この社会では、野生動物やその他の動物に対する人びとの反応が過剰すぎであることにどれほどの人が気づいているのでしょうか?

 

例えば、市街地にシカが現れたら各メディアなどはシカを追いかけ、その様子を興奮気味で報道し、人びともまた過剰に反応して大勢でシカの出没を騒いでいます。

 

行政などは住民に「何かあってはいけない」と述べ、市街地に現れたシカの「捕獲」作業が急ぎ繰り広げられます。

 

市街地に出没して人の目にとまったシカは、山に返されることはとほんどなく、猟友会によって殺されています。

 

街にやってきたシカを殺すことなく山に返している自治体もありますが、山に返されたシカは数えられるほどに少ないでしょう。

 

日本の場合、行政やメディアが野生動物に対する恐怖心などを報道や広報などによって人びとに植え付けるということが長年行われてきました。その結果、現状が作り上げられました。

 

野生動物やその他の動物(犬など)に対する日本のこの現象(極度に怖がる・反応するなど)は日本特有のものであり、類をみないものだと思います。

 

他の国では環境教育が行われ、自然環境に棲む動物のことを子どもたちは学び、子どもたちは動物を身近に感じ、自然と共に生きる価値観を備えています(他の国でも動物の「駆除」や個体数管理は行われていますが、日本のように単に動物を大虐殺するのではなく、野生動物が困っていたら動物を手助けしますし、個体数管理はまだ科学的です。さらに現在では、「駆除」に批判が高まり全ての野生動物に害を与えない「思いやりある保全」Compassionate  Conservationが提案されています)。

 

野生動物は身近にいて当然であることが学べているので、動物を見ても過剰反応しない人が他の国では多いです。

 

アメリカやカナダなどでは、野生動物たちの姿を見ることは人間の生活を豊かにするエッセンスだと捉えられており、人びとは庭に来た動物の観察を楽しみにしています。

 

日本でも、庭や畑にきた野生動物の観察を楽しみにしている方たちがいますが、他の国に比べてとても少ないのではないでしょうか。

 

野生動物を理解する以外に、野生動物の生活する場所を人間が奪ってきたという歴史から、その重みを背負い、わたしたちは野生動物に寛大に接する必要があります。

 

動物たちの習性や置かれている状況を知り理解をして、個々の動物たちに共感することが最も大事です。

 

市街地に現れた野生動物を見て「どうしてここにいるのかな?」「山で何かあったのかな?」「遠出をしてみたくなったのかな?」「人間の生活領域に興味があるのかな?」など、市街地に現れた野生動物にたいする想像を膨らまして、街に取り残された野生動物の心境に共感してみましょう。

 

そして、動物に過度に怖がらず、双方の安全を確保した救護作戦ができないかを考えてみよう。

 

救護作戦を考える余裕がない場合は、野生動物と出会った時の対処方法を実践して動物に刺激を与えないためにも過剰に反応したり、騒いだりしないようにしよう。

 

野生動物と出会った時の対処方法はこちらです下矢印

 


下矢印

 

野生動物との問題を生み出さないためにも、動物に過剰反応せずに冷静を心がけてみましょう。

 

ちなみに、アメリカではシカが庭にいるのはよくあることですし、建設現場に迷いこんだシカはフェンスを開けて外に出す対策が行われています。その時に人間がシカの体調やケガなどにも注意を払っているとことがさすがだと思います(記事)。

 

そして、民家の室内にある冷凍庫の食材をクマが出して食べている様子はこちらです。住民はクマに気づいて、クマに声をかけています。そしてドアを閉めてクマの様子を見ながら住民は笑っています。下矢印

 

 

冷静を意識して動物を観察しながらその時に応じた対処を行えばいいということがよくわかります。

 

 

室内でごゆるりなイヌのひよりちゃん(メス9歳)とシカのすぐるちゃん(オス5歳)照れ下矢印

「今日はみんな落ち着いてるねん」とすぐるちゃん。

 

(動物も含んだ)環境教育って大事だよねっと思った方は、にほんブログ村のクリックをお願いします。

  ↓ ↓ ↓

にほんブログ村 環境ブログ 自然保護・生態系へ
にほんブログ村