昨日は、自分の学力の無さに、悲しみや悔しさなどの感情から涙が出た。
今、こうしている時も、無数の野生動物は「捕獲」され殺害されていると思うと、気持ちが焦る。
焦るのは、野生動物にとって少しでも助けになる活動ができる自分になりたいという気持ちがあるからだ。
そのため、勉強をしているが、焦っているので勉強が思うように進まず、空回りしている。
しかも、わたし自身、他力本願思考に傾いていることに気が付いた。
他力本願思考になる原因は個人的なことと(感情など)、社会的なことがあると思う。
社会的なことは、幼いころから、ヨーロッパのように民主主義について教育を受けていないことがあると思う。
わたしは、幼い頃の生活環境により、ほとんど学びができていない。極度のストレスからか、高校生時代の記憶はほぼ消滅している致命的な状態だ。さらに、社会や政治にも全く関心がなかった。
そのような状態だが、鹿たちを保護してから勉強を始め、少しずつ知識が増えてきている。しかし、まだまだダメで、自分自身を情けなく感じるし、さらに焦りも出てくる(まだまだダメなのは当然のことなのだが).。
他力本願に思考が偏るのは、民主主義の教育の土台が軟弱なため(おとなになってから学んだため)わたし自身無自覚で、その思考になっているのだと思った。
動物たちの扱いの改善を思うばかりに、焦りが出て、「どこかに活躍してくれている人はいないかな~」「そういう人がいたらうれしいな~」「そうなったらいいな~」など思う自分がいた。
しかし、自分が活動していろいろ変えていこうという気持ちが一番大事なのだと再確認していた。
民主主義は市民が運動で勝ち取ってきたものなので、それを止めてしまうと民主主義ではなくなってしまい、権力の都合のよいように物事が進められ、守るべきものを守ることができなくなってしまう。
わたしは、そのような社会はイヤだと思うので、他力本願ではなく、自分自身、ひとりでも行動できる人間になっていきたいと思う。
社会正義運動とは、長期的活動であることから、焦りとも決別したいなと思った。焦って何か変わるどころか、焦りによる弊害の方が多いとわかったので・・・。
焦らず、無理なく自分のペースで着実に進めていくのがいいなと思った(と思うけれど、また焦りが出てきたり、悲観的になる時もあるだろうと思う・汗)。
物事を着実に進めていくには、自分に「焦らない」「落ち着こう」と言ってあげながらやっていくことがいいと思ったので、そうしていくことにした。
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