わたしは鹿たちや他の動物種たちのことを調べ始め、さまざまなことを知るようになりました。そのなかに、鹿や猪たちはわたしたちからとんでもない仕打ちを受けており、社会から標的にされているという現実があります。

 

鹿や猪たちは人間に実際の姿を理解しようともされず、わたしたちの大きな力によって大変苦しんでいます。

 

鹿や猪、熊、他の動物種たちは、生きるための活動(暮らし)をしているだけなのです。食事を探し歩き、食べ、身体を休めるために仮眠をし、明日にそなえているのです。動物たちはその暮らしのなかで、個々の生を生きています。

 

「害獣」と言われている動物種たちのことを調べていて、大変気になることがあります。動物の保護団体のサイトや記事などを読んでいると、なぜか、鹿の情報についてのリンク先が消えていたり、「鹿」の言葉も消えていたり。鹿や猪については、「殺すのは仕方がない」と書いているところもあります。動物たちを守る立場の人たちが「殺すのは仕方がない」と言うのはどのような考えからのでしょうか・・・。「仕方がない」とは?と思います。

 

社会の動きを見ていて、鹿や猪たち(野生で暮らす者たち)は完全に人々の心から切り離された存在になっていると痛感しています。種の存在がよくないかのように言われることがその者たちにどれだけの苦しみや痛み、悲しみをあたえているのか・・・自分だったらどう思うのでしょうか・・・。

 

政府が進めたいことと違う考えを言い続けるのは、多方面から楽なことではないと思いますが、活動の目的を見失わないようにしたいです。日和見たり、権力にすり寄ったしないで、自分の主張ができればいいなと思います。もし、本来の主張がズレてくると、進歩できることができなくなってしまうということもありうると思います。大きな団体になると、個々のさまざまな考えから意見の相違が出てくると思いますが、包括的にみて考え妥当が見いだせるといいなと思います。

 

擁護活動や保護活動に大事なことは、特定の動物種だけのことを考えるのではなく、ここに生き暮らしている者たちのことを考えることだと思います。たとえば、実際の活動は、犬という一種を保護する活動を行っていても、考えのなかには犬たちを同じように他の動物種のことも保護していく対象であるという考えを持つことだと思います。なぜなら、ここにいるすべての生きものに起こっていることは地続きであり、生きものとしの連続性があるからです(種や習性、姿などが違っても、生まれた個々の存在は生きる者として同じです)。

 

わたしについては、個人で保護できる限界があり、犬と鹿たちと暮らしているので保護の活動量に限りがあります。今、ともに暮らしている犬と鹿たちの生活の質の向上を考え、日々暮らしていきながら自分ができることを考え続けていきたいです。「害獣」や「害虫」、「外来生物」と言われている者たちを考え声をあげている人が本当に少ないという現状ですが、現在、人間に理解されることなく、抹消される鹿や猪たちの状況を少しでも言葉にできればいいなと思います。種差別なく、ここに生き暮らす者たちの存在を大事にする社会にいつか・・・、と思う気持ちでやっていきたいです。

 

いま、希望が見えなくても、いつか見える日がくるかもしれません。

 

個々に活動内容はさまざまですが、守られるべき者たちの立場にたち、状況の改善に向かうことだけは忘れないようにしたいです。

 

 

「一緒に生きよっ!」

 

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