今日もいい天気だった。
犬のひよりちゃん(♀7)は散歩中に野草の上で一休みしていた。
晴天を気持ちよさそうに飛んでいる猛禽類の透き通る声を耳を立て聞いているひよりちゃん。
その姿と野の草花を見ていると、なんとも穏やかな気持ちになる。
これからの季節、春を待っていた多くの野の草花が「雑草」として扱われる。
野の草花を「雑草」と言うのは、差別用語だよね?といつも考えている。
「雑草」というとどのようなイメージがあるだろうか?
「野の草花」というとどのようなイメージがあるだろうか?
個々にそのイメージは違うと思うが、呼び名がある野の草花をひとくくりに「雑草」と言い、有害な薬品を使い根こそぎ枯らしたり、道具で刈ったりしていることから、「雑草」は人間にとって不必要なものとして扱われているのがわかる。
野の草花を「雑草」と言うことはとてもよくないと思っている。
たとえば、人間間で差別があ、り暴力が使われるときに差別される側の人間(民族など)が「雑草」と言われたり、「害虫」と言われたりして暴力が行われる(=社会的に排除する=「駆除」する)。
この「雑草」や「害獣」という用語を使い同種を差別し、暴力を使うことは何重にもよくない。
1994年ルアンダで起きた大虐殺では、千の丘ラジオで少数民族のツチ族を「ゴキブリ」と言い、「~一掃せよ」というメッセージなどが流れてツチ族の人々が多く殺された・・・。
わたしたちは無自覚にわたしたちにとって邪魔になるものを排除するという思考になりやすい(もちろん意識的な場合もある)。
他の種に対し差別することは人間間には関係のないことで影響がないと思われているかもしれないが、実際には密接に関係する。
差別に同種も他の種も区別はなく、差別は地続きで人間がかかわる生きものはその影響を受けている。
「雑草」、「害虫」「害獣」など、わたしたちが他の種に言っているこの呼び方はやめるべきだと思う。
このような言葉が社会で普通に使われていることで、それを聞く側は疑問を持たなければおかしいということに気がつかず、この呼び方が普通になる。
そして、排除や差別などに無自覚に加担してしまうということになっているのでは?と思う。
植物のそれぞれの種は、わたしたち人間にとってとても大事であり、地球に欠かせない。
わたしたちにとって大事な植物であるとは別に、植物自体を地球の一部として捉え共存できるといいなと思う。
野の草花を「雑草」(=なんか嫌なものと)見るから、目障りなものと見えるかもしれないが、植物をこの地球にとって必要であり、生態系の維持や回復を助けていることを知ることで、植物への配慮の手助けになるのではないかと思った(がどうだろうか?)。
植物は多くの生きものの生存を助けている。その中にわたしたちも入っている。
差別からは差別が生まれ、暴力が生みだされる。
なので、社会から差別をひとつづつなくしていなかければいけないなと思う。
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