茜ちゃんと白洲正子さん
<<白洲正子さんに寄せて>> 第二話
こんにちわ しばらくご無沙汰しておりました。
今日から真打ー茜ちゃんの出番です。
張り切って参ります。
昨日までの 茜ちゃんのお爺ちゃんの
POEM 路線から一転して、茜ちゃん路線
に戻りまーす。
今日は春分
今日から春よ
Let go!
そこで、問題!・・・・下に張ってある「薔薇」の名前を 当てて 下さい
答えは 下の 記事 のなかにあります。
お題<「能面」と白洲正子さん>
先回(01-20付)のブログでは、お爺ちゃんと茜ちゃん達がどのような経緯で、故 白洲正子さんと係わる様になったかお話しました。
修羅能
忠度
*修羅能・・・・・妄執を持って亡霊となって現れる能の曲の一形態。
「平 忠度」(タダノリ) が平氏であったがために、彼の和歌が「千載和歌集」に読み人知らずとされたことが
妄執となった。
故 白洲正子さん のお写真
茜ちゃんはもとより、お爺ちゃんでさえ白洲正子さんとは世代が大きく違うので、直接の面識など有りません。 1998年当時は東京都下、町田市の郊外に住んで おられました。 相模国と武蔵国の境界付近でしたので、寓居を「武相荘」と名付けたとか。
昔は「鶴川村」と呼ばれておりました。「無愛想」と掛けたアイロニーというのが真実でしょう。
現在、当寓居はお嬢さんの牧山桂子さんの主催される 旧白洲邸 「武相荘」 という私的な記念館として運営されております。
ご存知の方が多いので、改めてご紹介する必要もないのですが、・・・一応
ご主人の「白洲 次郎」さんは戦後、首相になられた吉田茂さんの腹心の部下として、GHQとの交渉に直接参画された、ケンブリッジ大卒のスーパースターでした。
NHK等の放送で紹介されておりますので、ご存知と思います。
*GHQ・・・・・日本が敗戦後、昭和26年のサンフランシスコ平和条約締結まで、米国の占領下にありました。 その時の日本におけるアメリカ軍の出先機関を指します。
東京都の皇居のお堀端に在った「第一生命本店」が司令部として接収されていました。
在日米軍のマッカーサー司令官、ホイットニー民生局長と互角にやり合って、一歩も引かず、日本で一番生意気な奴、と憎まれていました。
<注記>
今でもそうですがアメリカ英語はローカル・イングリッシュ。
英国のクインーズイングリシュが格上。
NHKのBS放送でBBCとCNN・ABCを聞き比べると一目瞭然です。
戦前・戦後もしばらくの間は、日本でも英語は英国英語で教育されていました。
白洲 次郎氏はケンブリッジ大学出身ですから、当然クイーンズ・イングリッシュで話します。
その為、GHQの人間は言語的な威圧感・劣等感を受けていたのでしょう。
ホイットニーが皮肉で「あなたの英語はうまいですね」と白洲次郎氏に言ったら、
白洲氏は「貴方ももう少し勉強したら、上手な英語使いになるでしょう」とやり返したと言う逸話が残っています。 これには局長もギャフンとなったでしょう。 痛快ですね。
交渉も英米法によるデイベート技法を使ったでしょうから、GHQは白洲次郎氏にかなわなっかたのでしょう。持て余したということになります。
国際法に抵触しなければ、その範囲でガンガンやったでしょう。
負けても、卑屈にならず、正々堂々とやるのは、英国人のマナーでもあります。
この点は、日本人は学ばなければならないことでしょう。
時の総理「吉田 茂」は戦前、英国大使ですから、その点を良く知っていたことでしょう。
白洲次郎氏を起用したのが、吉田茂かどうかは真実は分かりませんが、誠に卓見でした。
故 白洲 次郎氏
「 白洲 次郎
占領を背負った男」
北 康利 著
故 白洲 次郎氏の出身は現在の兵庫県芦屋市。白洲家は三田藩九鬼氏に仕えた家柄。 現在は兵庫県三田市の「心月院」の白洲邸の墓所に埋葬されて居ります。 83歳にて死去。
故 白洲 正子さんは現在の東京都千代田区永田町・・・・今の国会議事堂の付近
で出生。 余談ですが、美術の教科書に必ず載っている黒田清輝の「湖畔」「読書」は当家所蔵の逸品でした・・・・・・・茜ちゃん ビックリした。
1998年12月26日 逝去。 享年 88歳 上記 「心月院」に埋葬。
茜ちゃんは13回忌の折、お二人の墓所(大変に広大な墓所で、家が一軒建つ位広い)を撮影したのですが、ご無礼な事ですので、写真は掲載しません。悪しからず。
<以下敬称略>
祖父 樺山資紀(すけのり)は元 伯爵。枢密院顧問官等を歴任。父は樺山愛輔。
1927年の金融大恐慌で父が理事をしていた十五銀行が休業。
それによって、永田町の屋敷を売却し、神奈川県大磯に移転。
大磯の別邸と言えば、「吉田茂」を連想しますが、元はと言えば、樺山邸が先。
後日、白洲次郎と吉田茂が強く結びつくことになる縁から、吉田茂が後日大磯に移転したと云うところが本当のところでしょうか。
内閣総理大臣 故 吉田 茂
1928年十五銀行倒産により白洲次郎は英国より帰国。
実父の白洲文平は綿貿易商で大変な資産家でした。
白洲正子も実父の事業の関係で、急遽米国より帰国しました。
実父・白洲文平と実父・樺山愛輔はドイツのボンの大学で面識を得ています。
その関係から、二人は知り合う事になったとされています。
* 余談ですが、白洲家の墓所の明治・大正・昭和の墓石の前には逝去年齢を書いた白い立て札が立っているのですが、何方も長寿の方が多い中、実父だけは66歳と比較的短命だったのが印象的でした。 江戸時代からの数多くの墓石が墓所を取り巻いています。
その後、結婚され、1942年に武相荘のある鶴川村(町田市熊ヶ谷)に転居。
簡単に述べると、以上のような事になります。
沢山の文献が出版されておりますので、興味のある方は・・・・・・・・
やっと、武相荘まで辿りつきました・・・・・・茜ちゃん 疲れたあー!
