猟期に入ったので、わたしの気分は落ち込みぎみです。
落ち込みが激しかったので、先日、精神内科で薬の調節をすることになりました。
薬の種類を変更して新たな薬を就寝前に飲んで寝ることができないなら、朝に飲むように言われました。
その調節に時間がかかり不安定な日が続いていましたが、新たな薬は朝に飲むと調子がよいことがわかりました。
薬が合っているようでひとまず楽になりましたが、薬だけの作用に依存しないように、動いたり、気分転換したりして自分でも気分がよくなる工夫をしています。
日本の動物への認識や扱いを見ていると、本当に気落ちします。
モチベーションは下がり気持ちは曇天になります。
情報鎖国状態になっている日本なので、他の国の情報を調べては自分の気分を高めています。
ところで、『つれてこられただけなのに 外来種の言い分をきく』という本をみつけたので読んでみることにしました。
本書の監修は元上野動物園の園長、小宮輝之さんです。
この本は子ども向けに書かれており、動物の写真や絵が豊富にあるのがよかったです。
内容も冒頭で「外来生物問題は人間の問題」と書かれており、よい印象でした。
ただ、古い認識で書かれている内容もあり、そこは不満でした。
たとえば、アライグマは成長すると「野生の本能があらわれて狂暴になる」と書かれていることなどです。
他の国ではずいぶんと前から「本能」という言葉を使わずに、動物の「習性」と言われるようになっています。
日本では、アライグマは手に負えない生き物として情報が拡散されていますが、本来のアライグマは決してそうではありません。
日本でアライグマが狂暴と言われるのは、飼育環境が原因です。
アライグマの希望にそえていない環境では、アライグマはストレス行動を行います。
わたしたちはアライグマのストレス行動を「狂暴」と言っているのです。
・人間による「捕獲」で逃げ場がなく身の危険を強く感じたアライグマは、人間に威嚇や攻撃(防衛行動)を行います。このアライグマの行動は動物であれば行って当然の行動です。それを凶暴と言うのは正しくありません。
日本での飼育方法は、アライグマを檻に監禁した飼育をしたり、短い鎖でつないで飼育したりしていることが多いのではないでしょうか。実際に「狂暴」とレッテルを貼られたアライグマの生活を写真などで見たことがありますが、そのアライグマは行動をかなり制限されていました。
そのような環境下では、好奇心旺盛なアライグマは大きなストレスを抱え苦しみます。
野生で生活しているアライグマと遭遇しても、アライグマはわたしや犬を襲うことはなくわたしたちの姿を見るといそいそと逃げて草むらのなかなどに身を隠しています。
他の国で飼育されているアライグマの動画などを見ると、とても楽しそうに人間や犬と生活をしています。もちろん、アライグマは室内で自由に行動しています。
日本は動物の閉じ込め飼育が一般的であり、動物たちは自由を奪われ苦しんでいるのです。
動物たちの自由な行動を奪う行為は暴力であることに気づいてほしいなと思います。
外来生物については、まだわからないことが多くあるにもかかわらず、「駆除」対象になっています。
外来生物は「悪者」と決めつけている人間ですが、そうではない研究報告が近年発表されており、外来生物への認識を改めるべきとする研究者らの見解が増えてきています。
そもそも、種は時代とともに移動します。その移動を自然界ではありえない速さで行っているのが人間です。
人間は従来の自然環境を「善」とし、変化を恐れ外からやってきた種を排除しようとします。
排除する理由に、在来種と外来生物の競合や、在来種が外来生物に襲うことなどがあげられます。
その様子を見て、人間は「大変なことが起きている!」と思うかもしれませんが、それが生態系のあり方なのです。
問題は本書にも書かれている通り人間の活動にあります。
人間が動植物種を何かの理由で利用しようとして、種を新天地へ運んだり、人や物の移動で種も一緒に運ばれたりしています。
外来生物に関する話は人間が自ら作っているということです。
しかも、それをさらに利用して人間が利益を得ているのです。
外来生物も、他の属性の動物と同じく人間に搾取されているのだと思いました。
外来生物は「悪」ではなく、この地球環境の生態系を回復・維持する存在であるというのが最新の科学的知見です。
生物たちは新天地で懸命に生きようとしていることを忘れないでほしいです。
彼らは、全く知らない土地で緊張しながらも、生きぬくためにとてもがんばっています。
その彼らへの偏見や差別をなくし、平和にかかわっていける人間でありたいものです。
イヌもネコもウシもブタもその他の動物たちも外来種とレッテルを張られている種の生命は等しく尊いものです。
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