今日は犬のひよりちゃん(♀8歳)の診察日だった。薬の調節をして体調がよくなり、喉の赤みも改善していていたので、さらに薬が減った。
薬の量の変化と共に血液の変化を知りたかったので、獣医師に血液検査をお願いしたが、薬を減らしへ間がないので正確に知るためにも来週の方がいいと言われたので、来週血液検査をすることになった。
体調も炎症もよくなってきているので一安心だ。
ここ最近、わたしの心の調子が悪くて作業がはかどらない。猟期という苦痛を生みだす行いにどんどん気分は落ち込む。
野生で生きる動物たちは、野生で生きているというだけで過酷な生を生きる。
その過酷な状況に、人間活動によってさらに過酷で膨大な苦しみや痛み、悲しみ、寂しさ、孤独、絶望などが生みだされるのだ。
山にはおびただしい数の罠が仕掛けられており、その罠にはシカやイノシシ、イヌ、ネコ、クマ、タヌキ、キツネ、ハクビシンなどさまざまの種たちがかかり、犠牲になっているのだ。
野生動物たちも犬や猫たちも牛や鳥、その他の動物たちも個々の存在であり、わたしたちと同じように個々にはみな独自に個性がある。
野生動物に対する社会の認識を見ていると、個々の存在の動物たちとわたしたちのいったいどこに違いがあると思われているのだろうか?といつも思う。種や習性、身体の構造などは違うが、生きている動物として差異はない。
みなさんは野生で暮らしている動物たちの暮らしをどのように思っていらっしゃるだろうか?
以前、野生動物は自由に生きていていいじゃないかと聞いた事がある。
たしかに狭い場所に監禁拘束されている動物たちと比べるとそう思うかもしれない。
しかし、野生動物たちは、現代野生に拘束され、わたしたちの活動で多大な苦痛を経験しているのだ。
人間によって生息地をどんどん奪われ、安静地や食糧を奪われている。山をのぞけばわかるが、生きるに必須である水分を補給する場も野生動物たちに無いことがある。人間が川や小川などに柵をし、野生動物たちが水に辿り着けないようにしているのだ。
その苦痛は感情や感覚ある生物にとって耐え難い、計り知れない苦しみであり、毎日を生きるにやっとなのだ。
どれだけ苦しかろう、つらかろうと思う。
多く人は、喉が乾いたら好きな時に水分補給ができ、お腹が空いたら食べることができる。その生活をしているわたしたちからは、生活に困窮している野生動物たちの苦しみは見えにくく、関心も少ないのだろうと思うが、実際に苦しんでいる者たちが無数に存在しているのだ。
猟期が始まり、野生動物たちの生活はさらに混乱し多くの者たちが犠牲になる。
わたしたちには教養も必要だが、知性もとても必要であり、思考し新たな認識を身に付け、乱暴で人道に反することのないよう判断し行動していかなければいけない。
野生動物やその他の属性の動物たちへの暴力をいつまでも「よいこと」としていてはいけない。
野生動物たちの苦しみは、わたしたちの想像をはるかに絶するものであり、彼らの生活は非常に過酷であるということを知っていただきたい。
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