庚申とは ②つづき | 地球の日記☆マーク♪のblog☆

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はじめに

 ここから読まれた方にはお分かりいただけないでしょうから ここに前章をリンクしておきますからご参照してくだされ。

 

 

庚申の日の夜、人びとは徹夜で身を清潔に保ちながら体内の三尸(さんし)に昇天の機会を与えないようにするのが「庚申待ち」(申待ち)となった。はて、待ちながら何をしようかと……。

「上記の身を清潔に保ちながら」というのは、禊、沐浴とか信心深いいい子に見せたいという発心。誰に?報告者の三尸に。それは天帝(神)の使いだからである。

それこそヌミノーゼ(畏怖と魅惑)なのである。三尸はチクリ虫なので畏怖感もあり、また誰も見たことがない神秘の生き物だと伝わっている。

人間には矛盾するこの精神が宿っているのである。いわゆる恐いもの見たさである。

それは皆さんすでにご体験済みのことで申し上げれば、クリスマス・イブの夜、そっとサンタを待った経験はないだろうか。

サンタとサンシは似ているが三尸は誰も見たことがないという。ならば一体どんなものか見たくなるのが人情ではないだろうか。

かと言ってジッと待っていれば眠たくなって三尸が天帝に言いつけに行ってしまう。

人間無くて七癖というが、「待ち」時間に何をするか。

本を読む。ブログ道の勉強をする。書く。いやいや楽しくバカ騒ぎする。Etc.等々……どうでもいいが当時の人はこういう事をして待っていたらしい。

 

徹夜で勉強して科挙(採用試験)に合格しようとか、商人なら接待やら宴会などで庚申待ちして景気回復をはかろうと、ちくりの三尸を体内から出さないよう、またどんな三尸だか見てやろうとか躍起になるだろうが、石碑を造立するというのは関西にはあまりない習慣のようである。関東人は酔った勢いなのか、三尸を見たのか、形になる何か記念碑的杭を大地に打ち込みたかったのだろう。あちこちで見かける。しかもそれが現代でも何の名残か分からずともちゃんと残存しているという事実はリスペクト(尊敬)に値する。

 

 

 

 

どうして当時それほど流行ったのか、現代からでは推し測ることもできないが、当時は瓦版ぐらいでマスメディアの発達も今ほどではなかったが、人間、流行には乗り遅れたくないものという見栄も手伝ってか噂が噂を呼んで日本全国に庚申待ち、庚申講が広まったというインパルス(衝撃電流)が津々浦々まで包んだことぐらいは推測できる。ひょっとしたら今の現代にも秘かに大衆の間に潜行して信仰されているかも知れない。

中国の道教から平安時代初期の日本へ入り神道,仏教とも合流して江戸時代まで千年も伝わりのちにはご本尊さまが大日如来や阿弥陀如来、観世音菩薩、不動明王などと色々に変化し広がっていった。

ということは日中韓神仏合作の庶民信仰であったのか。そこには体で覚えた習慣に流されるある意味弱い民衆庶民の息吹、いやそれだけではないな。きっと楽しい息抜きパワーがあって想像もできない愉悦のエネルギーが合体して塑像や貼り絵パッチワークのようにそれぞれの理想、思いを代弁してもらいたく記念碑的庚申塔として各地に石刻造立されていったのではなかろうか。それでないと全国的に千年も続くと云うことはとても理解しがたい。

 

が、時は流れ今や往還の片隅に忘れられたように、また後の祭りのように「庚申」の石碑が時代の名残を伝えている。

それら証から民俗文化の歴史を読み解くのは、なんというか臆せず然も慎重に庭の飛び石をぴょんと渡るようにしてようやく祖先の玄関や式台に辿りつく感じで懐かしさの想像を胸いっぱい膨らまして門をくぐるしかない。 

 

 

 

また祭りには待つという秘かな意味も込められています。往年のATG映画「祭りの準備」という当時の話題作もありました。それは”祭り”とは一定の時や神を待つという人間の理性に照らし合わせた業(カルマ)を映画化した逸品でした。

 

庚申待ちとは、庚申の日,昼夜寝なければ三尸は滅んで精神が安定し長生できると記してあることから三尸とはどうやら疳の虫とか悪さの虫のような煙たがられる疼きに似たチクリ虫、監視虫ではないかと思われます。

言葉を言い換えれば、聖なるものへの畏怖でしょうか。美なるもの聖なるものには貧しくともヌミノーゼ(畏怖と魅惑)の力が宿っており迷いがありませんが、浄化されていない者はたじろぐのです。

 

しかしなぜ庚申(かのえさる)なのか?

それは一つに方角から来た説もありますし、1年に数回ある庚申の縁日も丁度庭石みたいに離合集散の都合がよかったということもあります。

方角説では江戸時代、鬼門、裏鬼門の方角など俗信が流行していました。風水でしょうか。当時は江戸城の北東から鬼が入ってくる鬼門とされ、対の裏鬼門には増上寺など先祖の将軍を祀り守護神として崇められました。

それらが重なって江戸時代にも所謂庚申待ち(講)が興隆したのはこういう口実もあったようです。

 

それとこれは故事に由来したものでしょうが、この庚申を踏襲したと思われる漢字が現代でも使われています。

それは申請、申告の申、なぜ申なのか? 庚申に因んで申し送りされたとも考えられます。根拠は庚申待ちと同じようにお役所や裁判所は申告して一晩、いや場合によってはそれ以上に三尸の出入りがありお伺いを立てなければ調整と称して事が運ばないようでもあります。

 

これを読んで今夜眠れなくなった方は、この私の以前のブログでも読み直して戴ければ、三尸も浄化されて熟睡できます。しかしそんなの読んでも科挙に合格するかどうかは本人次第。

 

それより三尸と仲良くなればそんな心配は無用ではないのか。三尸をまるごと取り込めば何の心配も無かろう。清濁併せ呑むじゃ。そうすりゃ夜も怖くないどころか庚申待ち夢二の宵待ちで三尸相手に眠るのも寂しさを紛らわせて愉しそうじゃ。美人の三尸なら尚更のこと。 

 

 ……ちょっと待て、おい、これって買収とか接待を受けるようにとられかねないんじゃないか。   

  

 おほん、言葉を改める--  どこからも誤解や不平不満を生じさせないように公私混同に努めなければ……。世の乱れを招く。

 

  間違えたか……公私混同したかな(笑)

 

 

                      ( 了 )