今日はわたしの住んでいる市の鳥獣対策課担当の方と野生動物に関する話をしてきました。
今回提出した要望は、シカやイノシシから農作持つを守るための小規模柵の要望です。
市では、村を囲うように山の麓(もしくは山の中)から広範囲にわたり柵が設置されている箇所があります。
このような柵の設置は「獣は山からやってくる」という考えに基づき行なわれているようですが、とても単純な考えだなと思いました。
広範囲な柵の設置は次のような問題があります。
- 柵のメンテナンスが行ないにくい
- 農作物被害が増加に転じる場合がある(設置方法によっては農業被害を防げず逆効果になる・緩衝地帯の減少により、消化吸収がよく栄養価の高い農作物にシカたちが集まることがある)
- 野生の動物の生態と個々の動物たちへの悪影響(動物の行動範囲が制限さてることで生物多様性の減少や遺伝子の単純化の問題が生じる・動物たちの生活が苦しくなる)
市の担当者は、大規模柵の問題を理解されており、現在は小規模柵の設置を市民に指導しているようですが、市民の意向もあり、なかなか実践できていないということでした。
離農された人の田畑は田舎では放置されていることが多いので、そこの柵を撤去して緩衝地帯とする提案をしてみましたが、その作業をするにも市民の意向が反映されるので実践するのは難しいということでした。
放置している場所は野生動物との緩衝地帯とすることで、農業被害は軽減するので、使用していない田畑の開放を願うばかりです。
今日の市との話では様々な話をしましたが、そこで「いのちの教育」の話がでました。
動物利用を前提とした子どもへの命の教育はおかしいと伝えましたが、残念ながら今の社会では動物利用の正当性の脳内変換がされているので、その教育に疑問を持たれることはありません。
動物を犠牲にする「いのちの教育」を子どもたちに行なうのであれば、自然環境との調和の教育を行なってほしいと強く思います。
現場の話を聞くと人びとが自然環境への理解がまったくないことがよく分かります。
自然環境には人間以外の動物たちがいることすら理解されていないことがほとんどなのです。
日本に住む人たちの環境意識が低いのは自然環境教育が適切に行なわれていないからです。
地球には無数の人間以外の動物たちが生存しているという当然のことをまずは理解して、その環境でどのように農作物を育てていくかを考えなくてはいけません。
シカやイノシシを殺してその数を減らしたとしても農業被害はなくなりません。
このこともしっかりと理解して、わたしたち人間は他の種とどのようにかかわっていくかをよく考えるべきです。
地球で農作物が育つのは、環境と自然動植物の相互関係があってこそなので、わたしは自然環境とそこに棲む動物たちにお礼を言いながら生きています。
農業被害に遭うと「お礼」など到底できない「農家の大変さも理解しろ」と言われるでしょう。しかし、動物による農作物被害は地球上では普通のことなのです。その普通のことに人間はどのような工夫や対策をして自然環境と調和できるかではないかと思っています。もちろん、農家という仕事の大変さも理解しています(我が家も農家なので)。
行なうべきことは農作物を守る策であり、動物を殺す事が目的となってはいけないということをひとりひとりが認識する必要があるのではないかと思っています。
野生の動物たちは「敵」なはなく、「仲間」で「隣人」であり、わたしたち人間の生存を支えている存在です。
そのかれらの存在を敵視するのではなく、平和共存という形でかれらと共に生きていきたいものです。
役場からの帰宅後、わたしは急に宇多田ヒカルの曲を聴きたくなり、音量を小さくして聞いているとシカたちが部屋に戻ってきて、一緒に音楽鑑賞をしていました。
「宇多田ヒカルの曲聞いています!」とすぐるちゃん(オス6歳)ですが、少し眠いようです。
反芻運動しながらシカののぞみちゃん(メス推定6歳)も少し眠たそうです。
がんばって目を開けている感じ(笑)。
部屋の奥でではイヌのひよりちゃん(メス9歳)がスヤスヤ寝ています。
宇多田ヒカルの曲を聞きながら落ち着いているイヌとシカたちなので、嫌ではない音楽なのだろうなと思いましたが、イヌとシカたちはどう感じているのでしょうか?
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