今朝は雨が降っていたので、犬たちはお散歩をお休みしました。

 

明日はお散歩にいけるほど天気が回復したらいいですが、しばらく寒気の影響で天気はよくない予報なので、お家時間が増えそうだなと想像しています。

 

ぬくぬくお部屋でゆったり時間の犬のひよりちゃん(メス9歳)と鹿のすぐるちゃん(オス5歳)。↓

今日も猟犬に関する記事を書こうと思います。

 

先日、市の鳥獣対策の担当者と猟犬について話をしてきましたが、話の中で担当者は「猟犬の幸せ」について語ったので、わたしの意見を担当者に述べてきました。

 

わたしが「犬の利用を改めるべきだ」と話すと、市の担当者は「使役犬の幸せもある」と言うので、わたしは「犬が自ら使役犬になると言ったのですか?」と言いました。

 

わたしたちもそうですが、自分の意思で「こうしたい」「これをしたい」「これをする」と行動するのは、その者の幸せにつながります。

 

使役犬の場合はどうでしょうか?

 

犬たちは自ら「使役犬になる」と言っていませんよね。

 

人間が犬たちに「これをしなさい・こうしなさい」と、犬の意思に関係なく、犬に使役犬として生きることを強いていますよね。

 

犬たちには自分として生きる選択はなく、人間が個々の犬たちの生き方や生涯を勝手に決めて、それを犬たちに強要しています。

 

このような生き方の犬たちを幸せだと言えるのでしょうか?

 

言えませんよね。

 

市の担当者はおそらく、使役するのは犬の「本能」であり、犬はそれを望んでいると勝手に思い込み決めつけているのではないかと思いました。そうでないと、「使役犬の幸せ」という言葉は出てこないのではないかと思ったのです。

 

人間は人間の都合で犬像を勝手に決めつけるこが往々にしてあるので、凝り固まった考えは柔軟にする必要があります。

 

まず、犬という種を知ること、犬という個々の存在に目を向けること。

 

そして、個々の存在を尊重すること。

 

犬は人間の側で適応進化して生きてきた歴史があり、犬の使役は人間社会に大きく貢献してきました。

 

このことから、市の担当職員は「猟犬を使用しないということは、使役自体を否定していることになる!」と言いました。

 

担当職員は、使役犬の否定は文明の否定と言いたかったのかなと思ったので、「歴史はそうですが、現代どうすべきかではないでしょうか」と意見しました。

 

実際に猟犬による事故は発生しており、使役することで犬も犠牲になっていることが明らかになっている現代、わたしたちは犬に対してどのようにかかわるのかを倫理的に考えていかなければならないです。

 

つまり、人間のために他の動物を利用するという発想を見直すということですね。

 

他者を苦しめないためにも、人間の知力をじゅうぶんに発揮して、人間のことは人間が対処していくという考えが必要ではないでしょうか。

 

自分たちの能力で問題解決に向けて動くという視点が人間には大事だよねと思った方は、にほんブログ村のクリックをお願いします。

  ↓ ↓ ↓

にほんブログ村 環境ブログ 自然保護・生態系へ
にほんブログ村