一日家にいる予定だったが、とても身近な親戚(女性)の訃報が届き、急遽お悔やみに行ってきた。
わたしは、通夜と葬式には参列しないため(通夜と葬式はわたしの両親だけ行くことになった)、お悔やみに行って最後のお別れをしたかったのだ。
とても身近な親戚とはいえ、わたしたちが7年前田舎に引っ越しをしてから、亡くなった親戚とは一度も会っていなかった。
亡くなった親戚の家には、わたしは幼い頃からよく遊びに行っており、亡くなった親戚はわたしを大変かわいがってくれていた。
わたしがおとなになってからも、亡くなった親戚はわたしのことを気にかけてくれて、度々、わたしの顔を見に来てくれていた。
亡くなった親戚は、家父長制に苦しんでいたひとりの女性であり、老後は、施設に入居することを希望していた。
彼女の生前は、女性差別に耐える日々であり、彼女は家事など行わない生活を望んでいた。
わたしが幼い頃は、正月には親戚が彼女の家に集まり、彼女がひとりで作ったおせち料理を大勢で食べるのが恒例だった。
幼いわたしは、その集まりが少し苦手だったが、楽しい思いでもある。
わたしがおとなになり、正月の集まりを彼女が非常に苦にしていることを知ったが、彼女の苦しみを本当に理解したのは数年前だ。
社会の構造的差別を知ったわたしは、この社会には女性差別で苦しむ女性が大勢いることを理解し、その中にわたしもいたことを理解した。
社会で常識となっていることは、人々は「普通」と認識し、自分が差別を受けている、自分が差別を行っているということに気つきにくい。
差別を行っている側は特に、自分が差別をしていることに気がつけず、本人に差別を指摘しても理解できないことがほとんどだ。
わたしは女性差別を通して、社会で「普通」となっていることにこそ、批判的思考を発揮しなければいけないと思った。
普通(常識)になっていることが、全て正しいと(よいことと)は限らない。
社会で普通になっていることでも、他者を苦しめる行為は批判するべきことであり、他者を苦しめない関係性を築くことができる社会を構築を目指したい。
過去に生きた女性たちが、女性の権利を主張し、女性差別に抗議してきたからこそ、わたしはこうして選挙権を得ることもできている。
女性は選挙権を得ることをできたが、現在の社会には女性差別は蔓延している。
女性差別を学ぶに、赤松良子 監修 国際女性の地位協会 編『新版 女性の権利』岩波書店、2005をおすすめする。
『新版 女性の権利』を読むと「ハッ!」と気づくことが多くあり、常識が常識でない物事の多さに驚くだろう。
本書は、女性の権利について書かれた本だが、差別の構造は地続きであることから、動物権利活動にも大変参考になる一冊である。
日常にある差別に、自分はどれほど気づくことができるだろうか?
人間にひそむ差別意識は、人類や他の動物種にとって何もよいことはない。
今のこの社会を見ていると、人権意識が高まる教育が本当に必要だと感じる。
社会にある様々な差別に気づくと、生きる世界が変化し、自分として生きることをより深く考えることにもなるだろう。それが、自分の人生をより深いものとするとわたしは思っている。
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