建国記念の日~神々の黄昏れ | 地球の日記☆マーク♪のblog☆

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 今月二月の和語を如月(にょげつ)と言うた。

また、きさらぎとも謂う。

立春過ぎてやや温暖になり、衣替えの着更着から講じて如月と称すようになったと記憶しておる。

 

さて、その如月の今月11日は土曜日旗日で「建国記念の日」になっている。

 

はて?

 

これは何を祝う日かな?旗を立てるだけではあるまい。

 

たとえば米国では7月4日、独立記念日に花火を打ち上げる。

 

中国では10月1日、毛沢東が天安門で建国宣言した国慶節であったり、フランスの7月14日はパリ祭、

 

そしてドイツでは10月3日、ドイツが統一された日とある。

 

またロシアも6月12日ソ連から独立宣言した日とあるが、これはよく分からない。ソ連とロシアは違うのか?

 

そして、吾が国日本は、神様と人間天皇の境目つまり初代天皇であられる

神武天皇が、

 

日本書紀や古事記の記録などから歴代天皇一覧表の1番目に(660~585B.C)

「神武」と記載されているように、

 

2月11日即位した、とあることから代々この国の起源とされている。

 

今年が西暦2023年だから紀元前660年足すと2683年ということになる。つまり今年は皇紀2683年であると

 

農事暦には印刷されている。

 

それだけ歴史的伝統がある国家であり、われわれはその由緒ある子孫であると云うことが言える。

 

そしてその太古の世界史に客観的スポットを当てて事案を照合してみる。

 

先ず西暦 57年 倭奴国王、後漢に朝貢し、光武帝より印綬を受けた。との史実が浮上してくる。

 

然し、その頃、同 57年ごろは第11代垂仁天皇(29~70 A.D)の時代であって、当時、

 

統一国家であったならそれは同一人物でなければどうも噛みあわないのである。或いは当時は王は到る所にいたのか。

 

が、その周辺の古文書史料が乏しいので、もう少し精査してみよう。



 

……天皇が一人とは限らない時代もあった。

 

また同 239年 倭の女王卑弥呼、魏の明帝に朝貢し、「親魏倭王」の称号と金印紫綬を受ける。とある。

 

これは歴代天皇一覧表と照らし合わせて観ると、どうにでも解釈できる歴史の隙間にあるミステリーというか、

 

大いに研究の余地がある時空の不一致が見られた。

 

歴代天皇史には14代仲哀天皇が192~200年までで、そして15代応神天皇が御着座されるのは270年~310年となっており、

 

その空白の間70年間に何があったのか?

 


卑弥呼が女性天皇として君臨した中国史実にはあるが、残念ながら古事記や日本書記など本国の史書にその名での記載は残存しない。

ただ、フィクションなどでは幾たびか登場する事実はある。

 

当時の日本史は分割統治ではなかったかと思われる。

 

だから神も日向であったり、出雲であったり、大和であったり……、それが今日いわれるように八百万(やおよろず)

 

の神で万物に神々が宿っているという信仰も捨てがたい。捨てる神もあれば拾う神もある。

 

つまり、この頃から今でいうダイバーシティー(多様性)は存在したということも推測できる。

 

やがて、313年このころになってようやく大和朝廷の統一化がすすむ。

 

 

さらに604年、聖徳太子が憲法17条発布。

 

とあるように、建国(?)後も一枚岩でなく紆余曲折、呻吟労苦の跡が偲ばれる。

 

もっとも当時は必ずしも中央集権国家が確立されていたわけでなく、戦国(織豊)時代のような下剋上を孕む

 

群雄割拠の天下と各地域の国で成り立つ重層的複合国家であったと視れる。

 

そういう日本古来の神話も独自な風土性があってユニークだ。

 

先ずこの国の生い立ちから調べてみたいと思う。

 

神様の祝詞の冒頭に、「高天原に神留り坐す 

皇親神漏岐(すめらがむつ かむろぎ) 

 

神漏美(かむろみ)の-------)とありますが、調べてみたら、この高天原は日本全国にあり、

 

まさに八百万(やおよろず)の神々なのです。

 

その800万もの神様をそれぞれお訪ねする訳にも参りませんので、先ずは代表的な天の岩戸など神話の里、

 

高千穂の国である九州は日向地方へと、

飛んでみましょうか。

 

 

それでは神話の世界へいざ出発!

