今朝は雨が降っており、活動量の少ない日をすごしていた犬と鹿たち。

 

昨日、出掛けていたわたしも今日はゆっくりした時間をすごしていたが、とてもショックな動画を見て気分が落ち込むに日なった。

 

わたしが見た「水路に落ちた子鹿」というタイトルの動画では、自然環境にコンクリートで人工的に作った水路に落ちた子鹿が写し出されており、動画最後の方で子鹿の死体が映っていた。

 

動画はこちら下矢印見るのがつらい方は見ないでほしい。

 

動画に映し出されていた水路には毎年数頭の鹿が転落して死亡しているという。

 

しかし、鹿が水路に落ちない対策や、水路に落ちても自力で地上にあがれる対策はとられていない。

 

野生動物は人間活動で困ったり、命を落としたりしているが、助けることや環境改善せず「何もしない」という現状だ。

 

自然環境に人工物を作る際は、野生動物や他の動物が怪我をしたり、命を落としたりしない設計にする必要がある。本来はそうしなくてはいけない。

 

野生動物を助けない理由には、「野生動物だから」「野生動物は野生のままに」など言われることもあるが、それならば野生動物の「駆除」や捕殺、利用を行うのはおかしい。

 

そして「害獣」だからということで、救護しないという考えもあるだろう。

 

しかし、個々の野生動物たちには「害獣」や「外来種」という人間社会の都合は関係ない。

 

すべての野生動物の存在は同じである。

 

それを区別して種により差別的扱いを行うのはおかしい。

 

他の国では種を問わず、困っている動物がいると救助している。

 

その救助が難しい状況であっても、救助できる方法を人々は考え動物たちを助け出している。

 

救助に重機が必要ならそれを用意する。

 

人手が必要なら人を集める。

 

道路をはがす必要があるならそれを行う。

 

そばに救助に必要な物や道具がない場合は、その場にある物、たとえば、自分が着ている服などを使い、動物を助け出す方法を生みだしている。

 

他の国の野生動物救助は、ハチやヘビ、チーター、ゾウ、シカ、ワニ、キリン、サイ、リス、トリ、など実に様々な動物種に行われ、野生動物保護団体だけでなく、救助を市民が行うことは珍しくない。

 

シカの救助の一例を紹介すると、フェンスに脚が絡まったシカの救助や人工的ため池に閉じ込められたシカの救助、負傷して弱っている幼いシカの保護があり、それぞれの記事のリンクを下下矢印に貼っておくので、興味のある方はクリックしてほしい。

 

 

 

 

 

日本では野生動物の救助は一般的ではないが、他の国では身近な行為である(少数だが日本でも困っている野生動物をサクッと助ける人たちはいる)。

 

困っている者がいれば助けたくなるというのが人道的で自然な人間の行為ではなかろうか。

 

困っている者は、その状況から脱したいと思っている。

 

その動物たちの感情に共感する人間は自然と困っている動物を助けようと行動する。

 

野生動物たちの生息地に人間が勝手に人工物を作り、その構造物で野生動物が怪我をしたり、死亡したりする現状を鑑み、困っている動物がいれば積極的に助けるべきだ。

 

もちろん、救助するにあたり人間の安全・救護動物の安全を確保する必要があるが、これは可能なことだ。

 

双方の安全を確保しつつ安全に救護できる方法をわたしたちは考え出すことができ、それを実践できる力がわたしたちにはある。

 

何もしない、放置するという行為から一歩前進して、野生動物を困らせない、命を落とさせない活動を行ってみてはどうだろうか。

 

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