いろいろおもふ

いろいろおもふ

とある会社に勤め、いろいろおもふ
じんせいン十年生きてきて、いろいろおもふ
良いことも悪いことも、いろいろおもふ
自分だからおもふこと
いろいろ

Amebaでブログを始めよう!

2年以上、3年近くほおておいてしまったこのブログ

負のデジタル遺産になってしまうのも嫌なので

削除してしまおうか、などと思って来てみると

存外自分の昔書いた文章が悪くないものだから

もう少し書いてみようか、などと思ってしまった

 

お茶をこぼしたキーボードが天に召されてしまったものだから

少し奮発したメカニカルキーボードの音にほだされて

つらりつらりと単語を打ち込んでいる

 

郷愁 (三好達治)

蝶のような私の郷愁!…….。
蝶はいくつか籬(まがき)を越え、午後の街角に海を見る…….。
私は壁に海を聴く…….。私は本を閉じる。
私は壁に凭れる。隣の部屋で二時が打つ。
「海、遠い海よ! と私は紙にしたためる。
――海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。
そして母よ、仏蘭西人(フランス)の言葉では、あなたの中に海がある。」

曇り空も嫌いではない

でもひさしぶりだからか

秋の快晴は心地よくて

沈みがちな心も上昇気流にまぎれたんじゃないかと

勘違いさせてくれる

 

自分に生きやすいよう

すごすので間違ってはいないでしょう?

人を踏みつける気はないけれど

誰かの犠牲の上に

人の人生は成り立っていることを

理解して生きていければ

 

気持ちの浮き沈みの中で

沈んだままにならないよう

こういう青空を思い出せるエネルギーを

へそくっておかないと

3週つづけて近所のカフェでモーニングを食しながら

ネットの海を漂っているということ

それを幸福なことだと認識できる自分に

少しだけ酔いながらコーヒーをいただく

 

幸福に大小があるのは事実なのだろう

人が違えばその数分の事実が生まれるから

たとえば小さくても大きくても

幸福だと思えることが幸福なのだ

涙がにじむほど満ち足りることができる

 

心が浮沈して

何もかも捨ててしまいたくなるけれど

幸福を捕まえることができた

また離れていくかもしれないけれど

探しに行けるエネルギーを

握りしめ続けたい

 

自分の小ささも

醜さも

気づいてはいるけれど

無くせないから

それも込みで

ぎゅっと抱きしめてみる

苦味は必要

 

悪くないよ

大事なものを大切にしていれば

いいんじゃないか?

 

 

という生活を続けている

少し変わったのは、ひさびさに出社したということか

通勤路のお店が閉じていたり

新店舗が開いていたり

半年強の時間は変化をもたらすに十分な長さを持っていることを痛感した

 

しかし私の会社の文化はちっとも変わらない

尊重や敬意といった敬いの感覚が欠落している

それらの感覚が発動するのは上司へのこびへつらいが必要な時だ

脳内でFワードが炸裂しそうになるが、そんなことでエネルギーを減らし

活性酸素で自らを痛めるのは大いに嘆かわしいことだ

つまり無駄

そういう輩はキンキンに滅びるかすでに腐っている

腐っていることに気が付いたときにはすでに時遅し

公開は決して先に立たない

 

反面教師にもならない人間たちのことを

こうして貴重な時間を使って描写することも

無駄かもしれないが

同じような立場の仲間よ

決して腐るな

知っていることの強さを掲げよ

エールに変えて

と思う梅雨のただなか

自主的プチ隔離状態を継続中

外食もせず、テイクアウトのランチを土曜日にまとめ買いするくらいの

外部との接触

特に苦痛も感じないけれど

運動不足は気になるか

 

世の中が浮かれてしまわないことを祈るばかりだが

経済も立ち行かないとそれはそれで困るわけで

難しいかじ取りを国民全員が担っているような状態だ

 

とにかく

個々人ができることを

できる範囲で

やっていけたら

道はできるだろう

私の住む街では6月から図書館が再開される

今もセントラルライブラリーは返却や貸し出しを始めているが

全室ではないので私はまだ借りることができない

休館中に読む本がなくなってしまったら

と危惧していたのだが、結果は読むペースがだだ下がりになり

丁度良い結果となった

これも休刊直前に第六感が働いて

借りられれるだけの本を我が家に連れ帰ったおかげなわけで

自分を褒めてあげたいと思った

 

感は悪くない

ただ感じているのに注視を続けず

結果もったいない状況に陥るという

実におまぬけなことも多々ある

いや、そちらの方が多いのかもしれない

 

それでも

最後の最後にはプラスマイナスゼロ

良いことも

悪いことも

ついていることも

ついていないことも

喜びも

悲しみも

きっと半分半分

だから

がんばってみよう

 

緊急事態宣言は解除でも

状況はあまり変わっていない

グラフはもうゼロフラットには戻れない

経済を優先させればあっという間にバナナカーブで右肩が上がる

さりとて経済活動無くして生活も成り立たない

 

きっと

己の生活を見直せという啓示のようなものなのだろう

自然界を牛耳っているつもりの人類の手は赤子のようなもの

地球は過去たった数百年に汚染されたものを

ぬぐい去ろうとしているのかもしれない

 

科学も宗教も完璧ではない

思い知らされても

まだ夢を見続けるのか

というけれど

では、昔は生きやすかったのだろうか

昔にも大変なことも

辛いことも

たくさんあったであろう

母の時代

祖母の時代

話を思い出すと

決して生きやすかったとは思えない

 

今の時代が生きずらいわけではない

生きずらいと思う対象が

時代、時代で異なるのだと

思う

 

自分は

生き抜いてきた

でも

生き抜いていけるかは

わからない

 

ただ

運が味方したのは確かだろう

プラス己の性格と能力

この力を授けてくれた母親に感謝だ

 

生き抜く努力を

楽しく生きる努力を

惜しまずに

なんとなくではあるが

日本でのネットオークション黎明期には

様々な危険が極近距離にあったようにイメージしている

偏見ではあるのだが、決して手を出すまいと私に思わせるくらいには

若干のどす黒いものを感じていた

 

最近になって、個人情報の重要さを

世間が受け入れたこともあり

そのあたりの機密性が上がったように思える

もちろん蛇の道は蛇(字を打つだけでせず自がぞわっと)で

それゆえにリスクが増加した部分もあるのだが

遅ればせながら手を出してみるに至った

 

まだ何も買えていないし

売れてもいない

だが、入札してみたり

出品してみたりと

今のところ痛い思いをせずに参加できている

 

今後どうなるか

経験してみなければ分からない

とりあえず

できるだけ無駄にしない断捨離が目標

まだ誰かの役に立つ可能性があるのならば

その人の手に渡したい

そう思って参加してみようと思う