日は風がほぼなく気温が6度あり、過ごしやすい日になった。
冬になってから室内で過ごす時間が多かった犬たちも、今日は庭に出て日光浴したり、お昼寝したりしていた。
ポカポカ気持ちがいいね~
「おひさんがまぶしい~」と春ちゃん(♂10歳)。
のぞみちゃん(♀推定4歳)は、身をひそめられる場所でひっそりと。
午前中、友人と宮島で鹿の保護活動をされている方に荷物を届けにヤマト運輸(クロネコヤマト)に行ってきた。
クロネコヤマトにはとても久しぶりに行ったのだが、受付がデジタルになっていたのでおどろいた(笑)。
届け先などを紙に書かなくてよく、タブレットに入力するだけで、紙に何度も書く手間が省けて楽だった(今日は計4個の荷物)。
あまり知られていないかもしれないが、宮島の鹿たちの生活を支える夫婦がいる。
宮島の鹿たちは人間の都合で、現在、食糧を得ることができなくなっている。
以前、宮島の鹿の生活をお世話する夫婦に牧草を届けた際、妻からお礼の電話があり、その他に手紙、宮島の鹿の写真とチラシを届けてくれた。
宮島の鹿たちの写真↓↓↓
チラシ↓↓↓
宮島の鹿の状況を書かれたチラシの内容を紹介したい。
日本の宮島、厳島神社が1996年世界遺産に登録された。
そこにはたくさんの野生の鹿が生息している。
昔から宮路までは神の遣いとし時折食事を鹿桶に入れて与えていたらしい。
戦後、極端に鹿の頭数が減った為、餌付けをして数を増やした。
その数百万という観光客は訪れ宮島に鹿ありき、となったが増えすぎた為、
市は鹿の頭数を減らす計画をしたがその方法が残酷である。
鹿江の給餌を止め、飢えた鹿が自然に山へ帰るようにするというのです。
鹿がどんな死に方をしても責任を負わないと言う。
現在、宮島全頭で何頭生息しているのか把握できる完全な資料はない。
多くの鹿が観光客の食べたゴミや食べ残し、紙類等を食べて消化不良で死に至る事が多々ある。
それを防ぐ為ゴミ箱の改善や数を増やす事も未だ聞き入られてはいない。
宮島の山も世界遺産。
山へ返して樹木を食い荒らしたら駆除されないか心配である。
そして照葉樹木の森には鹿の好む草木が本当に少ない。
また毒草も多く島内には芝地も限られている。
この10年、対岸の老夫婦が週に一度ボランティアで給餌を行い命を繋いでいる。
島のシンボルである愛すべき鹿達は世界遺産の一部です。
どうか皆様!宮島の鹿を飢えから守る為、御協力下さい。
鹿を助けたい。と思われる方は是非メール下さい。宜しくお願い致します。
Help-the-miyajimadeer@miyabi-con.jp
宮島の鹿 広報支援
なんというひどい人間都合の出来事であり、ひどい市の判断だと思う。
鹿は「神の遣い」ではなかったのか?
