東京五輪 <開会式> | 地球の日記☆マーク♪のblog☆

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この地球は今大きく変わろうとしている。自国主義からコロナ禍を経て、調和・融和へとイノベーション(変革)し、人生100年時代へ向けて脱炭素の環境優先へとベクトル(地球的エネルギー動向)が動いた。
常に夢を持って波に乗ろう!

 門からのエントランスに、あれはツツジ?いやサツキかな?と思われる立木が丁度今咲いています。

サツキには恥ずかしながら、ある恋の思い出があるだけに毎年、見るたびに胸がキュンとする時空の瞬間移動を覚えます。 

 

 

 昨日は、ブルーリボンならぬ「ゴールドリボン ウォーキング2019」に参加してきました。 

台場ーシティのガンダム立像→出会い橋→聖火台を据える夢の大橋→東京テレポート→お台場ビーチ→自由の女神像~の5kmを、途中で出会った男女のペアとお喋りしながら楽しく健康ウォーキングさせていただきました。

 

 このイベントは小児がんの子どもたちを応援支援する大会ということで、遠慮してカメラを持参しなかったのですが、そんな無機質な器具に頼らない、私の生の感性に美しく元気な人々を深く焼き付けた一日でもありました。

参加していたミス・インターナショナル日本代表の五名と歩きながら会話をしたのですが、慈悲と寛容をたたえた彼女らの微笑と話し方は、神がこの世に与え給うたビーナスの化身かと思われるほど洗練された挙措、抑制のきいた発声であったように思われました。

 

 

 

 さて来年は……、というと鬼が笑うかもしれないが、その鬼も出たがったり、観たがる第32回東京オリンピック大会が2020年の最も暑い夏の17日間、33競技339種目とパラリンピック22競技を、ここ東京を中心として世界中もっとも熱い戦いが繰り広げられます。

 

チケットも受け付け開始(抽選申込の日程が発表となりました!抽選申込は5月9日(木)から5月28日(火) まで公式チケット販売サイトで実施されます)の案内も来ておりますが……はて、がっついて木を見て森を見ずにならないよう、どんな種目があってなにがいいのか?

まるで雲をつかむような大きな大会で、国の威信をかけたお祭りなのか、競技会なのか、予習というより、先ずは前回の大会資料を参考に考えてみたい。

 

 

前回の東京オリンピックというと1964年の第18回大会で、その頃はどうだったのか、まず時代背景から……

その当時、1962年2月東京都の人口は1千万人をこえ、世界初の1千万都市が誕生したと報じられました。(当時世界第2位はN.Yの778万人)敗戦直後の都の人口は348万人でしたがめざましい復興で一挙に世界一人口の多い大都会になりました。

その背景には首都圏に金の卵と言われた中卒者の勤勉な労働力供給や、酷電とも称せられたラッシュアワーに代表される官民競合交通網などの技術開発が、著しい発展を遂げたことにも起因しました。

東海道新幹線の開通も1964年10月1日でした。

 

そしてその頃の国民生活はというと所得倍増などと謳われ三種の神器に3C、カー、クーラー、カラーテレビが挙げられ、まだ一般的に白黒のテレビが主流でした。

街頭テレビのプロレス、空手チョップの力道山もその頃です。

「その力道山の面影は長崎の平和祈念像のモデルとして今に生きている」。と紺の制服で美人バスガイドのお嬢さんが仰言っていました。そういえば似ているようにも見えます。

 

 

そんな白黒テレビをなんとか色つきに出来ないものかと、色々工夫された商品が出回っては、いやこれは違う。と総天然色にすべく技術開発も行われたものでした。

 

それを生でオリンピックの現場で開会式を見た者は、それこそ原色でトラックの赤、フィールドの緑、そして観客席のカラフルさに地球はこんなに色彩どりだったのかと新めて感動したという。

 

 

 前回の東京五輪は1964年10月10日午後2時。東京千駄ヶ谷の国立競技場で、アジア初のオリンピックとして、雲一つない秋晴れの空の下、第18回オリンピックゲーム東京大会の開会式が、約7万5千人のオーディエンス(観衆)が注視する中、オリンピック発祥の地ギリシャ選手団を先頭に94の国と地域から参加した6千人余の選手・役員らによる入場行進によって華々しく幕を開けたのでした。

 

 

当然、開催国である吾が日本は約400人の殿(しんがり)行進で正面ロイヤルボックスに向かって歩を運んでくる。

碧空に映える真紅と純白のユニフォームが眩しい日本の男女選手団は、整然と足並みを揃えて競技場を、いや大地を闊歩するそのさまは、幻の第12回(1940年)の返上大会の屈辱を跳ね返して余りある、実に堂々と後世に残る勇姿で、颯爽と世界中の人々の脳裏に深く焼き付けられたのでした。

 

 

その足並みを揃えた一団が地響きと共に近づいてくる。

観衆のどよめきが一層大きく、高くなる。

興奮が伝染して巨大なるつぼに反響する。

皆の目がキラーッと輝く。

ピーンと空気が張り詰める。

 

 

まるで堰をきったような、歴史のなだれ、うねりが正面スタンドに迫ってくる。圧し潰されそうだ。

 

「頭(かしら)ぁーみぎっ」

統制された掛け声が秋空のアンツーカー・トラックに響く。

国旗と共に、赤と白の男女の集団が一斉に頭を右45度に向ける。

振っている400本の右手は一糸乱れず揃って力強く前後に振り子運動している。

7万余の場内は固唾を呑んで粟立つ感動に打ち震えている。

 

 

 

 

 

その感動をさらにオリンピズムに沿って高めたのは、政治的事由で入場行進できなかった国々もあるなか、地球の各地からこの日、自国の旗を掲げんが為に国立競技場の地を踏んだ数少ない気高きアスリートである。

