今朝起きると、庭にうっすら雪が積もっていて、しばらくすると大粒の雪がフワフワとやさしく降ってきた。

 

みんなで朝ごはんを食べ、犬たちは庭にウンコをしに行った後、室内で寝始めたので、今朝の散歩はなしになった。

 

石油ファンヒーターで室内をあたたかくして過ごしていたのだが、冷え込みがひどく灯油の減りがはやいことに少し「あぁぁぁアセアセ」という気持ちになっている。

 

天候が悪いとき、犬たちは室内のおもちゃ箱の中に入っている木の枝などを齧ることが多く、カミカミタイムを楽しんでいる。

 

おもちゃ箱は鹿たちも時々使っていて、おもちゃ箱の中にある物を噛んだり、おもちゃ箱を噛んだりしている(いや、それ⦅おもちゃ箱⦆おもちゃじゃないんだけど・笑 と思いながら見ている)。個々におもちゃになる物が違うところもおもしろい。

 

鹿たちと暮らしはじめてから、わたしは、鹿と犬との共通点を多く知ることになった。

 

鹿のすぐるちゃん(♂4歳)が、犬のおもちゃや木の枝を噛んで遊んでいることに対して、すぐるちゃんが幼いときから犬と育ってきたからだと思っていた。しかし、野生で生活をしていたのぞみちゃん(♀推定4歳)も犬のおもちゃや木の枝、そしてクルミを噛んで遊ぶ。このようなことから、鹿たちも犬たちのように、物を噛んで遊ぶということをするのだと知った。

 

細長い枝を咥えて遊ぶのぞみちゃん。

 

こちらの写真ものぞみちゃん。口の奥に枝を入れて奥の歯で枝をシガシガ照れ

そして、現在、野生で生活している鹿たちも、木の枝で遊ぶことを畑に植えてある木の痕跡から確認した。樹木の葉を食べるのではなく、口当たりよさそうな枝をシガシガした跡があったり、枝が折れていたりした。採食が目的なら口に入れた枝を食べ、枝はすべてなくなっていただろう。

 

犬もだが、鹿たちも(野生で暮らす鹿たちも)安全な場所であれば、遊びを見つけ出しては楽しむ。鹿も犬のように楽しむ心(感情)を持った生き物なのである。

 

犬たちを大事に思い大切にかかわるように、心を持った鹿たちにもそのかかわりの域を広めてほしいと思う。

 

心があり、様々のことを感じ生きている鹿たち。その鹿たちの生に人間が意図的に苦しみを与えることなく、鹿たちの生から少しでも苦痛が少なくなるかかわりができれば、個々人間はどのような気持ちになるだろうか?

 

わたしは、人生で今が一番心地よい暮らしになっている。種で区別し差別することなく、それぞれの種、個々の存在を大切に思う気持ちがなによりの平和であると思う。

 

わたしは鹿たちを保護する前に知人から鹿肉をもらったことがあり、犬たちの「食べ物」と認識していた。当時はそれが「当たり前」「普通」だったのだ。なぜ、何も抵抗もなしに鹿肉をもらうことができたのか・・・?それは、想像力の欠如と知識不足、そして「消費する物」として認識していたからだ。

 

当時、目の前にある鹿の角や鹿の死体の断片から、鹿たちの苦痛を想像することができなかった。「消費する物」として認識したいたため、その背景が全く見えていなかったのだ。

 

わたしの目の前にある鹿の死体の断片は、どのようにしてここにあるのだろうか?と当時考えることができていたのであれば、どれほどよかっただろうかと思っている。

 

目の前にある鹿の身体の一部の個々が経験した、想像を絶する苦痛や恐怖、絶望、残された家族や仲間の苦悩や悲しさを想像できなかったわたし自身を非常に後悔し、当時を思い出すと吐き気がする。

 

多くの人はなぜ、犬を食べないのだろうか?

 

それを考えると自然と犬以外の動物たちへも思いやりの感情を向けることができるのではなかろうか。

 

鹿も犬と同じで、よろこびやかなしみを感じる心ある存在で、大切にされるべき存在であるとわたしは思っている。

 

 

 

「あたなたは、なぜ、犬を食べないのですか?わたしは、その理由から鹿を食べませんし、消費しません」。

 

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