いろいろおもふ -3ページ目

いろいろおもふ

とある会社に勤め、いろいろおもふ
じんせいン十年生きてきて、いろいろおもふ
良いことも悪いことも、いろいろおもふ
自分だからおもふこと
いろいろ

確実に流通する商品が少なくなっているようだ

ネットで買えるはずの食費や日用品が

突然販売中止になってしまう

数も少ないように思える

一部の店からパスタなどの乾麺が姿を消したという

人々の不安が形に表れ始めている

物がないのではない

流通できないのだ

今までの生活は当然のものではないことに

気が付かなければ暴動に発展しかねない

決して大げさではなく

先が見えないのは

今に限ったことではないのに

不安に駆られると

見えないことがとてつもない恐怖に思えてくるのだ

すべては

安心して慢心した自分の責任なのに

多くの人はそのことに気が付かないか

目を瞑る

 

昨日と同じ今日が終わることに

感謝をせずにはいられない

なぜなら

今日と同じ明日が来るとは限らないからだ

たとえ非生産的であろうと

自堕落であろうと

今日の自分の世界が存在することは

有難きことなのだ

そこまで望む人も物もなくまった世代には全く響かないだろう

しかし若気の至り的な恋に盲目な時代には

突き刺さるのではなかろうか

 

望んでも望んでも手に入らない

だからより一層欲しくなる

手に入れたいと思う

一種の自分本位さ、利己主義的思考

それに気が付けないくらい希求する気持ちを

時間を経て思い返すと

驚いてしまうくらい穏やかに振り返ることができる

 

誰しもが思い当たる節のひとつやふたつ

捨てられずに持っている

捨てたくても心の一部になってしまって

どうにも消えてくれない

 

ま、私の場合は力ずくではぎとって

捨ててしまいましたけど

長期にわたる在宅勤務は集中力に欠いてしまう

まったく気合が入らない

計算という計算もせずにざっくりのどんぶり勘定で仕事を測る

やはり職場に赴くというのは大事な事なのかもしれない

どう気合を入れたらよいのだろう

恋愛中の倦怠期のようだ

流れに任せるしかない

GWが切り替えのタイミングになるのだろうか

とりあえず

できないものはできない

どこかで帳尻が合うように

義務を果たしての権利主張という考えに

曇りなし

でなければ

去っていく人の幸せを祈れるほど純ではないので

この歌詞にえらく感銘を受けたことを思い出す

恋愛なんて泥臭く薄汚れてさえいるものだ

恋愛が透きとおった美しいものだと思い違いをしている年代に

私は捻(ひね)くれて、それを自慢に思う節があった

それすらも

今は褒めてあげたくなるような

今も十分捻くれて生きています

 

ひさしぶりの東野圭吾作品となった

大昔の赤川次郎のようなイメージを持っていたが

赤川次郎っぽい作品もあるということで

赤川次郎っぽいわけではない

と思う

 

まだ本当にさわりを読み始めたところなので

書けることが何も無いのだが (-_-;)

タイトルにある通り、大きな巨木のクスノキが登場している

印象としてはナミヤ雑貨店の奇蹟のような匂いがする

さあ

展開はいかに?

 

読了

思っていたより、良かった

重すぎない程度に人が描かれている

高齢化社会にじっとりと覆い被さる問題や

ちょっと気恥しくなるような正論披露が

きちんと打たれた布石に、これまたきちんんと乗ったような感じがした

ストーリーは全く違うものだが

やはりナミヤっぽい

肉体だけでなく

社会的にも

地球上が淘汰されはじめている

すべての意味において体力のあるものが残る

経済においても

健康においても

精神においても

社会においても

それは不合理ではなく

自然の摂理というべき事象だ

ただし

自分が残れるかどうかは

ある割合で自分が決められるという点において

自然淘汰と異にする

 

こういった内容の理解度の違いが

即、知性であるとは言えないのだろうが

あまりにも稚拙な行いをする人が多いことを鑑みるに

あながち間違いではないように思う

 

そして

良いだろうと思われる側に淘汰されることが

正解ではない

正解ではないが

それを望む人にとっては

正解なのだ

そして

幼稚と揶揄される人の中にも正解がある

 

それぞれの正解を推すことは間違いではないが

自分ではない側を巻き込むことは間違いであるということを

理解し行動を決めていただきたいと

切に願うばかりである

やる気
と思っても、テレビやネットの情報をひろうと

とたんに気分が低空飛行となり

集中できない

言い訳が多くなる

なので罪悪感

典型的な負のスパイラル

こもっていることの弊害なのだろうか

引きこもりは苦にならないと思っていたが

実はそうではなかったのか

さほどイベントに出かけたいタイプではないのだが

 

義務は果たさなければ

たとえ遅々としたスピードであっても

その代償は甘んじて受ける覚悟で

ため息はついても

とらわれないように

ネガティブなことを否定しないように

なぜなら今はネガティブが蔓延しているのだから

否定したって見ないわけにはいかない

現実を受け入れる

そのうえで

歩く方向を決め

できることを選び

わずかながらも進む

 

でもそれは

崖っぷちより

少し内側に存在できているからかもしれない

多くの人のおかげで

この状況を得られていることを

否定できない

してはいけない

 

資産鑑定人は人面瘡とともに育った

彼が吸収した知識を彼自身はすぐに忘れてしまうのに

この人面瘡はすべからく知識として取り込み

難題に向かわざるを得なくなった彼に暴言との合わせ技で

さしのべるのだ

とんでもないほどの古びた化石のような

価値観に凝り固まった田舎での事件が起こりそうだ

というところまで読み進んだ

 

人面瘡という言葉自体

とうに忘れていたが

会話ができることと

人目につかない場所に存在することで

物語は生じ得るのだ

 

たぶん事件そのものより

人面瘡との会話が

おもしろい本なのかもしれない

 

最後、犯人はこれか!をにおわせながら

あつら?それともこちら?とゆらゆらさせて

やっぱりこっち、というのは良いけれど

あやふやというか、もやっとした感じの終わり方は

個人的にいまひとつ