「忘却剤を作ってほしい?」
「えぇ、あなたにとっては簡単なことでしょ?過去に一度は作ったことがあるのだから」
朝早くに、アンナが部屋を訪ねてきたことだけでも驚きなのに、さらに思いもよらない依頼をされ、ゼノンは戸惑った。
「一体何に使うつもりなのですか?」
「メグミに、飲ませたいの」
「なっ!」
冗談かと思った。
しかし、アンナの様子はいたって真面目だ。
ゼノンはもちろん首を横に振った。
「どうしてそんな!絶対にダメです!」
「なぜ?」
「なぜって・・・あなたはメグミさんのご友人でしょう?なのに忘却剤を飲ませて、メグミさんを苦しめるつもりなのですか!?」
「苦しめる・・・?誤解しているわ。私はこの物語のしがらみから、メグミを解放したいと思っているのに」
「どういうことです?」
「ファンタジーワールドに来て、彼女がどれほど危険な目に遭ってきたか、あなたが一番よく知っているはずよ。それはメグミが主人公になってしまったのが原因。だから私のように、主人公をやめさせたいの」
「しかし、もう魔族との戦いは終わりました!物語は佳境に入っているのでしょう?これ以上メグミさんに危険が及ぶことはないはずです」
「私はファンタジーワールドの作者よ。これから何が待ち受けているのか、どんな結末を迎えるのか、私はすべてを知っているわ。この意味がわかる?」
「まさか、メグミさんの身に、また何か起ころうとしているのですか?」
「私はそれを阻止したい。ゼノン、あなたも彼女が苦しむ姿をこれ以上見たくはないでしょう?それに、メグミが主人公をやめれば、元の世界に戻ることもない。このままこの世界で一緒に過ごすことができるわ」
それは、ゼノンが最も切に願っていること。
心が揺らいだ。
・・・でも。
「メグミさんはそれを望むでしょうか・・・?」
「現実世界の記憶をなくすだけよ。この本の中を、自分の世界と認識させれば、彼女は主人公をやめられる。現実世界に戻りたいとも思わなくなるわ。あなたが本当にメグミのことを大切に思っているのなら、何をするべきかよく考えて。後は、あなた次第」
アンナはゼノンに材料の入った袋を手渡した。
「メグミを救ってあげられるのは、あなただけよ。ゼノン」
そう言い残し、アンナは西塔の部屋を去った。
ゼノンは袋を持ったまま、しばらく扉の傍で立ち尽くしていた。
「ねぇ、さっきの女の子が例の?」
部屋の奥からアガレスが飛んできて、肩に止まる。
「えぇ、そうです。メグミさんがあなたに話した物語の作者。私たちの生みの親です」
今度は黒猫のカノンが足元にやって来た。
「おい、まさかあいつに言われたからって、忘却剤をほいほい作ったりしねーだろうな」
「アンナさんは、メグミさんのためだと・・・。この先にある危険なこととは、何なのでしょうか。メグミさんを守れるのなら、正直わたしは、何でもしたいと思っていますが・・・」
「だからって・・・。アメリア姫の一件で、忘却剤のことはもう懲りてんだろ!あれは禁断の黒魔術だ。ご主人があれの危険性を一番分かってるはずだ!」
「確かに。国を支配しようとして、ジルオールにも使われたくらいだもんね。忘却剤作りなんて、悪い魔術師がするもんだよ。まぁ、主人の魂の美味さが増すから、悪魔にとっては大歓迎だけどね」
「アガレス、お前は黙ってろよ。これは俺様とご主人の問題だ」
二匹が言い争っている横を通り過ぎ、ゼノンは奥の部屋へ入ろうとした。
「ご主人!まだ話は終わってないぞ!」
「もう決めました。これで最後です。集中するので、どうかカノン、わたしの邪魔をしないでくださいね」
カノンは駆け出したが、ドアが閉ざされた。
「くそっ!!またかよ!バカ野郎!!」
西塔の部屋に、カノンの叫びが虚しく木霊した。
その頃、教会に戻ったアンナは部屋のベッドに座り、高鳴る胸を押さえていた。
これでいいわ・・・。
過去のことで、かなり葛藤があるみたいだけど、私の言葉は確実に芯に刺さったはず。
ゼノンは必ず忘却剤を作るわ。
私は知ってるもの。ゼノンの心の弱さをね・・・。