今日は昨日と変わり、気温が下がって冷たくどんよりとした雲に空が覆われていた。
朝方、近くで大きな雷が長く続き、犬鹿たちは驚き鹿のすぐるちゃん(♂4歳)は急いで室内から庭に飛び出た。
すぐるちゃんが大パニックにならないか焦ったが、ならずにすんでよかった。
雷はわたしもとても苦手で、ドキドキが止まらない。すぐるちゃんが雷を非常に怖く感じるのはよくわかるだけに、雷が早く遠ざかってくれるのを願いながら時間を過ごしていた。
ところで、アメリカ、バージニア州で町中の木の上で4頭の熊が居眠りをしているという記事を読んだ。
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木の上で居眠りしていたのは、母親の熊と子ども3頭だったそうだ。
記事には居眠り中の熊さんの画像があり、熊さんの寝姿がなんとも心地よさそうで、見ていてほっこりする。
バージニア州の当局は、近隣の道路を閉鎖し、チェサピーク動物サービスは、近くの住民に屋内にとどまるよう、また一般市民にもその地域に近づかないよう要請したそうだ。
当局は、「クマに『スペース、静かさ、時間』を与えることで、彼らが去ることを期待しています」。と語っている。
まさに、この、スペース・静かさ・時間が、熊たちが自然の生息地に戻るために必要なことで、この状況を熊たちに提供するのがわたしたち人間のやるべきことだ。
子育てをしている母熊は、予期せぬ行動をとる可能性があるとし、「"これはクマにとって非常にストレスの多い状況ですので、その地域から離れることが重要です。それは現場を車で通り過ぎることも含みます"」と書かれている。
そして、「私たちの期待としては、彼らを放っておけば、登って降りて、自然の生息地に戻っていくことです」と語られている。
町に現れた熊を「見守る」ことの理解があり、それがベストだという判断ではなかろうか。
アメリカでも町に現れた熊や人と距離が近すぎる(町から離れない)熊は殺されていることがある。しかし、すぐに殺すのではなく、状況を把握したり、熊の状態を判断したりなどが行われている。
一方、日本では、熊が街に現れるとマスメディアたちなどが熊を追い立て、熊に多大な恐怖を与え、熊を大パニックにさせている。このようなことは絶対にしてはいけないことだ。そして、町に現れた野生動物の大半が猟友会によって殺されている。
野生動物を「見守る」という観点がほぼとないと言っていい現状だ。
言い換えれば、殺すことしか知らないということではないだろうか?
他の国で行われているように、町に現れた野生動物がどうしたら自ら自然の生息地に戻るのかを考えなくてはいけない。
殺すことしかしないのは、道徳的にも倫理的にも正しくないことだ。
わたしたちの社会にも、やさしさや思いやりといった、生きるに大事で必要なことがもっと根付くといいなといつも思う。
やさしさ、思いやり、気遣いある社会はすべての者の苦痛を軽減させ、よろこび多い生涯を生きることができる。
生きるということの本質、命の大事さ、そして個々の尊さを感じ考えられる社会を願っている。
野生動物たちは、落ち着いた状態だと状況判断ができ、自ら自然の生息地に戻る。それをわたしたちは、見守るのがベストだ。
野生動物を怖がらせない、野生動物に危害を加えない、野生動物を見守るということを周知できればいいなと思う。
やさしさと思いやり、そして配慮の領域を広げよう!
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