令和の春一番 | 地球の日記☆マーク♪のblog☆

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 今日の東京練馬地方は、うららかな日和だが、午後になってやや風が強くなったかのやうだ。

 

これは、もしや春一番なのか? ……しかしそれにも規格がある筈だ。

 

その春一番の定義を質してみた。

 

すると、近年では以下の項目に合致したものを春一番といふさふだ。

 

 「立春(2/4頃)から春分(3/20頃)の間に、その年の初めて吹く南よりのやや強い風(秒速8m以上)であること。

 そして気温が前日より温暖になっている事。」

 

この場合天気図は北低南高が多くみられる。 

 

また、春一番という事案では、安政の大獄の翌年、安政6年(1859年)に隠岐の漁師が出漁中、強風に遇い転覆。

数十名の犠牲者を出したと言われている。 

以来、春一番には要注意とされている。

 

一方、そういう凶事のいわれだけでなく、慶事に因んだ故事もある。

それよりさかのぼること1130年前の天平2年(730年)、平城京の奈良時代。

 

 (これは蠟梅)

 

陰暦正月13日(現暦2月8日)、大宰府(北九州)の国防長官である大伴旅人(おおとものたびと)の館に、大勢の国人が集まり新年会をしました。

初春(令月)、当時の雅な国人たちが、その長官宅の見事な梅の花を見に、やや政治的な意味もあったでしょうが、今でいう「桜を観る会」のような梅花の宴という雅な習慣がありました。

華麗な梅の花の下で、酒を呑んだり、舞ったり、詩ったり……と。

 

そうこうしているうちに、令和のもととなった万葉集の歌32首の情景が紐解かれてきます。

 

「天平二年正月十三日、師老の宅にあつまりて、宴会をもよおすことあり。

時は、初春の月にして、気よく風らぎ、梅は鏡前の粉をひらきて、

蘭は ばいごのこうを薫らしたり。   (以下略) 「梅花の歌三十二首 併せて序」より 」

 

かくして令和の元号はここより引用されたといわれています。

 

というと、今は多様性の時代だから、なかには、「ふぅ~ん、なんだかこじつけじゃないの?」と思う方もいるでしょう。

また「なんでわざわざそんなややこしい難しいのからよく探してきたもんだね」とも思うかもしれません。

 

が、もう令和という元号は歩き出しています。 そして、多様性と調和の時代でもあります。

それはそれで是々非々で認めざるを得ません。英文の元号になるよりまだマシだと思って。

 

 

さて、気持ちを切り替えて、ここで、なぜこれが「春一番」と関連ある文節なのか?

というと……。

 

はい、そうです。観梅ですね。

「天平の甍(てんぴょうのいらか)」という映画がありましたが、当時の日本は唐(昔の中国)から文化を学んでいたのですね。

遣唐使しかり、で今日本で咲いている水戸偕楽園の梅も、もとは中国から輸入というか持ち帰ったものです。

 

 (偕楽園御成門)

 

また、泉鏡花の「婦系図」に出てくる、湯島の白梅のように当時は白梅が主流でした。

どこで色がついたんでしょうかね?これも研究材料になりそうです。

 

話を戻しましょう。

春一番と梅の関係ですね。 出版物からあらためて転述しましょう。

 

「梅は天平の時代より少し前に中国よりもたらされた外来の植物です。

春一番に花を開き、よい香りをはなつ梅ですが、当時紅梅はなく、白梅だけでした。この梅を鑑賞して詩をつくるという文化も中国からもたらされたもので、当時はとても先進的な催しだったのです。

 万葉集には、長官の大伴旅人の館でよまれた「梅花の歌三十二首」のほか、万はなく四千五百首の和歌がおさめられています」

 

とあるように、梅は春一番に花を開く、春告鳥がウグイスの異名と同じように、春一番が訪れると梅が咲く。 

すると春が来たという慶事に繋がっています。

 

そして、その万葉集の中で、具体的に現代人でも共感できる幸せな気分をうたった歌を

「令和のこころ~万葉の世界と梅花の宴(上野誠・著)ミネルヴァ書房発行」より抜粋紹介させていただきましょう。

 

では、いきます。

 

「梅の花 

 今盛りなり 

  思ふどち(親しい仲間たち)

   かざしにしてな 今盛りなり 」(巻5-820 筑後の国主・葛井大夫) 

 

これは、

梅の花は今が真っ盛り、

親しい仲間たちよ、

梅の花を髪にさして遊ぼうよ。

この真っ盛りの梅の花を。

 

という人間的美学、美意識を楽しんでいるさまが、今も昔も変わらないように共感しました。

 

 

もう一つ返盃で、大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)の歌

 

「酒坏(さかづき)に 

 梅の花浮かべ

  思ふどち

   呑みての後は

    散りぬともよし  」(巻8-1656) 

 

 これはもう、感覚的にお判りでしょう。

 

「さかずきに

 梅の花を浮かべてね、

  気心の知れた仲間たちと……

   お酒をのんだあとは、  

    花は散ってしまってもかまわないの」

 

これも現代に生きている歌と言ってもいいでしょう。

 

 (好文というのは梅の異名)

 

 

ということで、春一番の風が吹くと、桶屋が儲かるだけでなく、マリリンモンローの「七年目の浮気」でみせた突風の悪戯のように男性諸氏の目の保養や、こうして自然と戯れる今の世の浪漫の歴史を堪能できるのではないだろうか。 (吟)