~お願い~

 

わたしのSNSに「いいね」やリツイートしてくださる方たちにたいして、ジビエ・狩猟好きが嫌がらせをしてくることを知りました。このことを知りわたし自身おどろいています。わたしのSNSにアクションして、もし、嫌がらせを受けられた場合、ご自身を守るためにそのアカウントを即ブロックしていただきたいです。そして、嫌がらせの内容が酷いものであれば、管理会社に通報してほしいです。みなさん、よろしくお願いします。

 

 

今日はalterna(オルタナという出版社)の「松山ケンイチ、『捨てられるシカ革に付加価値を』」という記事を読んだ。

 

サスティナビリティについて書かれているサイトだが、ジビエ利用肯定の記事が掲載されている点で、正確な情報を発信しいるとは言えない。

 

日本ではなぜか、ジビエがSDG’sと言われることが多くある。

 

自然農法で作物を育てている人たちも、ジビエを肯定していて、持続可能や自然保護の認識が他の国と日本の状況では異なっている。

 

このブログで何度も伝えているが、ジビエは持続可能ではない。

 

そもそも、ジビエは大きな癒着構造の上、行われていることなので、メディアや企業などが積極的に利用促進活動を行っている。

 

今回の記事の掲載もそうだが、例えば、ドラマやコミックなどでさりげなくジビエを取り上げられることも度々ある。

 

ジビエを広げるには、芸能人はよい広告塔になる。

 

そうやって、ジビエが社会に浸透していき、ジビエ利用が盛んになっていく。

 

オルタナに掲載されていた今回の記事に書かれていた松山氏の発言や編集記事内容で気になった箇所を1つずつまとめていく。

 

⒈     「廃棄するシカ、イノシシ、ヒツジ、クマなどの獣皮のアップサイクルを目的としたライフスタイルブランド「momiji」を奥さんの小雪さんと立ち上げました」。

下矢印

鹿や他の野生動物は本来殺されずにいる動物たちだ。人間都合で殺した動物の体を一部を利用することはアップサイクルではない。

 

⒉     「田舎でどんな事ができるのか探っていくなかで、シカやイノシシなどの獣の皮を廃棄していることにも問題意識を持ったのです」。

下矢印

問題意識を持つのはそこではなく、問題意識を持つのは、「なぜ、野生動物と人間との間に問題が生じているのか?」「なぜ、わたしたちは野生動物を大虐殺しているのか?」だ。

 

⒊     「自分自身も6年前からハンターの免許を持っており、害獣駆除をしていたのですが、害獣の皮は捨てていました。駆除したシカの肉は食べるのに、何で皮は捨てるのか疑問に思い~」

下矢印

疑問に思うのは、「なぜ、自分は『害獣駆除』という名目で野生動物を殺し、野生動物の体の一部を食べているのか?」ではないのだろうか?

 

⒋     「東京にある『一般社団法人やさしい革』という団体を知りました」。

下矢印

「やさしい革」とはどういう意味だろうか?何に、誰に「やさしい」のだろうか?動物の皮が人間に手に渡るということは、個々の動物たちの苦しみ、痛み、恐怖、絶望、死を生みだし、そして、その家族や仲間の悲しみ、孤独を生みだしている。「やさしい」などよく言えるものだと思う。

 

⒌     「背景には社会課題もある。みんなでこの問題を考える商品をつくろうと思い、momijiを立ち上げました」。

下矢印

ここで言われている背景にある「社会課題」とは何を示しているのだろうか?背景にある社会課題は、自然環境破壊を伴う野生動物への悪影響による諸問題の解決を考えることではないだろうか。ジビエを利用するショップを立ち上げることと何の関係もない。

 

⒍     「害獣の皮を説明するには~」

下矢印

「害獣」という野生動物は存在しない。鹿や他の野生動物は地球で生物が生存できる環境を構成する構成員である。わたしたちは野生動物に「害獣」とレッテル貼りをして種差別をしているのだ。

 

⒎     「普段食べているものがどんな工程をたどっているのか、想像してほしいのです。ぼくは自分の目で確かめたかったので、ハンターの免許を取りました。きっと、その体験をすることで、『いただきます』の意味が変わり、人生を豊かにすることにつながると思ったのです」。

下矢印

食べ物がどのような工程で自分の手元に渡のかを知るには、自ら狩猟免許を取らずとも、家畜と言われる動物たちが飼育されている施設や屠殺場などを訪問すると動物たちがどれほど酷い扱いを受け苦しんでいるかわかるだろう。自ら狩猟者となり、動物を殺し、動物の体の一部を食べることがなぜ、人生を豊かにすることにつながるのか?動物の殺害の正当化によく利用されている「命に感謝する」とかだろうか?

 

⒏     「生きものを殺すことは残酷~事実」

下矢印

事実であれば、その残酷行為をなぜ行っているのだろうか。真に残酷だと認識しているのであれば人間はその行為を行わなくなるものだ。

 

⒐     「一つの側面を見て『これはエコ』『これは残酷』とは言えない問題がそこにあります」。

下矢印

その問題とは?言っていることが不明。

 

⒑     「廃棄した素材を活用(アップサイクル)して新たな商品にする『サーキュラーエコノミー』に挑戦したいです」。

下矢印

ジビエ利用はアップサイクルでもサーキュラーエコノミーでもない。

 

⒒     「松山さんは地方では畑仕事や狩猟などエシカルな暮らしを実践していますが~」

下矢印

狩猟はエシカルではない。

 

記事を読んでいると、言われていることが支離滅裂でエコロジーやエシカルについての氏や編集者の知識に疑問を抱く。

 

わたしたちおとなが子どもたちに伝えていかなければいけないことは、野生動物との平和共存である。

 

それが、持続可能であり、子どもたちの暮らしをも豊かにする。

 

まず、野生生物に「害獣」などとレッテルを貼る差別をやめなくてはいけない。

 

そして、「駆除」という恐ろしい発想について、おとなはよく考えるべきだ。

 

野生動物たちは、無抵抗な弱者である。

 

その野生動物たちにわたしたちが行っている残忍な行為についてわたしたちは向き合わなければいけない。

 

このような記事を読むと、暴力が正当化される構造がよくわかる。

 

社会には、人びとの思考や認知を誘導するさまざまなトラップが仕掛けられているので、十分に気をつけなければいけない。

 

そうでなければ、気づかぬうちに暴力の世界にのみ込まれていく。

 

わたしは今までに、企業などに野生動物についての意見書を送っているが、全ての回答で問題意識の問題があった。

 

問題提起が本質から大幅にズレているのだ。

 

意図的に、本質から目をそらす発言もあるかと思うが、そうでないことも多いという認識をわたしは持っている。

 

人びとが本質に目を向けることができないのは深刻な問題で、このことが今後の社会のあり方によくない影響を与えると思っている。

 

現在人は忙しくて事物にたいし、ゆっくりと考えることができない現状だと思ううが、少しでも立ち止まり、深く考えることを行ってほしいと思う。

 

弱き小さく無抵抗な野生動物たちを暴力から守って行きたい。

にほんブログ村のクリックをよろしくお願いします。

     ↓↓↓

にほんブログ村 環境ブログ 自然保護・生態系へ
にほんブログ村