今日は一昨年の年末(12月30日)に保護した幼鹿、せーこちゃんの一周忌だ。

 

せーこちゃんは、交通事故に遭い後ろ足を負傷していた。保護して6日目の夜に体調が急変し、安楽死を余儀なくされた。

 

当時を思い出し、悔しさと悲しさが込み上げてくる。

 

交通事故に遭った鹿を救うには、ケガをしている鹿に対し最大限の配慮が必要で、丁寧な接し方が必須だ。

 

それは、救護するわたしたちや治療を行う獣医師にも言えることだ。

 

わたしたちがいくら患者に気配りをしていても、獣医師がそうでなければ、救える命も救うことができない。

 

このことは、今まで救護してきた経験から絶対的に言えることで、学んだことでもある。

 

なので、診察、治療をしてくれる獣医師に「やさしく、丁寧に接して」と要望している。

 

しかし、それがなかなか伝わらない場合があり、患者は獣医師が往診に来ると激しく動揺し、緊張をするのだ。

 

野生動物は「強い」と思っている人もいて、扱いが乱暴な場合があり、それが命取りとなる。

 

野生動物に対し、個々がどのような認識なのかわたしにはわからないが、言動を見聞きしていると、野生動物に対して圧倒的に丁寧な接し方が欠けている。

 

犬に同じようなことをするのか?と思うほどである。

 

野生動物であっても、大きなケガをした場合、身体は多大なダメージを受け、痛みを伴っている。

 

それが、野生動物だと、何故か「そうでは無い」ような、扱いになるのだ。

 

負傷しているのに、そうでないような扱いを受けると当然、さらに傷は大きくなるので、命を落とすことになる。

 

これほど、悲しく悔しくつらいことは他にそうそうない。

 

わたしから言えることは、過酷な野生という環境で生きているたくましい動物たちだが、犬や猫、そしてわたしたちと同じように、ケガをすれば当然苦しく、それなりのダメージがある。

 

野生動物だから、しょうしょう手荒な扱いをしても問題ないということは絶対にない。

 

野生動物となると、「襲ってこないか?」や「暴れないか?」など思う人もいて、わざわざ患者に「ためす」行動をする人もいるのだ。

 

「ためす」とは、人間を襲うか襲わないかを確認するため、あえて野生動物に嫌なことをする。たとえば、口に手を出す、顔を触るなど。

 

救護された野生動物たちは、激痛に耐えている状態なのだ。

 

傷み苦しんでいる動物を目の前にして、人間的な発想でさらに野生動物を苦しめることはしないでほしい。

 

傷み苦しいときに、患者のその感覚と感情に寄り添えない人間は、動物たちから好かれない。

 

野生動物は犬などの家畜と違い、人間は恐怖対象であることからも、大きなケガをしている野生動物を救護したり、診察・治療したりする時は、最大限の気遣いをしてあげてほしい。

 

本当に、小さな小さな音にでも怯えたり、人間の動きに緊張したりするので、丁寧な行動や患者の立場に立った接し方が求められる。

 

野生動物に関しては、診察や治療の場面でも、野生動物に対しての偏見や思い込み、決めつけなどが、回復に向けた治療の弊害となっている。

 

なので、まずは野生動物たちに対しての偏見などを払拭して、野生動物たちを信じて、敬意を持って治療を行ってほしいと思う。

 

野生動物たちは、自分の状況をよく把握している。そして、自分にかかわる人間についてもよく把握しているので、かかわるわたしたちが野生動物に対して誠実に接していれば、野生動物たちがわたしたちに本気で攻撃してくることはない。

 

しかし、それでも「野生動物は信用ならん」と言う人もいる。

 

そう思うなら、まず、なぜ「信用ならん」と思っているのか自問してほしいと思う。

 

きっとそこには、野生動物に対する偏見や差別などがあるだろう。

 

わたしは、動物を信頼している。

 

動物を信頼することが、最初の一歩だと思っている。

 

信頼することができると、敬意を持って接することができ自然と丁寧なかかわり方になり、治療の大きな助けとなる。

 

野生動物は強靭ではなく、犬や猫、人間も含めその他の動物同様、繊細な生き物である。

 

野生動物に対しての理解が深まることを願うばかりだ。

 

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