今日は庭掃除と室内掃除をがんばったわたし。

 

犬と鹿たちはがんばるわたしをさりげなく応援。

 

犬と鹿たちの応援はわたしの様子を見に来てくれたり、側で自分時間をすごしたり。

 

それぞれの時間をすごしつつ、互いに意識し合う犬と鹿たちとのこの時間がとても素敵な時間になっている。

 

家にいると犬も鹿たちも食べ物に困ったり、暑さ寒さ、喉の渇きに苦しんだりすることはない。

 

しかし、野生で暮らす鹿やその他の動物種たちは、毎日が過酷な日々であり、大変苦しんでいる。

 

野生動物たちは「農作物などを食べる」「増えすぎている」など言われ、人間から一方的に悪者にされているが、野生動物たちは本当に悪者なのだろうか?

 

野生動物の行動や行動の変化、食性など、すべて環境が起因している。

 

野生動物の行動は自然環境を映し出していることから、野生動物の行動や状況などは自然環境からのメッセージである。

 

たとえば、単一農業が盛んになった頃の北海道では、鳥たちが大量死したり、衰弱したりしていた。原因は農薬散布の毒によるものだった。

 

一定数の鹿が現在人里近くで生活しているのは、戦後、奥山が国林事業で破壊されたからなどがある。

 

山に食べ物が十分にない環境では、鹿やその他の動物種たちは生活できる地に移動を余儀なくされる。

 

その動物たちの声(行動)に目を向け、耳を傾けてみよう。

 

野生動物たちはこの地球で共に生きる隣人であり、わたしたち人間の仲間だ。

 

野生動物たちは人間が破壊・汚染する環境で、人間にとても遠慮しながら生きるため懸命に活動をしている。

 

そのかれらに、わたしたちは暴力を行使るすのではなく、思いやるある心を向けてみよう。

 

野生動物たちが直面している現状を知り、生活に苦しむかれらに救いの手を差し伸べよう(自然環境保護)。

 

現在「駆除」が盛んに行われているが、野生動物たちの生活や自然相互作用などを知るとそれが検討違いの活動であることが理解できるだろう。

 

それ以前に、野生動物を「駆除」するという発想は倫理的、道徳的観点から容認してはならないのではないだろうか。

 

「『駆除』はしかたないね」と思うかもしれないが、一方的に他者の命を奪うことに「しかたがない」ということはない。

 

「命に感謝し命を大切に」と言うならば、かれらの命を奪わず、かれらの死体を利用することはやめよう。

 

命に優越はないため、それぞれの命を等しく大事にする精神を育ててみよう。

 

野生動物たちの声(行動観察)を聞きながら、問題は平和的解決策で対策をし、野生動物たちを苦しめない思いやりあるやさしい心に磨きをかけていこう。

 

野生動物たちにたいして平和的思考で、野生動物たちに歩み寄ってみませんか?

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