 

 

 

    

 

   

 

 

 こちらは宮崎駅の神様

 

 で、こちらは鬼の洗濯板にある青島神社

 

 

 

 

この神様の系図(古事記)によりますと、天界から降臨された神祖はイザナキとイザナミで、

 

その子孫(?)が天照大神やスサノオノミコトやコノハナサクヤヒメになっております。

 

ここ日向宮崎は、アツアツのカップルが新婚旅行などで訪れる恋のメッカ(聖地)とも言われ、

 

国産み神話から天孫降臨、そして海幸彦・山幸彦~神武天皇まで古事記のハイライト

 

ともいえる神々のふるさとと言ってもいいでしょう。

 

 

海幸彦、山幸彦を産んだコノハナサクヤヒメ(木花佐久夜姫)だが、その出産は大変なものだった。

 

一夜の契りを疑うニニギノミコト(迩迩芸命)に対して、産む間際になって産屋に火を放ち

 

「この炎の中で無事に産むことで証を建てましょう」ということになったお話も伝えられております。

 

この時の産屋は戸をすべてふさいでしまったことから無戸室(うつむろ)と呼ばれ、

 

その跡レジェンド、レガシーが宮崎市木花(きばな)の木花神社の近くにある。

 

また境内には出産の際に産湯をつかったとされる桜川という泉が湧いている。

 

木花は山幸彦が訪ねた海神(わたつみ)の宮があったという青島の近くにある。

 

 

 

 

昔むかし、といってもこれは太古のむかし。そう神武天皇のご先祖、神様のころのお話。いわゆる神話です。

 

神祖イザナキノミコトやイザナミノミコトの子孫に天照大神やスサノオノミコトがおり、

 

その天照大神の子がニニギノミコトで、

それがコノハナサクヤヒメの夫

でもあります。

 

 

またワタツミノオオミカミの子孫に豊玉姫がおり、のちに山幸彦と結ばれる。

 

 

 

「海幸彦と山幸彦」のお話は有名で、日本でもそれぞれ海の幸、山の幸と領分が決まっていた。

 

そんなある日、山幸彦が兄の海幸彦に「たまには交代してみたい」と頼み、道具も交換してもらい、

 

山幸彦は一日漁師になって得意満面でした。

 

ところが、馴れない未熟ゆえか、兄の海幸彦が宝としていた大事な道具の釣り針を魚に取られて失ってしまう。

 

兄は怒りどうしても許してくれない。

 

しまいには自分の剣をつぶして針をつくって持って行ったが、どうしてもあの釣り針でなければ駄目だと言う。

 

 

 

しょんぼり途方に暮れて海を見つめていたところ、向こうからひとりの老人がやってきた。

 

これが潮筒大神で、訳を話すと「それなら綿津見大神(海の神)の宮へ行きなさい」と教えてくれた。

 

言われるままに訪ねた宮の綿津見大神に山幸彦は、正直に経緯を打ち明けた。

 

その実直さが大神に気に入られ、魚どもに釣り針を持ってくるよう布令を出し、

 

それが届くと山幸彦は素直に涙を流さんばかりに喜び感謝した。

 

それがまた綿津見大神(海神)の娘、豊玉姫にも好感をもたれ、つつましく惹かれあい、惚れあって、

 

やがて当然のように結ばれ、三年の間楽しく倖せに暮らしました。 

 

めでたしめでたし。

 

 

 

これは日本書紀や風土記に見られる浦島太郎伝説のようでもあり、一方、三年間蜜月であったがその後は?

