●治療が必要な宮島の鹿さんですが、6月20日に亡くなりました。

非常に残念で悲しいです。亡くなったことにより彼女の苦しみは終わりました。

彼女を救えなかったのは野生動物に対するこの国の方針やこの社会を作っている人びとの認識、意識です。苦しんでいる野生動物を救いたいのであれば、国の考えや野生動物を取り巻く構造を批判し、野生動物に対する人びとの意識を共感ある平和的思考に変えなければいけません。

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治療が必要な宮島の鹿さん(チビちゃん)のことで、思考と気持ちが混乱していたので、しばらくブログを休む予定でしたが、ブログに書いておきたいことがあったので書くことにしました。

 

治療が必要な宮島の鹿さんについては、いろいろな情報や意見が流れていますが、「鹿を発見した廿日市市はなぜすぐに鹿を治療しなかったのか?(できなかったのか?)」のか知る必要があります。

 

日本では「第二次世界大戦後の鳥獣行政の歴史の中で、愛護思想の普及活動が、鳥獣保護の思想と国民的世論を醸成する上で一定の役割を果たした時代がありました」。「個体の生命を救うことを主な目的とした傷病鳥獣の救護は、鳥獣保護思想普及のために重要な活動とされていた」のです(参考文献 :行政における傷病鳥獣救護の考え方と 地域の取組み事例」 環境省自然環境局野生生物課鳥獣保護管理室)。

 

しかし、1990年代に入り、鳥獣保護管理という考えの施策が展開し、従来の傷病鳥獣救護のあり方に変化をもらたしました。

 

鳥獣保護管理というのは、個体ではなく種の個体群に目を向けるもので、それぞれの種の個体群を「適正な数」にすることを「保護」(生態系の保護)としています。

・野生動植物の「適正な数」を「管理」するという考えは、思想であり、人間の思い描く生態系構築を目指すものです。

 

 

みなさんご存じの通り、日本では「野生動物に手を出してはいけない(介入してはいけない)」との謎の言説があり、治療が必要な野生動物の救護ができないときがあります。

 

しかし、野生動物の個体数管理や狩猟など野生動物を殺したり、利用したりする介入はよしとされています。

 

これは、鳥獣保護管理の考えが優勢でるため、(希少鳥獣以外の)個々の動物たち(「害獣」とレッテルを貼られた種や非在来種)の救護が困難になっているのです。

 

またそれ以外の要因から、日本では「野生動物に介入してはいけない(救護してはいけない)」という考えになっています。

 

すべての野生動物種を救護対象にするには、国の考え方を変えなくてはいけません。

 

そして、この社会を作っているのは、ここに住んでいる人たちなので、野生動物にたいする人びとの認識や意識を野生動物との平和共存に向けたものに変えなければいけません。

 

「野生動物には介入してはいけない」という考えは日本特有の考え方で、人間の都合よい解釈によって成り立っていることを理解し、そのことへ「それはおかしい」とおう声が多くなることを願います。

 

治療が必要な宮島の鹿さん(チビちゃん)の死の悲しみを野生動物の救護が当然である社会作りの活動に向けたいと思います。

 

この社会のあり方を作っていくのは、ここに住んでいるわたしたちです。

 

傷病鳥獣の救護は、人道的で人間として当然の行為です。

 

すべての動物に思いやりや配慮ある社会を目指しましょう!

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