今日は市議会議員の方と11月14日に起きた、住宅地・観光地での集団猟について市に話をしに行ったが、この話は後日書くことにして、16日保護した鹿さんのことを書きたい。

 

午前、保護した鹿さんの容態が急変。原因はおそらく野外の大きな音に驚き動いた時に身体に何かが起こったのではないかと推測している。

 

鹿さんは痛みが激しく、目を見開きうなっている。

 

人間が痛みを感じているときと同じだ。わたしたちも痛みが激しいと目に力が入りうなりもだえ苦しむ。

 

かかりつけの獣医師は夜しか動けず、それまで苦しむことになる。

 

高度医療病院の獣医師にも連絡をし、緊急手術ができないかなどを聞いたが、人数が集まらないことと、車での移動が問題となった。

 

家で少し動くだけでもそのようになるということは損傷が激しく、車での長距離移動はかなりの負担となり、苦痛を与えるだけだと。

 

高度医療病院が、すぐ近くにあるとどれほどいいかと思う。とても悔しい。

 

夜、かかりつけの獣医師に薬を投与してもらい、薬の効果が出る時間になっても効果がなかったら安楽死という判断になった。

 

悲しすぎる。

 

わたしたち人間は他の動物に苦痛だけしか与えられないのかと絶望的になる。

 

野生動物保護の法的作業をきちんと済ませ、高度医療病院が受け入れを許可してくれ、今回はスムーズでよい結果になると信じていただけに、悲しみが大きい。

 

だが、結果がこうなってしまったには原因があるので、もし、いつかまた野生動物を救護した場合は、法的手続きをしてからそのまま緊急手術を絶対にしてもらおうと思った。

 

病院の都合もあるが、待っていてはいけないと強く思った。

 

種を問わず、野生動物の救護が社会で普通となり、どこでもいつでも質のよい診察や治療をうけることができる社会になるといいなと思う。

 

交通事故に遭った動物たちの身体の損傷は酷いことがほとんどだが、その中でも内臓に損傷なく脚の骨折のみの子もいる。損傷が比較的軽い子に出合うことはほとんどないと思うが、重症の子でも高度医療でなんとか助けてあげたいと思う・・・。

 

わたしたちは2回続けて安楽死の選択を余儀なくされたが、後何回、このようなことを繰り返さなければいけないのだろうかと思う・・・。

 

保護した鹿さんたちのことを思うと、胸が苦しくなり涙が出てくる。

 

鹿やその他の動物たちは、わたしたちが感じることを感じ(人間独自の考えや発想などは省く)、種は違うけれど、私たちのようにそれぞれの種の社会で生活をしている。

 

その彼らの生活の苦しみ、痛み、よろこび、安らぎなどに共感し、共に生きたい。

 

苦しみだけを他者に与える種(人間)だとは思いたくない。

 

他者の苦しみや痛みについてわたしたちはもっと敏感にならなければいけない。

 

保護した鹿さんの口にスポイドでお湯を少し垂らした。すると「もっと欲しい」と言ってくれた。

 

そうやって、恐怖対象である人間に出合って数日で意思を伝えてくれる心美しい鹿たちだ。

 

わたしたちが野生動物たちに今行っている行為の事の問題の重大さに気づくべきだと思う。

 

酷いことを行っているとそのしっぺ返しは必ずくる(今では地球温暖化による気候危機やパンデミック、食糧難など)。

 

 

保護鹿さんの回復を信じてくれていたみなさんに、このような結果をお伝えすることになり、気持ちが落ち込むばかりです。いつか、よい報告ができる結果になることを信じ、活動していきます。

 

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