今日は風がなく、穏やかな日になった。
午後から友だちと飼料屋に行ってきた。
ためしに、牧草を少し購入。
日中、犬たちの布団を庭に干していたので、取り入れようと縁側に行くと、庭からチュンチュンと鳥の賑やかな鳴き声が聞えてきた。そぉ~と覗くと、小さくかわいい鳥さんたちが大勢いた。
鳥さんたちを脅かしてはいけないので、犬たちの布団は取り入れることなく、鳥さんたちが移動をしてから布団を取り入れることにして、縁側から鳥さんたちの写真を撮っていた。
美しい鳥たち。
野生動物たちの観察は非常に魅力的で、野生動物たちの姿を長い時間見ていたくなる。
カナダや他の国では、自然界で生きる野生動物たちの観察ツアーなどがあり、それを通じても野生動物と人間との距離が縮まり、野生動物たちへの誤解が生まれにくくなる。
そのため、野生動物や自然環境との「共存」という精神が人びとに根付きやすくなるのだろうと思う。
もちろん、そのようなツアーに参加しなくても、身近でいくらでも野生動物を感じることができる。
野生動物たちは「隣人」である。地球で共に生きる隣人に対し、わたしたちは丁寧にやさしく接しなくてはいけない。
野生動物が農作物や花壇を荒し、困っている人もいるが、そこで考えることは「なぜ、野生動物たちが田畑や庭などに来るのか?」ということではなかろうか。
そこで、人間中心的な思考であれば、田畑を荒らした野生動物に対し、憎悪が出てくるだろう。
憎悪は良くも悪くも働くと思うが(例えば、争いを憎悪することで、争いを繰り返さないという気持ちが出てくるのではと思う)、憎悪は負の感情であることから負の感情からは冷静で平和的な思考が生まれにくく、他者だけでなく憎悪を持っている本人をも苦しめる。
丹精込め育てた作物を野生動物が食べたことによりショックを受ける気持ちは理解できる。
生活がかかっているなら、なおさら落ち込むだろう。
しかし、野生動物たちが人里に脚を運び農作物を食べる理由がある(生息地の山には野生動物たちの食べ物が無い)。
その理由を知り、野生動物に人里や田畑に脚を運ばせなくてもよい対策をひとりひとりが意識をし、それに向けた取り組みをしてみてはどうだろうか。
直ぐに対策が実らない状況では、野生動物に思いやりある適切な防除柵でその場をしのぎ、野生動物と人間との棲み分けを実現できる環境を目指すのがいい。
そのためには、人間中心的考えでは物事がうまく運ばないので、そうではなく、野生動物の生活を中心に思考した策を採用できるわたしたちでいよう。
野生動物による農作物損失額は行政に補償してもらえるように、農家の方たちは活動をしてほしいと思っている。わたしもその要望活動を継続する。農家(市民の)声を聞くのが行政や政府だ。保険に加入していなくても、損失額を行政が補償してくれれば、まるく収まる。市民の生命や生活を守るのが政治の仕事だ。
シカやイノシシが農作物を荒らすことで、農業にやる気が出ず、農業離れが進んでいるなど言われているが、本質はそこではなく、本質は政治の問題だ。それを政府は野生動物の「せい」にして、人びとの意識を本質からそらしている。
現在、米価格の下落が続いており、下落対策を求める声が行政に届かずにいる地域がある。
真に農家の生活を考えるのであれば、野生動物殺しに多額の資金(税金)を投入せず、農家の暮らしを支えていることだろう。
わたしの住んでる県では、フォレストという取り組みがあり、それを「自然環境保護活動だ」と言っているが、内容は自然保護活動に見せかけた人間中心の活動だった(自然でのレジャーを充実させるなど)ので非常に残念だ。
このような取り組みは、自然環境と野生動物問題の根本的解決にはならない。
他の国が行っているように、野生動物や自然環境のためだけの対策が求められているのだ。
その活動は、結果的に人間の長期的利益となり、わたしたちの暮らしをも豊かでよりよいものにするだろう。
野生動物に対し、負の感情を抱くのではなく、この地球で共に生きる隣人として友好的にかかわっていこう。
野生動物殺しに熱をあげるのではなく、冷静に状況判断をし、目を向けるべきところにしっかりと向け(政治に目を向ける)、野生動物とは平和的、友好的にかかわろう。
政治という本質に目を向け、根本的解決に向けみんなで取り組んでいこう!
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