昨日は近くで集団狩猟が行われたため、大変な一日になった。

 

犬鹿たちは何度も聞こえてくる銃声に驚き怯え大パニックに陥った。山で生活している動物たちの激しいパニックに陥っていただろう。

 

今日は気分が明るくなるような記事を書こうと思っていたが、同居人Kから衝撃の事実を聞き、その記録として書きたい。

 

●読者のみなさん、今日も気分が落ち込み悲しくなる記事ですみません。痛み苦しみ悲しむ動物たちの声を少しでも届けたいと思います。

 

同居人Kはわたしに事実を伝えると、わたしが悲しみ寝込むと思い数年前の出来事を話せなかったという。

 

数年前から近くで銃声を聞いていたが、「まさかこんな近くで…」と思い、「ここであってほしくない」という気をそらす心理が働いていた。しかし、その銃声はまぎれもない銃声でその時、小鹿が撃ち殺されていたのだ。

 

その様子を一部始終見ていた住民の証言によると、山から猟犬に追われたシカ親子が大慌てで山から出てきて道路を超え逃げようとしていたそうだ。

 

すると、向かいで待ち伏せしていた狩猟者に撃ち殺されたという。

 

母親は死を免れたが、子どもが殺人兵器により殺された。

 

狩猟者の男は、子どものシカの脚をロープで縛り、ぶら下げ持ち帰ったそうだ。

 

猟を一部始終見ていた住民である女性は、猟犬の怖さなどから外にでることができず、女性の夫がその狩猟者と話をしたそうだ。

 

狩猟者の男は「趣味でやっている。ここでもう何頭も殺している」と語り、「殺すとみんなに喜んでもらえる」と言っていたそうだ。

 

この出来事の問題点は野生動物を殺すといった行為以外に、多くの違法行為が行われている点もある。

 

まず、この男が銃を持ち発砲した場所は私有地であり、猟の許可を所有者から得ていない。

 

そして、猟犬を放し猟犬に野生動物を追わせているとい、条例違反にあたる。

 

さらに、銃の発砲は道路と民家めがけて発砲されている。しかも、山の斜面から低い位置にある道路と民家向けての発砲だ。

 

このすべてが違反行為である。

 

こういうことがすぐ裏山で行われていたのだ(いるのだ)。

 

この出来事があった後、住民の女性が、残された母親の姿を何度も見ていた。

 

母親は子どもが殺され、血痕が残った場所に何度も訪れ子どもを探しているかのように見えたと女性は言っていた。

 

母親の混乱、悲しみ、切望などは計り知れない大きな苦しみであろう。

 

お腹の中の子どもの成長を感じ、痛みを伴いながらの出産、そして、自分の体内から産まれ出てきた子どもとの出会えた感情、子どもが自分(母親)にすりつく行為に感じる母親という感情。全てがとても尊く、無二なものだ。

 

子どもが日に日によく歩けるようになり、乳もたくさん飲んでくれ、母親はさぞかし子どもの成長にさまざまな思いを持っていただろうと思う。

 

子どもは母親の体温を感じ安心をし、また、母親も子どもの体温を感じホッと安心するだろう。

 

子どもが撃ち殺された母親の気持ちなど、撃ち殺す男には全くわからないだろう。

 

わたしたち以外の動物たちも、悲しみやよろこび、恐怖、痛みなど感じることはさまざまな研究で明らかになっている。

 

その者たちに、今、わたしたちが行っていることはどれほど罪深いものか考え込まなくても、すぐにわかるだろう。

 

殺害を称賛される社会などあってはならない。

 

野生動物殺しは、全国で異様なほどに盛り上がっているこの社会全体が問題であることを多くの人が気づいていないのだ。自分たちのやってることが正しいと思い込んだり、決めつけたりして、自分たちの行いを見直そうともしないのだ。それでは、わたしたち人類の進歩はないに等しい。

 

近所で狩猟(発砲)が行われたり、猟犬が放されていたり、銃を持ったままうろついている人を見たら迷わず警察に通報をしよう。

 

暴力行為にはここに住んでいる人たちの声でしっかり「NO!」を伝えよう。そうでなければ、暴力はどんどんエスカレートし、より多くの犠牲者が出る。

 

暴力とは行使するのもの感覚を完全に麻痺させる。よいことか悪いことかも判断できず、人間に必要な能力(思いやりある心・共感能力・想像力・協力など)までも失い、自分がどれだけひどいことをしているのかもわからなくなるのだ。それが暴力だ。

 

暴力はいろんなところからやってくる。その暴力に魂を売らないようにしよう。

 

残された母親の悲しみ、犬に追われ撃ち殺された子どもの激しい恐怖と混乱、痛みを一度想像してほしい。

 

どんな理由であっても暴力は正当化できるものではない。

 

残された母親は二度と子どもの体温や感触を感じることがでず、鳴き声も聞けないのだ。それがどれほど母親の心に大きな傷を負わせているかは明らかだ。子どものために蓄えられたミルク。そのミルクを飲んでくれる子どもはもういないのだ・・・。どれほどつらかろう・・・。

 

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