暑くもなく寒くもない 快適なこの季節……。
昨年まではスポーツの秋で7つのウオーキング大会を完歩。そして行楽、食欲、味覚の秋と堪能して現代の"自然"と親しんできたのだけれど、今年はやや違った……。
そう、コロナの世界的流行で、四季の楽しみ方を自ずと変えざるを得ない状況下にある。
今年はあまり移動を伴わないで三密を避けて、静かに味わう芸術の秋か文学の秋なのだが、十月一日の夜、拙ブログで名月と紫式部を取り上げたので、それにちなんだ文学の秋的エピソードを皆さんと共に享有したいと思う。
しかしながらいきなりの浮世の物語ではいささかの躊躇もござろう由、徐々にランウエイにアプローチを試みるが如く、先ず現実的に、ズバリ、お金、紙幣、お札から入ってみる。
さて、ここに取りい出したるは、まごうことなき日本銀行券の二千円札であります。ただし現在はいささかレアもの。
表は沖縄の守礼門。
ご存知のお方もおりましょうが、これは現東京オリ・パラ組織委員会会長(JOC会長は山下泰裕氏)で時の総理大臣・森喜朗氏が2000年の沖縄サミットで参加首脳にAA券を配った事でも知られるオサツである。(現在は製造中止だが秘かに流通はしている)
これは外国にはア・カポー(複)という概念があり2ドル紙幣とか2ドル硬貨があることからわが国でも発行を試みたのだが思うように普及しなかった。
それは何故か。……そういう習慣がなく紛らわしいということが理由のようだ。千円札と間違えてお釣りに出してしまった……とか。
ま、それは置いておいて、このお札には非常に古典文学的な価値が隠されている。
先ずお札裏面を観ていただくと3人の人物の絵が見られる。
これは「源氏物語絵巻」と「紫式部日記絵巻」で、財務省の紙幣図柄について同省のHPで採用理由等次のように述べている。
『源氏物語が、今からおよそ千年前の平安時代中期、紫式部により書かれた、我が国が世界に誇るべき文学作品であることから、採用したものです。
左側には「源氏物語絵巻」の「鈴虫」の絵と詞書を重ねたものが、右側には「紫式部日記絵巻」の紫式部の絵を素材としています。
なお、「鈴虫」の詞書については、絵の場面とは異なりますが、「鈴虫」の冒頭にあたり、「すずむし」の文字がみられ、また、文字の美しさという点で評価が高いことなどから採用したものです。
「源氏物語絵巻」の「鈴虫」の絵と詞書及び「紫式部日記絵巻」に描かれている紫式部の絵は、いずれも東京都世田谷区の五島美術館が所蔵しています』
とある。
これを基に千年の恋について文学的肉づけをしていく。
まず時は今からおよそ千年前の平安時代中期、旧暦8月15日の夕暮。千年前の月も同じようなのが見えたはず。
場面設定は、冷泉(れいぜい)院でのお団子などが並ぶ月見の宴。
S/E音響効果は、秋の虫鈴虫や松虫などのリンリーン、とかチーンチロリンなど涼しげな虫の音。
美術は、そのまんま、夜空に浮かぶ、まん丸の十五夜お月さん。
そして出演者は源氏(シニア)、女三宮(二十代)、秋好中宮(壮年)、夕霧(妙齢)、そのほか公達たち。
脚本はお馴染みの紫式部。
さて、二千円札に寄ってみると、人物左側が当家の主、冷泉院でその向かいの右側が源氏、そして右隅に作者の紫式部の肖像。
そして、そのお札には文字が巻名(すヾむし)と9行の詞書きが印刷されているが、これを暗号解読していくと
すゞむし
十五夜のゆふくれに佛のおまへ
二宮おはしてはしちかくながめ
堂万(たま)ひつゝ念殊したまふわかき
あ万支三多(まきみたち二)三人はなたてま
徒(つ)るとてならすあかつきのおとみづ
のけはひなときこゆるさまかはりたる
いとなみにいそきあへるいとあわれな
流二連(るにれ)いのわたりたまひてむしのね
いとしげくみだるゝゆうべかな
と、2千円札には印刷されてるが、これだけで理解できるお方は少ないのではないかと思われる。
ゆえにもう少し突っ込んだ解釈をして行こうと思う。
……秋風が吹くと人は何故か人恋しくもなるやふである。
ましてや庭で松虫や鈴虫がしきりに婚活とばかりフェロモンを醸し出し、いい音色を奏で披露してくれている。
そんなところに女三宮ら若い尼二、三人ほどが、俗世でおかした罪業を購うがためしきりと無心で読経の唱和を行っていた。
秋の虫のコーラスに負けないほど集中して……。
神仏渾然一体となって唱和和合する様は、魔王、鬼神、閻魔も唖然として恐れ入りたる和合大合唱。
その無心な尼姿に、かの源氏も新鮮な色香に惑わされてか、<声までもすずむしのようだ……>と呟いた。
そして慰めに弾く琴の音も、かつて源氏自らが女三宮に手ほどきをしたあの四段のしらべ……。
やや酒肴も手伝ってか、あのときの三宮女のひたむきな姿が甦って来て、愛おしさに胸が焦がれてくる想いだ。
あゝ、満月はこんなにも人を狂おしくさせるものなのか……。
そしてあろうことか子供のようにもどかしく月見団子をパクパク口に放り込み、そのやるせないトキメキからのがれようともがいた。
ウウッ、ググ……。 つっかえたのである。
その時、苦しむ源氏の背中をそっとさすってくれた女人がいた。
誰あろう、夕霧であった。
振り返ってみた赤い顔の源氏に、ホホと稚児をいたわるような優しい丸い点のような眉と細い眼差しで、
けふは、とっても月がきれいで……虫の音も一段と……
と言って、松虫のいわれ、あの人を待つ、恋する人を待つことから松虫……
と、なにやらわけの分からない謎かけをしてホホホと意味ありげに奥へと消えて行ったのでした。
鈴虫の転がすような虫の音は、無欲で淡白な夕霧の涼しげな無私、鈴虫とも重なって、源氏は極楽浄土の世界を思い遣るのであった。
一方の女三宮は、あの藤井聡太のように四段から一気に八段へとパッショナート転調し、こちらも俗世と阿弥陀如来の仏道とを行きつ戻りつし、いまだ煩悩を断ち切るまでには悟り難く、迷い多い人間界の苦しみを身を持って刻苦精進するのであった。
そこまでは<源氏物語絵巻・鈴虫>には書いてはいないが、千年の恋とは言え、人間の営みそう変わるものではありません。
人は恋する為に生まれ、そして生命を繋いでいくのです。
……ん? これって文学なのか?
(吟)