この「神の遣い」というのは、本当にそう思い大切にかかわってきたことと、「神の遣い」を利用して利益を得ようとすることがあるだろう。
奈良公園でも言えることだが、鹿を観光資源として地活用している一方「鹿は野生動物だ」といい、鹿を利用する以外のことを行わない現状がある。
たとえば、観光資源として有益なことは行うが(鹿せんべいを与える・小鹿公開・角切りなど)、体調が悪い鹿の救護は極めて消極的活動であったり、奈良公園内に鹿の食べ物が不足しているにも関わらず、それを改善する気がなかったりなどある。
●小鹿公開や角切りは動物虐待行為にあたる。胎児がいるにもかかわらず、母鹿は麻酔銃で麻酔を投与され、出産、産後の子育てに不適切な環境下で見世物として扱われる。妊婦である鹿にこのような扱いは動物福祉、動物権侵害にあたる酷い虐待だ。麻酔銃は強力な威力があるため、個々動物の身体を傷つける可能性が高い。そのため、吹き矢にこだわる獣医師もいる(吹き矢を少し改造し、鹿にもきちんと針が刺さるようにされている)。
角切に関しても、雄鹿は毎年麻酔銃を撃たれ、目覚めたところ、逃げ場のない場所で人間に激しく追われ縄で捉えられ、鹿は人間に強い力で押さえつけられ、強度の恐怖と身体的・精神的苦痛を経験しながら角を切り落とされるのだ。それ以前に、雄の鹿にとって非常に大事な身体の一部を人間都合で切り落とすこと自体が動物権侵害にあたる。
鹿を観光資源として利用しているが、「野生動物」としておけば、たとえ鹿と人間間で発生した問題に市や県は責任をおわなくて済むという構造だ。
このような野生動物の搾取は一刻も早くやめなければいけない。
人間都合で利用してきた動物を都合が悪くなると、あれこれ理由をつけて放置することがこの社会で頻繁に起こっている。
このようなことからも、社会の成熟度の低さが伺える。
このような無責任かつ酷い仕打ちを動物たちに行わないおとなになろう。
動物たちに対して自分たちが行う行動に責任を持ち、最後まで手放さず、しっかりどっしりと生きよう。
個々動物の存在や命は重いのだ。
人間の都合で宮島の鹿が増えすぎたというのであれば、鹿たちに避妊プログラムを実行することも可能だろう。
避妊プログラムをしつつ、鹿に食糧を与え、個体数が減少するのを待ち、今後人間都合で増やさないようにすることではなかろうか。
個体数が増えたから「し~らない」って、どれほどいい加減な考えかと思う。
それ以前に、鹿に対して食糧を与えないこと=鹿に死の宣告をしていることが、非常に非道徳的である。
このようなおとなの判断に反対する声が必要で、その声が道徳や倫理ある社会を構築していくきっかけになると思う。
なので、小さき弱き者を守る者が少しでも増えていってくれることを願う。
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【追記】
ツイッターでお知り合いになった方から、宮島の鹿について「飢えている鹿を助ける」と「餌やり反対」に分かれているということを聞きました。
餌やり反対の理由は、野生で生息している鹿に餌を与えるのはよくないということだそうです。
たしかに、野生動物に人間都合で食糧をあげることはよくないです。なぜなら、野生動物の行動を変化させ、自然界に予期せぬ事態を発生させるからです。生息密度が高くなり感染症が種に蔓延することもあります。
しかし、宮島の鹿や奈良公園の鹿のように人間都合で餌付けをし、鹿をその場(観光地)に居続けるように仕向けられた場合、その時点で人間に責任が課せられるとわたしは思っています。
ですので、さらなる人間都合で鹿を死に追いやってはいけないと思っています。
もしこの先、鹿を観光資源としないなら、野生復帰プログラムを全力で実行しないといけません。もちろん、生息地の確保も含め、鹿が野生で本来の生息活動ができる環境を整えることも含めてです。それが無理というのであれば、助けないといけないですよね。
「野生は野生のままで」とよく聞きますが、野生動物たちはすでに人間活動により多大な悪影響を受け生活に困窮していることから、救護対象であり、実際に助けを必要とする個体が多く存在しています。
野生動物が野生で生きられるように(人間の手助けがほとんど必要ないよう、野生動物たちが本来の生涯を送れるように)、わたしたちは野生動物たちの生息地を回復し、守っていかなければいけないです。
自然環境に生きる野生動物たちは、人間活動の影響を免れることはできません。
このような点からも、わたしたちは野生動物たちに対して責任ある行動をしていかなければいけないと考えています。
「野生動物は野生のままで」という、ひとつの考えではなく、現状を把握しわたしたちが今すべきこと(野生動物が苦しまないようにや、野生動物が野生で個々独自の生を生きれるようになど)を考察、模索してくことが大事なことではないでしょうか。
バルタン星人っぽい、鹿のすぐるちゃん(♂4歳)。
宮島の鹿たちのお世話をしている夫婦を応援したい。
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