今日は村の溝掃除の日でした。

 

道路両脇に水路がある村なので、年に一度溝を掃除するのですが、わたしはこの掃除に否定的です。

 

なぜなら、水路には生き物たちが棲息しているからです。

 

草の根元や岩の隙間なのには沢ガニもいますし、カエルもいます。

 

そのため、我が家は溝の草を抜かずに切ることにしています。

 

不可解なのは、溝掃除を行うのは、ゴミの掃除などではなく、景観重視で行われているということで「きれいにしたい」という目的にもかかわらず、水路に家庭ゴミを捨てられることが頻繁にあるのです。

 

溝掃除の名目はゴミの掃除や水の流れをよくするためと言われていますが、実際には、草が生えていると見栄えが悪いので、植物をなくして気持ちをスッキリとさせたいとう意図で行われていることがあります。

 

水路には、水路での自然生態系があり、それらをないものかのように行う人間活動に胸が痛みます。

 

雨が降る前に、庭木の手入れもしました。木々の枝が密集していて風通しが悪く、木に負担がかかっているので、風が通りやすいように、込み入った枝を少しカットしました。

 

保護シカすぐるちゃんは、そのお手伝い最後まで行ってくれました。手入れをす同居人Kのすぐ側でずっといたすぐるちゃん(笑)。あまりの近い距離感にみんなでニマニマしていました。

 

すぐるちゃん、今日もお手伝いをしてくれてありがとう。

 

ところで、保護シカのぞみちゃんのお鼻の大きさが先日、久しぶりに大きくなっていました。

 

 

のぞみちゃんは1年間ほど、山で生活していたことでか、家シカすぐるちゃんより、多く鼻を使います。

 

鼻をよく使って鼻息が聞こえてくる時は、決まってお鼻が大きくなっています。

 

「お鼻、こんなに大きくなるよ~」とのぞみちゃん。

 

のぞみちゃんをレスキューして、治療スペースから庭に行き来できるようになった時は、のぞみちゃんは初めての空間の安全などを確認するために、鼻を最大限使用していました。

 

少し離れていても鼻息が聞こえるほどでした。

 

シカもイヌたちのように嗅覚を頼りに生きていることを実感した時でした。

 

シカたちは、持ち備えた能力を駆使し、危険で厳しい自然環境で生き抜くために毎日懸命に活動を行っています。

 

もちろん、シカたち以外の野生動物たちもです。

 

その動物たちの存在を軽視し、道徳的配慮に位置づけないのは、倫理的問題があります。

 

倫理的行為主体は、他の種の個々の動物たちへの共感する技能を発展させなければいけないと思います。

 

感覚的存在である個々の動物たちが、この世界でどのような経験をするのかを想像したり、その経験に共感したり、知識を深めることは、倫理的義務のひとつです。

 

動物たちは、「個々の存在」であるということを理解して、動物たちを見ると個々の動物たちの個性や感じていることなどが見えてくるので、それを基に個々に動物たちが必要としていることに答えられる人間になろう。

 

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今日も気分がとても悪く、心がとても悲しくつらいです。

人間はいつになったら動物たちへの暴力を手放し、動物たちへ配慮ある行動を行うのでしょうか。

 

人間は他者への思いやりを発揮し、他者へ親切に振るまえる種ですが、極めて残酷な行動をとることが多く、人類が最も血塗られた種である、という矛盾がホモサピエンスを理解できないところでもあります。

 

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