今朝、目覚めると妙に静かで薄暗く、いつもよりはやい時間に目覚めたのかと思いましたが、いつもの起床時間より遅い目覚めでした。

 

わたしがベッドから起きるタイミングは、犬鹿たちがごそごそ動き出す時間です。

 

今日は鹿たちが庭に出た後に起き、庭をみると雪が少し積もっていました。

 

ぼたん雪がしんしんと降っていたので、妙に静かなことと薄暗いことに納得です。

 

雪雲がすっぽり覆っているときは、ほんとうに静か。

 

雪で人の動きが少ないということもありますが、雪で音が遮断されている、そんな感じです。

 

鹿ののぞみちゃん(♀推定3歳)は雪にあたらない場所で日中の大半をすごしていました。

 

雪が積もると刈れる葉っぱがなくなるので、今日はフレッシュ葉っぱが足りなかったようです。

「葉っぱ もうなくなっちゃったよぉ」

 

 

鹿のすぐるちゃん(♂3歳)は雪が身体にかかる場所で休んでいました。

雪で目をしょぼしょぼしています。

「しょぼしょぼ」

 

ところで、犬に我慢することを教えなければいけないという記事を読み、人間の子どもたちに言っていることと同じだな~と思いました。

 

わたし自身、我慢について子どもの頃の経験を思い出していると、我慢というのは誰かに教わり取得するものではない、と思いました。

 

日々の自分自身の経験から自分で学んでいくものではないかと思います。

 

たとえば、犬たちがお留守番をしなくてはいけないとき、留守番は嫌で同居人と一緒に出掛けたいと思っていても、同居人から「一緒にはいけないところだから、ごめんね」と聞くと、犬たちはしぶしぶでも納得してくれます。

 

・分離不安症の犬の場合は、「一緒に行くー!」と鳴いたり、出掛ける前の同居人の後を追いかける行動などがみられると思います。分離不安については、犬を尊重した犬育てを提唱している川上さんの記事に書かれています。

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犬たちは一緒に行きたい気持ちなどを静めつつ、留守番をしていることと思います。

 

このとき、同居人がどのぐらいで帰宅するのかを犬に予想ができていると、犬はそれにそなえた同居人不在の時間の過ごし方で同居人の帰宅を待っていると思います。

 

留守番する犬の気持ちには、さみしかったり、不安だったりいろいろありますが、自分で考えることができる環境下にいる犬たちは自分でそれらの気持ちを落ち着かせる対処法を見つけ出します。

 

そうやって、少しずつ待つことができるようになり、自分自身の成長につながっていくのだと思います。

 

 

そして、我慢を教えないといけないという考えは、それを受ける個々を苦しめることになるので行わない方がいいとわたしは思っています。

 

わたしが小学校低学年のときの話になります。

 

わたしはチョコレートが食べたくて母に「食べたい!」と言ったことがあります。

 

母は、「我慢することも覚えなさい」と言い、食べさせてくれませんでした。

 

我慢を強制的に行われることで、わたしはチョコレートへの執着がとても強くなってしまい、母に何度も「食べたい」と言うようになっていました。

 

母からある日、「しばらく我慢したからたくさん食べていい」と言われたわたしは思う存分チョコレートを食べることができました。

 

しかし、それで満足することはなく、わたし自身に残ったのはチョコレートへの執着でした。

 

自分でチョコレートを買うことができる年齢になってから、食べたいときに食べたいだけ(一度にものすごい量を食べていました)食べていたにもかかわらず、チョコレートへの執着は減ることなく何十年とたっていましたが、今の暮らしをするようになってから、徐々に執着が少なくなり、今ではごくたまに食べたいと思うほどになっています。

 

わたしの場合、チョコレートに限らず、他の物事でも、我慢を強制的に行われたことから執着してしまっていることがあり、それをなくすのはなかなか大変で、我慢を強いられるのは本人にとってとてもつらいことです(ストレスのかかりもすごいです)。

 

犬(や他の動物)には、暮らしのなかの経験などを通して自分のペースで学びながら、自分として生きることができるといいなと思っています。

 

 

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