お昼前から頭痛が激しくなり、ダウンしていたわたし・・・。
横になって少し痛みが治まり動きだすと、また激しい痛みが出てくるので久しぶりに頭痛薬を飲んだ。
痛みがあると動けなくなるので、犬鹿たちのお世話も難しくなる。
鹿たちはウンコとオシッコを頻繁にするので、わたしが動けないとすぐに室内が糞尿だらけになる。
なので、もし、わたしがケガをしたり、病気になったりすると我が家は崩壊してしまうだろうといつも考えている。
しんどくてもなんとか動けて、同居動物たちのお世話ができる状況でなくてはいけないと思っているので、レスキューが必要な動物と出会った時の葛藤がものすごい。
困ったものを放置できず、手を差し伸べたいのだが、自分のキャパシティーを超えてしまっては、今いる犬鹿たちに負担のしわ寄せがいくし、救護した子に対しても、十分で適切な看護などできず、何をしているのかわからなくなる。
そして、敷地面積の問題もある。限りある敷地面積で何頭の動物たちが生活できるのかを考えなくてはいけない。
限られた敷地に動物たちを詰め込み過密状態でも生きることはできるかもしれないが、QOLがぐっと下がり、そこで生きる者たちの快適さやしあわせ度はどこかへ行ってしまう。
命と同様に個々のメンタリティーを重視することは必須なので、保護するにあたり、考えることはたくさんある。
このようなことを考えていると、殺すことは一瞬で手間も人でもかからずだが、保護しケアをしていくのは多大な労力と人の協力、時間などが必要ということをいつも思う。
人間は安易で楽な方を選択する傾向があるが、どのような理由があっても、その中にわたしたち都合の殺しがあってはいいけないと思う。
個々のメンタリティーを重視し、保護していくことは今のわたしたちにとって、少し大変に思うかもしれないが(動物のメンタリティーを重視する思考が育っていないので、接し方など不透明な所があるのではと)、真に動物たちのことを考えているなら、そのうちいろんな気づきや発想などが出てきて、動物たちが暮らす環境が、動物たちにとって快適な場に少しずつ改善させていくのではないかと思う。
包括的に考えても、保護活動はキャパシティーを超えないように、余裕を持って行う方がよいと思う。
そのために、わたしたちにはできることがあると思う。根本の本質に目を向け、社会のあり方を変える力がわたしたちひとりひとりにはある。ひとりひとりの力の集結は大きな力となる。
動物保護活動が、動物たちを苦しめるものや人間が頑張り過ぎ疲れ果てるものではなく、動物も人間もお互いが、精神的、体力的にも負担なく、保護という活動に集中できるといいなと思う。
人間に保護された動物たちにとって、快適な環境であれば、それは動物たちが声や表情、行動、動作などからわたしたちに知らせてくれる。
環境の良い場所で暮らす動物たちは表情がとてもいい(目や動きなどが生き生きしている)。
わたし自身、環境(敷地面積)についてはいつも考えていることだが、今すぐに環境改善ができないこともあることからはがゆい気持ちになっている。
駐車場についてきた犬のひよりちゃん(♀7歳)。
庭に戻る時ひよりちゃんは先に出入り口に向かい「さぁ!庭に行よ!」とはりきって声をかけてくれた。
犬たちを観察していると、わたしたちにたくさん話しかけてくれていることに気づく。
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