第6章 「ありがとう」の奇跡
~人生は「修業の場」としてではなく、
「感謝の場」として存在する~
ある方から、
「この世は修業の場なのですね。
この世では、我慢や忍耐をして
生きていかなければならないのですね
目の前の出来事はすべて修業のために
存在しているのだから、
立ち向かったり、
乗り越えなければならないのですね」
という質問をいただきました。
「人生=修業」ととらえても
かまいませんが、
宇宙の構造としては、
「修業の場」として
設定されているわけではありません。
私たちの目の前に起こる現象は、
すべて
「ゼロ(中立/ニュートラル)」
なのではないでしょうか。
物事をとらえる力を
「認識力」と呼ぶなら、
認識力が上がるにしたがって、
この世の中を
「3つの段階」で
解釈するようになります。
①第1段階・・・「この世は、修業の場である」
目の前の現象は
「私」に修業をさせるために
存在している。
「人生は苦しみに満ちている」
と悲嘆にくれるより
「苦しみや悲しみを乗り越えていくしかない」
と考える人のほうが、
また一歩前進していると思います。
そう思うことで
気持ちがラクになるのであれば、
そのようにとらえても
いいと思います。
ただ、
本質的には、
この世は「修業の場」
ではありません。
②第2段階・・・「この世は喜びの場である」
私たちが肉体を持って生まれてきたのは、
「人生を喜ぶためではないか」
と考えることもできます。
このように認識することができたら、
認識力は
「3分の2(100点満点中の66点か67点」
まで行ったといえるでしょう。
③第3段階・・・「この世は、感謝の場である」
100点満点中の99点、
あるいは100点のとらえ方は、
「この世は修業の場でもなく、
幸せや喜びの場でもなく、
じつは感謝の場である」
ことに気づくことです。
<略>
『ありがとうの神様』by小林正観