昨日は奈良のシカ市民調査に参加して長い時間、家を留守したので、今日はイヌと保護シカたちとずっと一緒にゆっくりとした時間を過ごしていました。

 

先日から読み始めている、今泉忠明著『行き場を失った動物たち』東京堂出版、2005に、奈良と三重県の境になる吉野熊野古道国立公園の大台ヶ原のニホンジカの「駆除」について書かれていました。

 

2001年5月、環境省は大台ヶ原でニホンジカを「間引く」計画の検討を始めました。

 

動物たちに対して使用されている(動物を)「間引く」という言葉の使用は、差別に基づく言葉であるため、わたしはそのような言葉に「」をつけています。

 

この計画は、自然公園法で動植物の採取が禁止されている特別保護地区内で、シカを捕殺しようというもので、何のための法律かわからなくなります。天然記念物のカモシカもそうですよね。理由をつけて対象種の「駆除」ができる仕組みになっています。

 

大台ヶ原では80年代からシカの生息頭数が急増したと言われており、トウヒ(マツ科常緑針葉樹)の皮を剥ぐシカの生命維持活動によって、木が枯れることが問題視されました。

 

トウヒの天然林を守るために、シカをその周辺から追い出す試みも行われたようですが、結局はシカを捕殺して、シカの数を減らすということになったようです。

 

その方針に対して、近畿地方の山岳愛好家らが100人集まり「大台ヶ原・大峰の自然を守る会」を発足させそうです。

 

会の主張は、「ドライブウエーを通し、無制限に入山を認め大台ヶ原を荒廃させたのは人間なのに、シカだけが悪者にされるのはおかしい」というものです。

 

まったく、おっしゃる通りです。

 

しかし、環境省は2002年から5年間で約230頭を捕獲する「大台ヶ原ニホンジカ保護管理計画」を公表しました。

 

環境省が主体となり、野生動物の個体数管理を行うのは初めての試みで、それに県も村も森林組合連合会のほとんどの人が賛成をしたとのことです。

 

2004年11月、この計画の進行状況が報告されました。その年の捕獲目標頭数64頭に対し、40頭しか捕獲できなかったそうです。つまり、シカは人間が思っているほど多くなかったということです。

 

前年も似たような報告だったそうで、よく調べると、「トウヒの立ち枯れとシカの食害の関連性が薄いのではないかと考えられ始めた」(74ページ)そうです。

 

実際に行われたシカの「棲息調査では、立ち枯れが問題化しているトウヒなどが植生している地域にシカが少なく、逆にミヤコザサが群生している場所には多いことがわかった」そうです。

 

筆者はこの事例に対して以下のように述べています。

 

「木が枯れた…即シカが犯人、それ駆除だ、という人間サイドの決めつけを反省する必要があるだろう」(74ページ)。

 

おっしゃる通りです。

 

農業被害でも同じです。作物を誰かが食べたのを見るなり即「シカだ!」と決めつけられていることが、田舎では非常に頻繁に起きています。

 

実際、農作物を食べたのはシカではないにも関わらず、シカが犯人だ!と人間は決めつけるのです。

 

筆者は、シカたちが移動したり個体数が増減するのは自然現象とし、シカたちが置かれている状況に対して以下のように語っています。

 

「里に下りればシカが出たと大騒ぎし、山奥に閉じこもれば、そこは特別保護区だからだめだとか……シカはどこで生きればよいのか」(75ページ)。

 

 

人間が自然界を闊歩して好き勝手に活動をしているせいで、野生動物たちの生活が苦しくなっているにもかかわらず、動物たちは人間に命を奪われるのですから、人間は野生動物たちにとんでもないことを行っているとうことを自覚すべきです。

 

自然環境のことは自然環境に聞きながら(自然動植物の相互関係などを観察をしてデータを集める)、人間の価値観や思想などを排除した目で自然環境を見て、自然環境が求めている環境を目指していくべきではないでしょうか。

 

自然環境はどうあるべきか、との問いの答えは人間が決めることではなく、自然と自然動植物たちが導き出すものです。

 

絶対的に言えることは、人間はこれ以上、自然環境の破壊や汚染などをやめるべきだということです。

 

自然環境の荒廃を他の種のせいにせず、人間が自ら行ってきた行為に目を向けて反省をし、真摯な対応をすべきだと思います。

 

シカたちをスケープゴートにしたいためにも、にほんブログ村のクリックをお願いしますクローバーいのししクローバーカエルクローバーいのししクローバー

  ↓ ↓ ↓

にほんブログ村 環境ブログ 自然保護・生態系へ
にほんブログ村