2017年の5月28日と29日の写真です。
母親と離れ離れになった小鹿のすぐるちゃん。
わたしたちはすぐるちゃんが人口ミルクを飲んでくれたことにホッとしていましたが、誕生してすぐに母親と離れ離れになったすぐるちゃんの精神と体の健康が心配でなりませんでした。
「おかあさんどこ?」
現在、野生動物たちが人間によって殺され続けています。
動物たちにも家族や仲間がいます。
もし、母親が罠にかかったり、殺されたりすると子どもはひとり残され、母親を探し求め精一杯大きな声を出し鳴き叫び、よたつく脚で探し歩きます。
母親は子どものもとへ戻ろうと、懸命に罠から逃れようとしたり、危機から全力で走り逃れようとしたりします。
しかし、動物たちに人間の手が伸びると、
子どもと母親が再会できる可能性はほぼ絶望的になります。
子どもも母親もお互いを求めながら、
さまざまな感情を抱き強烈な恐怖、
痛みを感じ死んでいきます。
その苦しみがなぜ、人間の心にとまらないのでしょうか。
なぜ、わたしたちは動物たちの苦しみを無いもののように扱うのでしょうか。
シカやイノシシたちは害獣ではありません。
この地球のここで暮らす、わたしたちと同じ動物です。
ここで暮らす動物たちをわたいたちの勝手な感情でここから追い出したり、
存在を無くしてしまうのは、その動物たちへの生きる権利を奪う行為です。
わたしたちが生きているように他の動物たちも生きています。
その生は等しいものです。
現在、人間活動によって気候危機に直面しており、
人間の活動が原因で種の大絶滅が起きています。
これ以上、わたしたちが他の種を犠牲にすることはおわりにしたいです。
犠牲というのは、わざわざ作り出すのではなく、
避けるものです。
犠牲を避けるために、知恵や工夫をこらし、
それを活かせるのもわたしたち人間であると思います。
わたしたちの知恵や工夫などは他者を苦しめるためにあるのではなく、
ここで生きる者たちが苦を感じず生きるには、
なにをどのようにすべきか?などに使われるべきだと思います。
わたしたちは次へ、「思いやりある時代」へ進むときです。
残酷な行為とは決別する時代へきています。
犠牲を出さない(殺さない、利用しない)へ舵取りをすることは持続可能な地球環境につながります。
自然で暮らす動物を大虐殺し、生態系を混乱させることはサスティナブルではありません。
当然のことですが、動物には生きる環境が必要です。
それぞれの種に合ったそれぞれの環境。
それをわたしたち人間はどうもよく考えられていないのではいかとより思うこの頃です。
人間至上主義や人間中心の考えではなく、
この地球で暮らす全ての動物たちと共存する意思のもと、
真の思いやりある時代へと向かうといいなと思います。
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