自国の貧困にもめげず。

オリンピズムの崇高な精神に導かれるように・・・・・・。

 

この大会には500人という大選手団を送った大国に、多くの観衆の驚嘆と羨望の眼差しを集めた一方、それらに負けない暖かい拍手と声援を贈られた小さな小国ボリビアの、たった一人で歩く旗手兼選手兼役員に対して、観衆の多くの者が微笑ましく、見つめるうちに締め付けられるように胸を打たれたのではないだろうか。

 

たった一人で、どれほど心細かったか……。

それでも貧しさに負けない。こらえている。

歯を食いしばって堪えて、そして国を背負った重い厳しい境遇から逃がれようともせず、どんなそしりを受けようと、代表として送り出してくれた母国の栄誉を守ろうとしている。

その顔には自ら国の将来を切り拓いていく神々しい人間を越えた意思さえ漂う。

辛い一歩だが、一歩一歩確実に歩むことで先の展望が見えてくる。

 

オリンピックは……。

 

オリンピックの場においてのみ、彼は米国やソビエトなどには一歩も引けを取らない、いやむしろそれらより数段崇高な、堂々とした精神の強靭さを全世界中に訴えているのである。

 

その精神こそ、オリンピズムである。政治的圧力に屈しない、人間の気高き人間であるがゆえの文化とスポーツの融合。

それこそが人間を困難な状況から救う唯一の手段である。

とかれはたった独りで、たえて、おしえてくれたのである。

 

ブルーインパルスの五輪展示飛行や原爆を撥ね返す坂井義則最終聖火ランナーと共に、いつまでも心にのこる立派な開会式であった。

いや、どこまでも青い天までもがスポーツの祭典に一役買っていたのも、それよりさらに20年前に近い1943年10月21日のあの日を払拭する鎮魂歌であったかのように慰撫してくれた。

 

そのころ淀んだ戦況の悪化に追い詰められ、同じ明治神宮外苑の国立競技場で、降りしきる雨の中、顎紐をした学生帽にゲートルを巻き、銃を担った丸眼鏡も含む2万5千人の学生たちの出陣学徒壮行会が先行き不透明の中、けなげにしずしずと行われていた。

東条首相の注視する中、必死で悲壮感を隠そうと無我夢中でその行進行為に没頭している学徒兵の姿が痛ましい。

その日、とうとう雨は降り止まなかった。

 

東京大空襲もB29から吐き出される爆弾が降りやまず100万人もの人災犠牲者が出た。

 

 

そして、ヒロシマ、ナガサキと原爆が落される。 一瞬にして多くの日本人の生命が奪われた。 

 

 

あのとき、1940年の幻の第12回オリンピックが、幻でなく実際にそちらの方、開会に何としても舵を取られていたなら……。

あの嘉納治五郎翁がもう少し元気で政界軍部に睨みを利かせていれれば……。

いや、ただ船旅でも より速く、より快適に、飛行機のようにより小回りが利く専用クルーザーを、カルロス・ゴーン前会長より、世界平和のために嘉納治五郎翁にさしあげたかった。

 

 

歴史に if (もし) は無意味だが、将来、未来には同じシチュエーションになった時、それは生かせる一つの考え方ではないだろうか。

そして、さらに過去の悔しいハンデ

「堪えがたきを堪え、忍びがたきを偲び……」と歴史の浅い外国に覆い被されて、伝統的な日本のイニシアティブを発揮できないようでは、この先も横道へそれかねない危惧さえ覚えないでもない。

 

たとえば、鉾と盾ではないが、安倍政権はトランプからF35ステルス戦闘機141機購入するという。1機あたり百数十億円とも言われ、何兆にもなる戦争道具をなぜ買わされるのか?

一挙に膨大な武器を持てば、内外でのアウトオブコントロールは避けられず、マスコミ各方面でも危ぶまれているように墜落報道には、日米で戦争準備かと国民の政治不信や怒りを向けられよう。

 

それでそのツケに日本国民に消費税増税だと。

なぜトランプに献金しなきゃならんのか。

安倍君は何か弱みを握られているのか?

こういう強引な売りつけをする末期的トランプ米政権に、このまま追随していると好戦的な指導者に引きずられた苦く悲惨な過去がフラッシュバックしてくる。

 

 

過剰防衛は、他を刺激、挑発し、やがて暴発する理なり。

そしてほくそ笑む教唆した者の漁夫のみの利となり、踊らされた者は悲惨な破滅を見る。

 

 

人類は幻の、というより、戦争で中止になった第12回オリンピック大会(1940年)の背景やクーベルタン男爵のポリシーでもある戦争回避などのオリンピズムから何を学んだのか。

 

オバマ大統領は賢明だった。

トランプはプロレスラーとしては一流かも知れないが、人道指導者としてはお粗末だな。

この国を潰して乗っ取ろうとするのか。

自国の利益ではなく、もう少し日本国民のための慈悲と寛容を示せないものか。

 

 

いやいや、実はこれも戯曲で、ちゃんとした脚本が在って、さんざ危機感を煽っておいてから本家のキリスト教精神である人道主義ハリウッド映画流に、どんでん返しで一気に大笑いの喜怒哀楽へもっていく演出かも知れない。

 

 

というかすかな期待はあるが、なにせ人道上やってはいけない原爆投下を許した未成熟の国のこと、間合い、適度な距離を保ち、是々非々で内部牽制しながら後世にツケを残さず、主権国家としての誇りを見失わず、日本国民ファーストで毅然として政権運営を諮っていただきたい。

その国家としての姿勢が開会式の行進に顕れる。

 

 

                     (吟)