 

という疑問もあるが、海の者と山の者の相性と云うこともあろう。

 

世の中なにが幸いするか分からないものだ。 「万事塞翁が馬」とはこのこと。

 

 

 

ところで、東京の練馬区に「豊玉」とかの地名が見られるが、豊玉姫となにか所縁があるのか……。

 

その地域には「照姫伝説」もあるが、いかんせん日向とは離れすぎて、関連付けるのも難しいと思える。

 

ちなみに、日本で最初の新婚旅行は坂本龍馬とおりょうさんとされているが、実はその前に、

 

薩摩島津藩の家老・小松帯刀とその妻女だったという説も有力である。

 

 

 

神話は日本だけのレガシー(遺産)ではない。

 

オリンポスの神々、ゼウスやポセイドン、ヘラクレス、アポロン、ヘラなどのギリシャ神話や、

 

世界最古の神話文書として紀元前3千年前、楔形文字により石版に刻まれていたメソポタミア神話には

 

ギルガメシュが登場するし、ガンジス文明からは、シヴァやサラスヴァティー、

 

それに象の頭のガネーシャ、武神インドラなど、そのほかに北欧神話やケルト神話、エジプト神話などがある。

 

 が、予算(出張旅費)が限られているので、ここでは外国神エピソードだけを紹介しておこう。

 

 インド神話に登場するシヴァ神だが、かれは瞑想の修行が好きで、来る日も来る日も妻のパールヴァティーを

 

かまってやれなかった。妻のパールヴァティーは愚痴を聞いてもらえずイライラが昂じて、ある日欲求不満になった。

 

 そうなるとますますシヴァも抱こうともしなくなり、更に深い瞑想の世界に逃げ込んでしまう。

 

そして、妻パールヴァティは当時の精神科医ともいえる恋結びの神に、恋のキューピッドの矢を夫に射てほしい。と訴える。

 

恋の医者は仕方なく処方箋を出して修行中の夫に向けて矢を射させた。

 

するとあろうことか瞑想が破られたシヴァが烈火の如く怒り、憤怒心頭に達し、瞑想の邪魔をした

 

その恋の結びの神をアツアツの紅蓮の炎で焼き尽くしてしまった。

 

時が経ち、やがてそれは嫉妬からきたエネルギーだと悟ったシヴァは、妻の嫉妬も理解し、

 

恋に目覚め妻を放置してた自らを悔い改め、可愛い妻だと見直すようになり、妻とより激しく燃え上がった。

 

これは、あのウイーンフィルと並んで

文化の頂点、

ロイヤルシェイクスピア劇団も

演じた沙翁作

「夏の夜の夢」の

妖精王オーベロンと

タイターニアの

媚薬舞台劇にも取り入れられている。


 

 

…理想と現実は相反す油と水、

予算の関係上、国内の神話取材

だけに留めます。


 

さて、それでは次の取材先、縁結びの神様として知られる出雲大社へととんで、建国のいわれを探ってみますか。

 

 

それでは、風土記にある出雲大社の行き方、まず松江から。

 

 

 島根の松江城


       

 

”運は一瞬、縁は一生”   

 

確かに深みのある言葉。島根の松江城を眺めて、一畑電車に乗って良縁に恵まれますように……。


 

宍道湖をぐる~と周って1時間強で出雲大社に着く。……地域ローカル線ならではの味わいがある。

 

 

 

出雲大社は縁結びの神様であり、毎年10月神無月には全国から神様がこの出雲大社に集まってくることでも知られている。

 

ピンクのご縁列車に乗って……。

 

それはどうか分かりませんが、皇族の典子女王もここに嫁がれました。

 

 

 

 さすがに広々と清楚な佇まいで

清々しい感も漂う

 

拝殿の太い注連縄が特徴的  

 


  


 

 

 

そうです。神と神、人と人を結ぶ神がいなければ、その結晶は生まれず、国は滅びてしまいます。

 

建国の父とは、そういう御魂が宿っていなければなりません。

 

 

 

出雲大社の祭神は大国主命で、神話「因幡の白兎」で知られているように、白兎が身から出た錆とは言え、

 

フカ(鮫)に皮をはぎ取られ痛さに泣き苦しんでいると、心やさしい大国主命が通りがかって手当をしてくれ助かりました。

 

弱者救済の神様として、また大国はダイコクとも読める事から七福神の大黒天、

 大黒様として富や福の神としても崇められております。

 

  


 

そのほかの地方の八百万の神様を訪ねてみましょう。

 

 

こちら水戸の常盤神社に八百万の神々の事が載っています。

出雲大社でなく高天原に集まりて天岩戸の前で神楽を舞ったと。

 

 

あまりこの世が乱れたので、天照大神が天の岩戸に隠れてしまった。

 

そこでこれはいかんと、八百万の神々が集会を開いて、

 

