ブログネタ:女性は家庭的なほうがいい?
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~花在れバこそ吾れも在り~
300種を超える草木類が今も園内で生長を続けている牧野記念庭園。
牧野記念庭園は丁度今、入り口が桜のピンクと背景の松の緑のコントラストが鮮やかで誘われるように園内に導かれて入っていきました。
これは「オオカンザクラ」(バラ科)で例年より10日ほど早咲きで今が旬。
そして、案内板には 見ごろを表示しています。
園児さんたちもちゃんと挨拶して行儀よく観察していました。
こちらは「カンヒザクラ」(寒緋桜)になぜかこのような鳥がしきりに寄ってはついばんでいました。
何の鳥だか、私には分かりません。
ただ、この季節、ここのサクラがきれいだな。という事だけは分かります。
植物学者として世界的に高名な<牧野富太郎>理学博士は「大日本植物志」を発行するなど独学ながら東京帝国大学理科大学講師となり、また「牧野日本植物図鑑」も発行し文化功労者として94歳の長寿を全うされた。
ご自身が発見された新種に命名されるなどのほかに植物図鑑などで薬草探しなどの手がかりになった事でしょう。
園内、なかでも銅像の前に繁茂しているのが夫婦愛の象徴「スエコザサ」。
博士が愛した妻の名<壽衛>への感謝と愛情を込めて命名。
この「スエコザサ」は「クマザサ」にくらべ、ほっそりと瑞々しく華麗で艶があります。
それではこのへんでブログネタ『女性は家庭的なほうがいい?』に入っていきます。
これまでの日本女性の多くは家庭的に、内助の功として夫を立てて、いや、夫を盾にして安心安全に暮らしてきたような風潮が随所で見かけられます。
ここで取り上げた牧野壽衛さんばかりではありません。
日本史や家系図を紐解くと女性はほとんど固有名詞ではなく「女」或いは「女子(おなご)」と書かれているだけです。
それに比べたら、壽衛さんは世界的に名が知られたわけですからたいへん名誉なことです。
ところで牧野博士の揮毫された書 ~花在れバこそ吾れも在り~
ですが、これは花屋さんでも使えますね。
ただ、牧野博士の意味せんとするところは、「美は生命のエネルギー源」という事を言葉に表したのではないかと思われます。
それから考えると「スエコザサ」はやや可哀そうな気もしないではありません。
が、そのころ新種の花は発見できなかったと見ればやむを得なかったのでしょう。
きっと植物が「探して、見つけて」と牧野博士に呼びかけていたのかも知れません。
私もそのぐらい五感を研ぎ澄まして新種を発見できればいいのですが。
と云っても今のところ、目が行くのは美しい花ばかり。
今もチューリップとゼンマイの奇妙な組み合わせに見入っています。
生きている花は見飽きません。
瑞々しく可憐で妖精のようです。
きっと、牧野先生もそんな魔力に魅せられて植物学者になったのではないかとフッとそんな気がしました。
花の命は~。だからでしょうか、儚い空蝉(うつせみ)に信じられる何かを見出したのでしょうか。
人の情熱は美しいものに向かうべく ゼンマイが巻かれているのではないかと思われるくらいです。
ただ一括りに概念的美を論じてもきりがありません。
姿かたちが美しいと思うもの、中身性格意思や躾が美しいと思うもの、弱さを知ってるリカバリーの強さ、・・・・・・。あとは、ああ、デカダンス(退廃美)もあったな。
つまり、美とは人を惹きつける魅力があるという事のようだ。
だから家庭内にいようと外に出て戦う女性がいようとそれぞれの徳性で美しさを輝かせればいいことになる。
玉石にしてもいにしえよりどうやら美には無限の静かなるパワーが漲っているようだ。
ゆえに、無為自然。 あるがままに。美を愛で賞味、賞賛、賛美し真善美の本質を追究していきたい。
凡そ植物はそれを望んでいるのではないだろうか。
植物は自らは移動できないので、美味であるとか色とりどりの化粧をほどこすとかして動物に訴えかけ、種の保存を望んでいるように見えてならないのだが・・・・・・。






