だけでなく、他の多くの事からも色々な意味で、地球のライトワーカーは凄いと思います。
結論的には、悪魔に対抗する事が最優先事項ではなく、心を落ち着かせる事、自分自身と他者に対する愛、そして自分の魂に従う事がより重要だと考えているのです。
終わりに :
私たちは勿論、私たちの視点を紹介する事で、それをここで皆さんと共有しているだけです。
よって、皆さんが私たちと意見が異なることは大いに歓迎します。
私たちは基本的に皆さんの能力がアップすることを目指しており、私たちの言う事を盲目的に信じるよりも、むしろ、能力を発揮させた地球人が私たちと意見を異にすることを望みます。
私たちの言葉について様々に考察し、意見を述べて頂いて感謝しています。
もし、このメッセージのどこかに同意できない部分があれば、コメント欄でそれを共有して頂ければ幸いです。
その事についても、私たちは純粋に興味があります。
私はライトワーカーたちが全体として驚くほどよくやっていると思います。
皆さんを心から愛し、尊敬しています。
私は地球のライトワーカーたちとは、殆どのことで同意しています。
世界にはまだこれだけ多くの闇がある中で、地球のライトワーカーたちが光を見つけ、最も重要なことも既に認識していることはとても印象的だと思います。
皆さんは、本当に素晴らしい仕事をしています!
私は皆さんが、何を思い、何をしようとも、無限に、無条件に皆さんを愛しています。
チュニア
出典
YouTube
YouTube(英語原文)
チャネリング:A.S.さん
日本語訳:Nao
訳注:内容的に重複する文やセンシティブな言葉・文章については、省略したり他の表現に置き換えて翻訳しています。