夕暮れの靖国神社で梅若流の「猩々」の舞台を見て、夢中になったそうです。
6歳になってから梅若流の師匠から能を習い始め、以後生涯能から離れるということはありませんでした。
お爺ちゃんの調べたところによると、梅若流は観世流の分派ではあるが、もともとは丹波の丹波猿楽にその起源を持つ ということが分かりました。
白洲次郎さんの先祖が仕えた、三田藩は丹波の地。 偶然といいがたい縁が白洲正子さんと白洲次郎さんと梅若流には有ったのでしょう。
その後、文筆活動に入り、昭和18年には「お能」を脱稿します。以後88歳の最後の執筆まで、生涯を掛けて能楽と強い係わりを持ちます。
平成10年東京大学の免疫学者、多田富雄先生の「多田先生のこと」を発表。
これが最後の執筆となります。
さて、実はここからが、今回の茜ちゃんの<メーン・イベント>
ここまで来るのに、こんなに喋らなくちゃいけないなんて 疲れたビー
<白州さんと「能面」との係わりは>
白洲さんが能面と深いかかわりを持つ事は、これまでのことから、何ら不思議と思えませんが、ところが、人の縁というものは並大抵のものではありません。
昭和18年の10月、空襲から先祖伝来の能面などを守るために、梅若家の能面などが、鶴川の白洲さんのお家に疎開をさせたことが、後になって、「読売文学賞」を受賞することになった「能面」を執筆させる原因となりました。
神仏という方は手間を掛けるのがお好きなようです。
ここまで来て、茜ちゃん白状しますけれど、茜ちゃんのこれから話したいことは
実は この「能面」という本の事なんです。
<長い、長ーい、前口上> なんでやん!
お爺ちゃんと茜ちゃんは前から能面の資料を蒐集していました。
その結果、他府県の事は知りませんですけれど、滋賀県の図書館にはない能面に関する蔵書が何冊かあるんです。
白洲さんの「能面」という本は2種類程あるんですけれど、そのうちの1種類、つまり「読売文学賞」を受賞した縮刷改訂版を岡山の古書店から入手したことから、
茜ちゃんと白洲正子お婆ちゃんとの不思議な縁が始まるんです。
能面関係の資料というものは、骨董品と同じく 好者(スキシャ) の周りだけを循環するようです。印刷冊数も通常の書籍よりははるかに少ない。 だから高い。
医学書も結構なものですけれど。 そんな何処じゃないの
1冊4万円、5万円なんて普通。・・・・・・茜ちゃんのお小遣いじゃ、夢のまた夢。
でも、白洲正子お婆ちゃんの本は古書でも結構高い。
それで、日本全国を探すことになっちゃうの・・・・ハア、疲れたアーツ
1963年刊行 「能面」 縮冊改訂版
能面の専門書で、なかなか古書店でも手に入れることが難しい本て、結構あるの。
上記の写真の本の元となった初版本は安くても¥20.0000円程度になります。
でもこの本は手に入りやすい本です。
現代の超一流の能面師の既に物故された方の能面集などは、ほとんど無理な場合が多いのです。 何故って? 一度手にすると、余程のことが無い限り手放さないからです。ですから、
初版本¥35.000円の本が東京で¥100.000円、京都で85.000円なんて一般市民にとって、途方も無い価格が付くのです。 高値の花。
一冊だけならいいのよ。 何冊ともなれば、考え込んでしまう。
茜ちゃんにはそんな欲しい本が何冊も有ったのよ。
お爺ちゃんも10年以上探した本も有った。 でも、駄目だった。
市場に出てこないのよ。
それが、何ということか、白洲お婆ちゃんの「能面」を買った途端、全て買い調えることが出来たのよ。 白洲お婆ちゃんの命日(12月26日)の前後になって、
突然、それが始まった。
< ビックリしたあー>
<それは埼玉の古書店からの情報からはじまった>
新聞やTVのドラマ等はここで乞うご期待と言って 明日にバトンタッチするのよ。
茜ちゃんは今日もう クタクタ よ
そんなこんなで 今日はこれでオシマイ
2011-02-03
琵琶湖の傍の 茜ちゃん
次回のご案内・・・・・「湖西地方の旅-2」「湖西地方の旅-3」を公開します。