良い天気になり、イヌシカたちは日中快適そうにすごしていた。
ここ最近、シカののぞみちゃん(♀推定4歳)がごきげんだ。
ふわふわマットでくつろぐのぞみちゃん
毎日、同じような生活をしているイヌシカたちだが、その日その日で気分の良さが異なり、それが表情に表れたり、行動などに表れたりする。
イヌシカたちの気分がよいと同居人のわたしもうれしくなり気分がよくなる。
他の種と他の種とともに生活をする人間の関係性(異なる種と感情を共有するなど)は貴重な経験だと思う。
そう思えるのは、個々の動物たちを尊重し、動物たちと対等な関係だからであり、動物に「しつけ」や「トレーニング」を行う関係性では経験できないことだと思う(実際、わたしが犬たちに「しつけ」や「トレーニング」を行っていたときは、犬たちの感情の変化に気づけず、感情の共感や共有はできていなかった)。
わたしは生活を共にしている今のイヌたちを見おくった後、新たなイヌを我が家に迎えない予定なので(負傷したイヌやその他の動物がいたら保護はする)、イヌたちとの今の生活をしっかりと感じ、記憶に残していきたいと思っている
ところで、昨日うれしいコメントをいただいた。
野生動物やその他の動物にほとんど関心を寄せられないこの社会だが、動物たちに関心を寄せる人がいて、動物の観察が好きな人の存在を知ることができてとてもうれしく感じる。
日本の動物福祉が向上しないことや動物の権利意識が低いのは、動物に関心を寄せる人が少ないからだ。
他の国では、動物たちに多くの人が関心を寄せているので、動物にたいする扱い方も日本とえらく異なる。
他の国では動物たちを人間がよく観察しており、その観察を通じて動物に寄り添おうとしている。
そのため、動物たちが必要としていることに気がつき、それに応えることができているのだ。
この点は日本とまったく異なところだ。
日本の場合は、人間の考えや感情などを動物に押しつけることが多く行われており、それが動物を苦しめる原因のひとつとなっている。
人びとの動物への関心(動物のしあわせへの関心)は無意味なことではなく、動物を守り助ける大きな力となるのだ。
ナショナルジオグラフィックに「クマ救出のため、避難先から危険を承知で戦果のウクライナに戻る」という記事が掲載されていた。
●記事はこちら↓↓↓
戦争は動物までも犠牲にする。
この罪深い行いを人間はよく考えるべきだ。
今回、保護されたのは、生まれてすぐに人間によって母親と引き離され、18年間サーカスで虐待をうけていた現在22歳のクマ、マーシャだ。
マーシャはサーカス団から保護され、広い囲いの中で暮らしていたが、今回の戦争で世界最大のヒグマ保護区であるリバティ・クマ保護区に移送された(戦争が起こる以前からその予定だったそうだ)。
保護区までは車で20時間以上かかったそうだ。
マーシャは長旅により大きなストレスを受け、ぐるぐる円を描いて歩き回っていたそうだが、翌日には少し落ち着き始めたそうだ。
マーシャは生まれてから一度も他のクマを見たことがなく、新たな保護施設でクマを初めて見た。
長い間苦しみ、トラウマを抱えるマーシャだが、新たな保護区で他のクマたちと共に平穏な生涯を送ってほしいと思う。
マーシャを移送したのは、ウクライナを拠点とする「ウォリアーズ・オブ・ワイルドライフ」という動物保護団体創設者であるライオネル・デ・ランゲ氏だ。
マーシャを移送するためのデ・ランゲ氏の意思は記事を読むとわかるが、大変強く大きい。
弱者を守るための人間の力というのは、ときに非常に大きく強きものになる。
その力が困難に思えることでも可能にするのだ。
その行動を行っている人びとは当然必死(真剣)であり、助けることがすべてとなる。
苦境に立たされた動物を救護することは、非常に大変なことだが、人間は(すべてではないが)それを可能にすることができる。
可能になるのはなぜか。
助けるという強い意思と動物の救護に自分の人生とお金を惜しみなく使うことができるからだ。
そして、仲間がいて可能になることもある。
動物を助けたくてもひとりでは助けられない状況もあるので、動物に関心にある人びとが多い国や地域は救護活動がスムーズに進むだろうと思う。
我が家が負傷したシカののぞみちゃん(♀推定4歳)をレスキューしたさい、獣医師に「自分たちの生活もあるのでこれ(お世話など)ばかりやっていられないと思うから~」と言われた。
しかし、のぞみちゃんをレスキューしたわたしたちは、無自覚に「そればかり」になっていたのだ。
逆に、わたしたちが「そればかり」になっておらず、のぞみちゃんのお世話や治療を適当に行っていたらどうなっていただろう?
おそらく、のぞみちゃんを救うことはできていなかっただろうと思う(獣医師からは何度も安楽死の話が出ていたし、傷の悪化を防ぐこともできていなかっただろう)。
シカのすぐるちゃんの保護やのぞみちゃんのレスキューがうまくいったのは、すぐるちゃんとのぞみちゃんが内臓に損傷を受けていなかったということもあるが、その他に、すぐるちゃんとのぞみちゃんに全力で向き合うことができたからではないかと思っている。
非常に厳しい状況から動物を救護するには人間は自然と全力になるものではないかと思う。
もちろん、全力で行動していても救えない動物もいる。
マーシャを保護したデ・ランゲ氏は過去に「なぜ人間を助けないで、動物なんか助けるんだ」と非難された経験があるそうだ。
しかし、動物を助けずにはいられないのは、動物が弱者であるということをよく理解しているからではないだろうか(記事にそのことについてデ・ランゲ氏の言葉が書かれている)。
デ・ランゲ氏は「私たちは動物を見捨てることはできません」と語っている。
わたしも、その側にいたいと思う。
戦争により多くの動物たちが犠牲になっていることが今回の記事に書かれているので、ぜひ読んでみてほしいと思う。
~人間の大きく強い力は弱者を救うためや自然環境を守るために使いたい。~
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