「このままじゃ穀物も育たん。どうすべぇ。」

 

「・・・・・・」

 

 

 

「岩戸の前で、神に奉納する神楽を舞って、邪気を浄めてはいかがかの?」

 

「そりゃあ ええ」

 

と言うことで、あまのうずめのみこと(天鈿女命)が、奉納神楽を厳かに舞うた。

 

集中すると徐々に神懸かり的に、

やがて神に憑かれたようにピーンと張り詰めた空気が漂ってきた。

 

みんな息を呑んで見守っている。

 


緊張感の中  だれともなく 

「こりゃうめぇ神楽舞だべな……」 

と洩らした。

 

すると緊張がほどけたのかそれに連られてどっと笑いが起こり、踊るごとに周囲からやんやの喝采を受け場が和み、

 

天照大神が何事かとそっと岩戸を細目に開けた時、強力無双の手力男の命が岩戸に手をかけ、

 

それっとばかり岩戸を押し開け、また日が照り元の天下泰平の世になった。

 

 

それでは、その舞姫・天鈿女命(あまのうずめのみこと)が奉納神楽を神懸かり的に舞うた

 

舞とはどんなものか神楽舞を実際に観に津和野にとんでみましょう。

 

 

 

ここは、津和野の千本鳥居でお馴染み天空の神社「太鼓谷稲成神社」ですが、ここの氏子方の前で巫女さんが

 

お神楽を厳かに舞っています。

 

天や神に近いところで舞うのも観るのも一味空気が違うでしょうね。

一段と高尚な気持ちになれます。

 

   


  

 

東京では「神田明神」の豊栄の巫女舞が有名です。

 

 

こうして観てきますと八百万(やおよろず)の神々というが、地方地方の神様のまことに味わい深い風土に根差した習慣、

 

文化こそ神々の国にっぽん!は、まことに平和だなと思えます。

 

建国記念日はこれらを踏まえて返す返すも、神様方の御心労や多くの犠牲の上に築かれた賜物に感謝して、

 

国旗を掲揚させて戴きます。

 

 

 


 

神前結婚式も日本古来の神道に則った慶事であり、神々との誓いのような身が引き締まる思いに二人だけでなく

 皆の愛が深まる事でしょう。


相合傘ならぬおおがさも一役買っているようです。

 

 

さて、これまで主な神々を訪ねて参りました。

 

つぎは、ローカルそのもの地元の氏神様のことをとりあげます。

 

これは、「東京史跡ガイド⑳練馬区史跡散歩(江幡潤)」を参考に実地を踏まえて紹介していきます。

 

これぞグローカリズム匂いのする風土史です。

 

東映東京撮影所のある大泉学園は練馬区にあります。

 

そしてここの氏神様は北野神社です。北野武とは何ら関係ありませんが、学問の神様・菅原道真公が祭神で主に神社庁、

 

伊勢神宮の系統のようです。

 

また村社と言う事から稲蒼魂命(うがのみたまのみこと)という女神で五穀豊穣の神。夫は大歳神。

 

父は建速須佐之男命(すさのおのみこと)、母は神大市比売。

 

由緒ある氏神様で江戸時代の初期から地域信仰の聖地として、その社前を通り抜ける人々は、

 社殿に必ず手を合わせ

ぴょこんとお辞儀して

通っていっているようです。

 

……何を願ったり、感謝したのでしょうか? 

それは、多分、健康や家内安全、幸せを祈ったのに違いありません


……神のご加護がありますように。

 

そして正月三が日は大勢の参拝客で長い行列ができます。

 

このように、どこの地域でも神様はいらっしゃる。

ご祭神を祀って時にはお花を飾って敬うのが日本人の徳性といってもいいくらいではないでしょうか。

 

だから、諸外国に較べコロナ禍の災難も少ない筈。

真の信心があれば用心するはずです。

 

あとは辛抱して、ワクチンみんなで打って、みんなでコロナウイルスなんかにビクともせん強い抵抗体をつくる。

 

その為には快食快眠快便、栄養や運動を怠りなく、コロナ収束に向かって一丸となって堪えるべきところは耐え、

 

皆の夢や希望を実現させるべく正のエネルギーを共有、循環、増幅させようではありませんか。 

 

      (吟)