今日も穏やかな一日になった。ここ最近穏やかな日が続いているのでうれしく感じる。

 

鹿のすぐるちゃんを保護してから様々のことがあり、落ち着かない生活の状態で鹿ののぞみちゃんをレスキューした。

 

当時(3,4年ほど前)を思い出すと、今の暮らしがとても穏やかに感じる。

 

鹿たちを保護するようになり、わたしたちの生活は一変し、鹿たちはわたしたちを新たな広い世界へと導いてくれている。

 

もちろん、犬たちもわたしたちに今まで知らなかった世界をわたしたちに教えてくれているし、多くの経験をさせてくれている。

 

●すぐるちゃんの幼い頃の動画が出てきた。

保護して間もない頃のすぐるちゃんと、少し成長した頃のすぐるちゃん。

 

 

 

 

鹿たちと生活するようになり、大きく変化したことは、食事と消費の変化(動物性を消費しない生活になる)、環境意識の向上、TVを処分したことなどで、政治・社会への関心も高まった。

 

そして、犬鹿たちはわたしに常に自分と向き合うことを教えてくれている。そのため、わたしは過去に比べとても成長できていると思っている。

 

過去のわたしと今のわたしは行動や意識、思考など別人のように変わった。動物たちを通じわたしは今後も変化していくのだろうと思っている。

 

自分の変化から思うことは、他種動物たちとかかわることや他種動物を知ることは、多くの人が出来る事だが、そこにとどまらず、個々動物たちに対し共感したり、関心を持ったりすることで人として持つべき大事なことに気がつけるのではないかと。

 

そのためにはまず、他の種の動物とわたし(人間)は同じ動物であり、進化途中で枝分かれしたにすぎないということを理解することからだと思う。

 

そうすることで、他の種と対等に関わることが自然とできる。

 

最初から、他種動物と対等にかかわることができればよいが、今の社会で育つと多くの人がそうでないおとなに成長しているのではないかと思う。

 

幼い頃は他種生物に関心を持ち、仲良く関わっている子どもがいても、その意識はおとなが作り出している社会の色に染まり幼い頃の感覚は失われていく。

 

このことは私の経験からも言えることで、幼い頃の感覚を取り戻すには多くの気づきと努力、知識、認知の修正などが必要になってくるので、結構大変だ。

 

わたしは幼い頃、肉(他の生き物たちの身体)を食べることが嫌だった。それを親やおとなに言うと、「食べなければいけない」と言われ続け、幼いわたしが出した結論は「わたし一人が動物を食べなくなっても助かる命は少ない」というものだった。動物を食べたくないのに食べなければいけなかった幼少期は非常に苦しかったが、幼いわたしは、そう自分に言い聞かせ(幼いわたしには)逆らえない社会の慣行にのまれていった。

 

幼いわたしは、「わたしには動物を救えない」と決めつけ、楽な方へ逃げたのだろうと思う。

 

今となっては、幼いわたしにこう言ってあげたいと思う。

 

「あなたが動物を食べないことで、多くの動物の命が救われ、多くの動物たちの苦痛を減らすことができる」と。

 

わたしたち人間が生涯で経験する苦痛を減らそうとしているように、他の動物種にもその意識を拡張させ、他の動物種の道徳的地位が向上することを願う。

 

他の動物種たちは社会から弱き立場に置かれて小さな存在だと認識されているが、多角的に見て、他の動物種たちの存在は非常に大きく、わたしたち人間が持ち具えていないものを多く持ち具えている存在だと思っている(たとえば、種独自の能力、個々動物たちの寛大さややさしさ、配慮や協力といった能力など)。

 

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