真夜中。西塔では、ようやく、ゼノンの部屋の扉がガチャリと開いた。

 

集中しすぎたのか、少し顔に疲労を見せながらも、ゼノンは満足気だった。

 

「ご主人、まさか作っちまったのか?」

 

「えぇ。心配はいりませんよ、カノン。皆が起きる前に、アンナさんをここへ呼んで来て下さい」

 

「バカなこと言うな!誰が呼んでくるかよ!!メグミは元の世界に戻るべき存在なんだ!ここに留めておくべきじゃない!!分かってるだろ!」

 

「分かっていますよ。さぁ、お行きなさい」

 

ゼノンの目が怪しく光った。

 

それを見ていたアガレスは、彼がカノンに『言葉縛りの術』をかけたことがすぐに分かった。

 

ジルオールもラシュディ王子に対して使っていたからだ。

 

カノンは言われるがまま、小走りにアンナの元へ急いだ。

 

「こんな夜更けに、どうしたの?早朝には仕事があるから、手短に願いたいわ」

 

カノンに連れて来られたアンナが眠たそうに目をこする。

着替える間も与えられなかったのだろう。

薄手のネグリジェにブランケットを羽織っていた。

 

命令を果たしたカノンは正気を取り戻していたが、今度は体が動かなかった。

 

「それはすいません。早くこれを見せたくて」

 

ゼノンはアンナの目の前にカップを差し出した。

 

「うそ。忘却剤、もう完成させたのね!ゼノンなら作ってくれると信じていたわ。早速今日にでも、メグミに飲ませるわね!」

 

一気に目が覚めたように、ぱぁっと明るくなるアンナ。

 

―思ったとおり。

ゼノンは心の弱い存在。

自分の一言で、簡単に操ることができる。

忘却剤さえあれば、あとはこっちのもの。

 

アンナが受け取ろうと手を伸ばした。

 

が、ゼノンはカップを引っ込めた。

 

「・・・どうしたの?早く頂戴」

 

「あなたは、この忘却剤を飲ませたら、メグミさんを苦しみから解放できると言いました。でもわたしは、どうしてもそうは思えません。わたしには、アメリア姫に同じことをしようとして、ひどく後悔した経験があります。あなたに、同じ過ちを犯してほしくはない」

 

ん?この流れ・・・。

ゼノンが迷っている?

そんなバカな・・・!

 

「何を言うの?過ちではないわ!!私はメグミを救いたくてっ!」

 

「忘却剤はなんの解決にもならない!!本当に救いたいと思うなら、もっと彼女を信じてあげるべきです!!」

 

ゼノンは、持っていた忘却剤を一気に飲み干した。

 

「え・・・!?」

 

「ご主人!!?」

 

「ダメ!!うそでしょ・・・!?」

 

アンナも、カノンもアガレスもゼノンの行動に絶句した。

 

「大丈夫です。この忘却剤は、わたしの頭から禁断の魔道書に関することを消し去るよう調合しました。もちろん、禁断の魔道書自体も焼却済みです。“これで最後”と言ったでしょう。もう忘却剤を二度と活用は出来ません。あんなものがあるから、人は惑わされ、過ちを犯す。アンナさん。これがわたしの答えです」

 

この瞬間、カノンもアガレスも身動きが取れるようになった。

 

アンナは力が抜けたように、その場に座り込む。

 

ゼノンはアンナを見下ろした。

 

「メグミさんは強い。この先にどんなことが起ころうと、今までのように乗り越えていくはずです。そもそも、あなたが物語の内容を知っているなら、友人としてメグミさんに警告できるのではないですか?」

 

アンナにそれができるはずもない。

 

もう物語はメグミを中心に進んでいる。

 

もはやアンナにも先のことは分からないのだ。

 

今までのゼノンに対する交渉材料は、すべてハッタリだった。

 

ゼノンに正論を言われ、アンナは言い訳できなくなった。

 

「ゼノン、あなたもそうだわ。メグミの影響を受けて、心が強くなってる。作者である私の言葉にも揺らがないくらいに・・・。本来のあなたは、意志の弱い、不安定な存在だったのに」

 

「何を言い出すのです?」

 

「変わったのはあなただけじゃないわ。シルフィは主人公とは犬猿の仲で、むしろ物語の進行を妨げる役割だったのに、今は協力して一緒に戦う仲間になった。エルーシオは姫を守るために周りと壁を作る堅物だったのに、今は自分以外の人間を信じて、姫から離れて戦うようになった。メグミが、私の物語を自分の物語として進めている証拠よ」

 

「アンナさん、あなたは本当にメグミさんを助けたいと思っているのですか?その様子だとまるで・・・嫉妬しているみたいです」

 

嫉妬・・・そうよ。当たり前じゃない。

もともとはこの世界も私のものだったのに。

メグミになにもかも奪われたのだから・・・。

 

アンナは邪心を悟られないよう、ニッコリ笑って見せた。

 

「嫉妬だなんてとんでもない。むしろ、あなたたちがこれほどまでに“成長”していること、とても面白いと思ってるんだから。あなたの言うとおり、メグミならこれからの困難も切り抜けるでしょう。私がわざわざ余計な事をしなくてもね・・・」

 

そう言って立ち去ろうとするアンナにゼノンが慌てて呼びかける。

 

「あなた、このまま忠告もしないおつもりですか?メグミさんに迫っている危機って・・・」

 

しかし彼女は答えることなく、走り去った。

 

「・・・行ってしまった」

 

「ご主人、最初からこうするつもりで忘却剤作ってたのかよ。それならそうと早く言えよな」

 

黒猫がホッとしたように言う。ゼノンは申し訳なさそうに頭を掻いた。

 

「アンナさんの真意が知りたくて、自分だけに留めておいたのです。けど、彼女が何を考えているのか、結局のところ分かりませんでした」

 

「俺にかけた“言葉縛りの術”で、考えてること洗いざらい吐いてもらうってのはどうだ?」

 

黒猫が嫌味っぽく提案するも・・・

 

「もう無理ですよ。それも本来は禁じ手の魔術。さきほど忘却剤を飲んだので、やり方を忘れました」

 

「コントみたいな話だね!」

 

やり取りを聞いていた鳩のアガレスがゲラゲラ笑った。

 

「とにかく!アンナは怪しいぜ!メグミに会わせないほうがいいかもしれねーぞ。ご主人をそそのかしてメグミに記憶を無くさせようとしたんだ。直接会ったら何するか分からねぇ」

 

「そうですね。見張りをつけて様子を見ましょうか。カノンよりはアガレスの方が適任でしょう。お願いできますか?」

 

アガレスは、しょーがないなと胸の蝶ネクタイを整えた。

 

「了解!面白そうだから、引き受けてあげるよ」

 

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最後の更新から1年弱経ってしまいましたね・・・。

いろんな別のものに興味をひかれてしまって小説が後回しになっていました。

でも、思い入れのある物語なので丁寧に進めていきますよ!!