犬を尊重する犬育てを提唱している川上さんが、「動物から命の大切さや愛情を学?」という記事を書かれていた。

 

子どもの「情操教育」のために動物を迎える人もいるが、動物と一緒に暮らしているといって、「豊かな心」が育つわけではないという内容だ。

 

★記事

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まったくその通りだと思う。

 

動物を迎える出発点が、動物をお金で買うのであれば、動物はお金で買う物だと、子どもに教えていることになる。

 

生き物を迎えてから、生き物の身柄を拘束し、狭い場所に閉じ込め、食べ物だけを与える「飼育」から、子どもは何を学のだろうか?

 

川上さんの記事に書かれているように、子どもは人間以外の生き物に対して、このように扱っていいのだと、「豊かな心」とは真逆なことを学習するだろう。

 

このことは、動物園や水族館、他の動物触れ合い施設にも言えることだ。

 

動物園、水族館という、生き物を集めた場所にわたしたちはお金を払い、園の中にいる生き物を見に行く。

 

遊園地などのテーマパークと同じ感覚で、生き物を見に行く人もいるのではないかと思う。

 

園の中では、動物は狭い場所に閉じ込められていることがほとんどだ。

 

動物種の生態とか、ニーズとか考えていない場所で、動物たちは苦痛や孤独などから逃げだすこともできずに毎日を生きる・・・。

 

このような環境下の動物を知ると、わたしのように胸が痛む子どももいると思うが、ほとんどの子どもが、動物園のあり方、そのままを学習するのではないだろうか。

 

人間以外の生き物は「見世物」であり、「監禁してもいい」と。

 

もし、胸が痛む子どもが多くいるのであれば、現在の動物園のあり方は違ったものになっているのではないかと思う。

 

親に動物園へ連れて行ってもらったのだが、動物園にいる動物たちの姿と環境を見て、わたしはとてもつらくなっていた。

なので、写真はなんとも言えない表情だ。口はギュッと結んでいて、目は三角になっている。

笑えない幼いわたしがいた(弟も笑っていないなと思った)。

 

 

動物との「触れ合い」については、動物を自分の目で直接見たり、身体を直接、自分の手で触ったりすることで、子どもは何を学ぶだろうか?

 

動物の行動を奪い、その身体を人間がベタベタ触ることを経験すると、子どもは自分の都合の良いときに、動物の行動を抑制して動物の身体を触ることを学習するのではないだろうか。

 

そこに、動物の感情は配慮されておらず、子どもは無自覚に、人間以外の生き物は、人間に都合のよい「物」だと認識してしまうようになるのではと思う。

 

動物の身体を触って、動物は「あたたかい」、「毛がやわらかい、硬い」など知ることができるが、その前に、人間以外の生き物のことを知ろう!

 

種が違う生き物ってどういう生き物なの?

 

どうして、種の違う生き物がたくさんいるの?

 

人間とどこがどう違うの?

 

どんな生活をしているの?

 

何を食べるの?

 

どうやって寝るの?

 

好きなことは何?嫌いなことは何?

 

なんで、好きなの?なんで、嫌いなの?

 

脚が長い、短いのはなんで?

 

首が長い、短いのはなんで?

 

なんで、水の中で生きているの?

 

など、書きだすときりがない。

 

「動物と触れ合う」を動物の身体に直接触れることを意味していると、「豊かな心」は育たない。

 

触れるのは、「種」や「目の前にいる個々の存在」であり、種によって違う生態やニーズを学び、個々の存在について知ることだとわたしは思う。

 

見世物として動物を見たり、わたしたちが一方的に動物の身体に触ったりすることは、種の違う動物と「触れ合う」(に「触れる」)ではない。

 

動物園に関して、ひとつの例をあげると、2016年頃アルゼンチンの140年続くブエノスアイレスの動物園が閉鎖する予定を発表している。

 

閉鎖の理由は、「野生動物を檻の中に拘束し、見世物にすることは屈辱行為である」ということからだ。

 

人間以外の生き物を通じて、子どもたちに伝えたいことは何か?どのようなことを学んでほしいのか?をわたしたちは真剣に考えるべきだと思う。

 

 

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