「優しい人が苦しんでいる姿を見るのは、こんなにもつらいものなんだ」と、初めて思った出来事がある。

高校を卒業して入社した会社で、ひときわ印象に残っている人がいた。
通勤に2時間近くかけながら、いつも私より早く出社している人だった。

その人の「おはようございます」という一言は、どこか温かくて、朝の少し重たい気持ちをやわらかくしてくれた。

営業の仕事をしていたその人が、ある日ミスをした。
上司から厳しく注意を受け、取引先にも電話越しに何度も頭を下げていた。

夜7時を過ぎても席に残り、仕事を続けていた。
その日、何時に帰ったのかはわからない。

それでも翌朝、いつも通り早く出社し、何事もなかったかのように仕事をしていた。

その姿を見て、胸が苦しくなった。
優しくて、いつも周りに気を配っている人が、苦しそうにしている。
それをただ見ていることしかできない自分が、どうしようもなく嫌だった。

あの頃の私は、自分のことで精一杯だった。
周りに目を向ける余裕なんてないと思っていたけど、本当は違ったのかもしれない。
ただ、向き合うことから逃げていただけだった。

この出来事をきっかけに、困っている人を見ると放っておけなくなった。
大したことはできなくても、せめて少しでも力になりたい。
そう思うようになった。

あのとき、言葉にすることはなかったけれど、
「誰かの心を少しでも軽くできる人になりたい」と、静かに思っていた気がする。

今の高校生は何を考えているのだろうか。

私が高校生だったとき、何を考えていただろうか。恐らく考えてるようで考えていなかったと思う。

今の高校生も。

先生になって思った。先生の思いは生徒に伝わっているようで、伝わってない。

言いたいことはわかるし、理解はしてるけど動けない。まだ大丈夫だと思って。

先生もそう。まだ高校生、10代だから大丈夫、そう思っていると思う。

でも、一つだけ大きく違うことがある。

それは、「大丈夫」という言葉の重量。


生徒の「大丈夫」は重いけど、まだ片手で持ち上げられるくらい。

先生の「大丈夫」は重いけど、片手では持ち上げられない。両手で力一杯あげられるかどうか。


この重さの違いを均等にすることが教師の役割なのかもしれない。

雲がかっていた空から、

優しい日差しが差し込んできた。


まだ光は弱い。

冬の空のように。

でも、どこか前向きで、必死で。

未来を照らしているようだ。


これから空気が暖かくなり、

力強い日差しが降り注ぐ。


その空気と日差しを味方に

上を向き、前に進んでいきたい。

久しぶりに空をみた。


ついこの間まで緑と青だった景色に、いつのまにか赤や黄色が増えていた。これからどんどん色が薄れていく季節がやってくる。


ずっと下ばかり見ていたから、気づかなかった。

人生で気づかないことなんて、数え切れないくらいあるだろう。それでも、身近な、大切なものの変化にだけは気づける、そんな自分でいたい。


下を向いて泣くんじゃなくて、上を向いて泣きたい。それだけで涙の意味は違ってくる。


上を向いて、生きていこう。

皆さんは誰に想いをぶつけていますか。

そもそもぶつけられていますか。


少し言葉が乱暴かもしれないが、想いは伝えるんじゃなくて、ぶつけないと届かないと思います。


人に触れただけでは転ばないのと同じ。

ぶつかったら、相手は倒れます。

でも、思いっきりぶつかろうとする時、恐怖が最初に襲ってきます。


ラグビーは相手に果敢に立ち向かっていくのが醍醐味。選手は思いっきりぶつかっていきます。

恐怖を感じながらも立ち向かっていく姿に人は心を打たれます。


日常の中でも、想いをぶつけたい相手はいると思います。色々なことが頭をよぎり、ぶつかる寸前で急ブレーキをかけてしまう、そんなことが多々あると思います。


それでも、一回ぶつかってみてください。

きっと受け止めてくれる人が現れます、きっと。